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パウル・フェヨシュ『都会の哀愁』都会の孤独、都会の出会い

故国ハンガリーで離婚と敗戦を経験したフェヨシュは一念発起して新天地アメリカを訪れた。ハンガリーでは医学校に通っていた彼は、ニューヨークでの極貧性格の末、ロックフェラー研究所で仕事を得るなど、一般的な"助っ人外国人"監督とは一線を画す経歴を持っている。彼は仕事を辞めてハリウッドへ向かい、野宿にその日暮らしという生活を送っていたが、エドワード・スピッツという映画好きなボンボンと偶然出会ったことで、初長編『ラスト・モーメント』が完成する。作品がヒットしたかどうかはよく分からないが、同作によってフェヨシュはルビッチやムルナウやレニといった同時期のスター外国人監督たちと一瞬にして肩を並べてしまったことは確かである。彼はユニバーサルと契約し、好きな題材を撮っていいことになる。(彼にとって)ゴミ山のような、くだらない未映画化脚本たちの中に、たった数ページの「Lonesome」という短編用脚本を発見する。フェヨシュはそれを映画化した。それが本作品である。

フェヨシュ本人はその脚本を選んだ理由について、極貧時代を過ごしたニューヨークを思い出すからとしている。本作品の主人公は大都会の群衆の中にありながら常に孤独な二人の男女であり、ジムの仕事は機械工、メアリーの仕事は電話交換手であり、近代化を支える激務のモンタージュは時計の針と仕事風景を同時に置くという面白いものだ。しかし、同時にいくらでも代替可能かつ単調な仕事であることに変わりなく、これらの単純労働はフェヨシュの極貧時代に培われた日雇い労働の経験が如実に表れていると言えるだろう。週末になればどこかへ出掛けるのも当たり前、日頃遊べない分はしゃぎ倒すぞ!という人々で小さなビーチや遊園地はごった返す。出会った二人はそこで遊び倒す。特に遊園地のシーンは強烈だ。びっくりハウス、ミニクルーズ、プリクラ、ダンスパーティに安全バーのないジェットコースター(途中で車輪が炎上し始める)、素っ頓狂な音を立てて吹き荒れる雨に至るまで、全てが狂気的で面白い。そんな楽しいか?と思いたくなるほど大量の人が血走った目で次なる娯楽を探しているのだ。

既によく比較される『サンライズ』や『群衆』とも似ているシーンは散見されるが、パートトーキーやパートカラーを採用するなどの技術的な側面での改良は革新的だし、都会の娯楽シーンを極限まで引き伸ばしたのは『サンライズ』よりも効果的だし、狂気的にすら見える群衆の中にいながら紛れもない個人を扱っているのは『群衆』よりも幸福感がある。

しかし、本作品の一番の幸福は遊園地でも感動の再会でもない。浜辺で初めて出会った時、メアリーが後ろに目をやりながら群衆をかき分けて進むシーンだ。"こっちよこっち"という挑戦的な目線のメアリーをジムの視点から眺めている。ここまで低い位置のトラッキングショットはここだけな気がする。これから始まる高揚感は全てここに集約されている。

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・作品データ

原題:Lonesome
上映時間:70分
監督:Fejős Pál / Paul Fejos
製作:1928年(アメリカ)

・評価:90点

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