悲しみの中にいる時、明るく来られると切ない
なにか悲しいことがあって、つらい気持ちでいるとき。
そんなとき人が、こちらに明るく来られると、なんとも言えないもどかしい気持ちを味わいます。
相手は、こちらの気持ちを知らないまま、いつものように明るく来る。
相手はこちらの気持ちを知る由もないから、当たり前ではある。
でも、明るくいることが出来ないような、そんな気分ではない時もある。
そんな状態での人の明るさは、余計に悲しくなる。
少しは察して欲しいこともある。
この温度差に直面している時、なんとも言えない気持ちになります。
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◆自分に何が起きようとも、周りには淡々とした時間が流れている
これは「自分は尋常ではない状態であっても、周りは何も変わらない」ということを実感した、身近なエピソードです。
ある時、カフェで昼ごはんをとって、ウトウトしていました。
眠たくなってきたので、そのまま突っ伏して15分ほど寝ました。
その時、なぜか悲しい夢を見たのです。
その夢で、ハッとなって、目が覚めました。
自分の心の中、頭の中では、悲しみの夢の最中にいました。
尋常ではない時間が流れていた。
でも、周りを見ると何も変わらない時間が淡々と流れていました。
いつもと変わらない、カフェの店内の風景。
その時、ふと、気づきました。
『自分の中で尋常ではない時間が流れていても、周りの世界は何の変わりもなく淡々とした時間が流れている』ということに。
卑近な例えなのですが
「自分の世界で起きていることと、周りの人のそれは、まったく別のものである」という当たり前のことを、ふと実感した瞬間でした。
自分にしかわからなくて、周りの人には決してわからないこと。
これはお互いに、あらゆることに、存在していると気付いたのです。
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◆自分のことを相手はわからない。同じく、相手のことを自分はわかっていない。
要は、他人のことは、本当の所わからないのです。
それが、どんなに近しい人であってもです。
近しいほど、わからない。
わかって欲しいし、わかってあげたいけれど、わからない。
この温度差の中に、悲しみとか、切なさとか、もどかしさがあります。
自分にとって個人的で、大切で、大きなことであるほど、他人と共有できなかったりする。
それは同じく相手からしても、重要なことであるほどこちらが相手を理解出来なかったりする。
この「自分と相手との温度差」に、
あらゆる悲しみや、切なさがある。
孤独があり、もどかしさがある。
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そして、ここからです。
この「自分と相手との温度差」にもし、
「共有」「理解」「歩み寄り」が存在するならば。
そこには、温かいものが生まれます。
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人が立ち直るきっかけ•明るさを取り戻すきっかけの一つは、
相手から自分に向けられる「気持ちを汲み取ろうとする姿勢」に触れた時です。
孤独を感じている時であればあるほどに、
その思いやりに触れた時の温かさは、忘れられません。
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