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マティアス・グラスナー『The Free Will』全てが圧倒的な映画

圧倒的大傑作。あまりにも初めて観たタイプの作品過ぎて、なんとも文字化不可能な感情を誘起してくるマティアス・グラスナー監督六作目。互いに異性に対して多大なる障害を抱えた二人の男女が辿る数奇で悪魔的なメロドラマ。うーん、メロドラマ…?いや、ジャンルには分けられないというのが正直なところ。人間の持ちうるすべての感情を湧き上がらせる稀有な映画であることは保証しておこう。

海辺のレストラン。鉛色の雲が垂れ込めるある日。主人公のテオはフィリップ・シーモア・ホフマンみたいな、見るからにヤバイ青年。厨房で皿を洗っていたが、ボスに怒られて激昂、レストランを出て行き、歩いていた女性を衝動的にレイプする。衝撃的なオープニングである(こりゃ途中退場者が多そうだ)。"物語の始まり"がレイプシーンなのは『アレックス』に似ているのかもしれないが、同作ではそれが"映画の終わり"であり、ノエはその事実を扇情的に用いていた。それに対して本作品では、男女の視点の違い以上に空虚な描写であり、同時にどこか病的でもある。露悪的でも扇情的でもなく、乾ききっているのだ。

9年後、様々な治療を経て、テオは社会に適応するために釈放される。印刷工場に勤めることになり、ソーシャルワーカーのサシャや同じ下宿で暮らす他の元犯罪者たちとの関係も良好で、今の姿を見ただけじゃとても卑劣な犯罪者とは思えない。しかし、自身の衝動を殺すために女性嫌いを想像し得ない方向に押し進めてしまったテオは、行きつけのレストランの可愛い店員を勝手に好きになったり、声を掛けられた可愛い女性店員をストーキングして家までついていったりする。こっちの全ての感情をふっ飛ばして、最早恐怖と嫌悪感以外の何物でもない。映画の主人公だからこそ"変わったんじゃないのかよ"という落胆と"やっぱり変われないよね"という諦めというか妙に納得させる感じまである。そして、これらの不快なシーンが挿入されることで、本人も"原因の分からない"と語る衝動が爆発するかもしれない、何が起こるか分からない危険性=緊張感が、静かな狂気として画面を映画を160分間もの支配し続けている。

テオは印刷工場の親方には娘ネティがいた。決して語られはしないが、ネティは恐らく父親から虐待されており、父親は彼女が家から引っ越すのを異常に嫌がる。ネティとテオは偶然知り合う。レストランで働いていたネティは足りない食材を買いに来たスーパーで、テオにお金を貸してもらうのだ。ふとした瞬間の二人を捉えた名シーンであり、非常に印象深いシーンの一つである。二人はそのままネティのお礼としてカフェに行くが、双方の異性に対する壁が高すぎ&厚すぎで会話すらまともに続かない。ここだけ観れば、"拗らせ"の極地なのかもしれない。

サーシャがソーシャルワーカーの仕事を失ったベルリンに行ってしまったせいで、テオは独りになってしまい、同じく独りになったネティと互いに惹かれ合う。必然的なのかどうかは分からない。ネティがベルギーに出稼ぎに出ると、テオもそれについてくる。浜辺のカットが幻想的で美しく、ここまでの過程を考えても思わず涙ぐんでしまう。傷付いた二人が同じベッドに眠るも、テオが思わず拒絶するシーンから、"アヴェマリア"のシーンまではこの映画で最も美しいシーン。

しかし、テオはネティを愛するあまりに自分を抑えることが不可能になってしまい、再び凶行に走ることになる。自由意志とは人間が自己の判断に対するコントロールを行うことができるという仮説である。つまりは、人間の行動の根源である意思に主体性があるかという哲学的な話らしい。それが抑えきれず破裂するテオの行動を示しているのだろうか。行動したいのに抑えるという行為は意思に反しているのかという思考実験のような映画なのかもしれない。結局は映画的な決着としてテオとネティの甘美なる世界は崩壊してしまうが、それは必然的だったのだろう。レイプ犯と虐待された女性という、昨今の"傷付いた男女の恋愛"というジャンルの中では極北みたいな取り合わせで相容れないと思っていたのに、いつの間にか自分の中の小さな影がデカすぎるテオの影に包含されていて、感情が吹っ飛んでしまった。

そもそも映画の存在自体が、ユルゲン・フォーゲルとザビーネ・ティモテオの存在感によって支えられている(ちなみに、フォーゲルは監督の盟友で、共同でプロダクションを設立した)。彼らのそこはかとない絶望感と内に秘めた静かな狂気が画面の感情を維持していると言っても過言ではないだろう。特に二人が正面から初めてぶつかった空手道場のド付き合いのシーンは互いに異変を感じ取りつつ、双方がそれを覆い隠そうとする息の詰まるような時間が濃縮されていて忘れ難い。

私の感想など、この映画の一部も汲み取れていない。映画よりも私の稚拙な感想でこの映画が誤解されるのだけが本当に恐ろしい。まぁ全部の映画に言えることなんだが。

・作品データ

原題:Die Freie Wille
上映時間:163分
監督:Matthias Glasner
公開:2006年8月24日(ドイツ)

・評価:100点

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