見出し画像

シェイクスピアの台詞を原文で読む⑤~完結編~「マクベス」

 自劇団「獣の仕業」での「マクベス」上演で使用するためにひとつの台詞を自力翻訳しようという試み。この記事は③~⑤で続きものなので、翻訳過程の葛藤の流れを追いたい人は③から読んでいただくのを推奨する。

※①と②は「オセロ」なのでそちらもぜひ。それぞれ別台詞でひとつの記事で完結しているので、バラバラに読んでいただける。

前回(③と④)までの翻訳作業ダイジェスト

  • すごい苦労したけど、とりあえずそれっぽく翻訳できた

  • でも、芝居の台詞として使うにはあと一工夫が必要

  • どうする? ←イマココ

※ お読みいただく前の注意 ※
今回は翻訳完結編。そのため、この記事には今月10/21-23で獣の仕業「マクベス」上演で使用されるマジの台詞が登場します。まあまあクライマックスの台詞なので、ネタバレ避けたい人はここまで。本番見ていただいてから、またお会いしましょう。
そういうの気にしない、むしろ本番前に知ってから見たほうが楽しい、という方にはオススメです。

念の為、注意書きです。

今回やることはこちら

獣の仕業のマクベスの上演にとって、逍遥より優れている翻訳である」と自分だけでも納得できるものにする。

前回記事④から引用

 つまりはただの翻訳ではなく、獣の仕業の台詞にする作業ということ。私にとって。だから、もはや狭義の翻訳作業は終わっている。
 はい、もう、やるだけです。前に進もう。

獣の仕業の台詞にする

前回までの成果物はこちら。

Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle,
Life’s but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot,full of sound and fury,
Signifying nothing.

明日、また明日、そしてまた明日、
忍び足はちいさな歩幅で一日一日と、
記録された時の最後の音節へたどりつく;
すべての昨日は愚か者どもが塵のように死んでいく
道を照らし続けている。消えろ、消えろ、つかの間の灯火、
人の命などただの歩いている影に過ぎない、
舞台の上で気取って歩いても、思い悩んでも、かわいそうな俳優たちは、
いつの間にか誰にも相手にされなくなる。
これは、そんな馬鹿が話す物語だ、たくさんの音と激しい怒りでいっぱいなのに、そこには何もない。

前回までの成果物

 改めて獣の仕業「マクベス」の作品全体のプランを考えたい。本作のベーステーマは「魔術的身体で、運命と闘う」。
 運命とは何か。目に見えず人間の力でコントールできず、意志と無関係にその人の未来を導くもの……。時に、生き死にすら決めるもの。

 私はこの台詞が大好きで、自分のオリジナル脚本でも引用している。他にも、劇団で言うとSCOTなどの有名劇団も、あるいは政治家のスピーチでもたびたび引用されている。それはこの台詞が人間にとって普遍的なひとつの事実を描写しているからだ。

 普遍的な事実。それは、人はみんな、いつか必ず死ぬということ。
 それも「運命」と言えるのではないだろうか。地球上の人間、いや、すべての命がたったひとつ絶対に避けられない運命。「死」。

 では「魔術的身体で、運命と闘う」とはなんだろうと考えた時(もちろんマクベスの物語に照らし合わせれば色々な言葉を当てはめることができるけれど)確実に代入できるものは、「死」なのだろう。死と闘う。生きていく、死にあらがう、あるいは死と共闘する。死と向き合い、死と生きる。
 それをシェイクスピアは、劇場と俳優に喩えた。つかのま舞台の上に現れて、出番が終われば消え、思い出す者はいない。あわれな俳優の生き様を語り「あなたがたも人生という演劇の俳優だ」と呼びかけた。
 この比喩は他作品でも使われている。シェイクスピアの舞台と客席をひとつなぎにするための手腕だったのだと思う。

 この「マクベス」の台詞にも舞台用語が多く使われている。私は、ここだ、と思った。直訳で落としてしまった「人生という劇場」「人間という俳優」の比喩のニュアンスをより強くすることができれば。そしてそれを獣の仕業の俳優が目の前で、役ではなく俳優という態度を選んだひとりの人間として話せるような言葉にできれば。そうしてシェイクスピアのように、舞台と客席の境界を、物語と現実の境界を、取っ払うことができれば。
 獣の仕業の台詞として私は、納得できるだろう。

演劇にまつわる言葉を探せ

以下は一部意訳も含む。

To the last syllable(文節からの意訳⇒台詞) of recorded(記録からの意訳⇒記述) time;
And all our yesterdays have lighted(明かり) fools(道化)
The way(道からの意訳⇒花道) to dusty death. Out, out, brief candle(蝋燭からの意訳⇒明かり),
Life’s but a walking shadow, a poor(下手な) player(役者)
That struts and frets his hour upon the stage(舞台),
And then is heard(評判・噂) no more. It is a tale(物語・脚本)

原文を抜粋

 一通り確認してこんなにも。改めて見るとこの台詞、今風に言うとあまりにテクい。いやらしいほど技巧的に、狙っている。この狙いを正面から受けて立つ。他にもないか。隠された意味は。一つでも多く見つけてやろう。そういうことをしたい時、私ができる闘い方はたったひとつ。
 語源、語源だ。

語源を見つめろ

Tomorrow(to+古英語morgen⇒語源:朝、朝に向かって), and […]
Creeps in this petty pace from day(古英語 daeg⇒語源:日、熱 ) to day,
To the last syllable(ラテン語 syllabe⇒語源:まとめ) of recorded time;
And all our yesterdays(古英語 yester:前の+day:語源⇒前の日) have lighted(語源⇒光・輝く) fools
Life’s(古英語lif⇒語源:生命体) but a walking shadow, a poor player
Signifying(語源⇒しるしを示すこと・重要であること) nothing(語源⇒取るに足らない、重要でない).

語源反映する箇所だけ抜粋

 ハハァン、了解しました。語源っていいよなあ。いい。だいぶつかめてきた。
 tomorrowが「朝」を語源とすることは知らなかった。そうなると何故yesterdayはyester(前の)+day なのにtomorrowには「day」がないのかちょっと気になってさらに調べてみると、どうやら昔は「yestermorning(昨朝)」「yesternight(昨晩)」と言った yester+~ の使い方もあったそうだ。それは今でも辞書には残ってはいるものの、実用的には yesterday だけ群を抜いて利用頻度が高い状態とのことだった。

参考したブログ:吾輩はメモである
-- yesterday にはdayがある。tomorrow にはない。なぜ?

https://kmyken1.blog122.fc2.com/

 なるほど。昨日、今日、明日。それらの時間の流れが一本のように連結した道になっている様子を私は想像した。それはあらかじめ記録された(recorded time)ものなのだ。
 明日(tomorrow)は道半ばの駅のようなもの。次の駅、辿り付いたらまた次の駅、そんな風に私たちは、一足一足、ゆっくりと進んでいく。旅の終点(the last syllable)の駅は決まっていて、いつかはそこにたどり着く。その先に道はない。未来はない。
 そして、振り返ればこれまで自分が辿ってきた過去が見える。明日は昨日になっている。振り返った道はすべて昨日。道には道化(fools)の亡骸がいくつも横たわっていて、すべての昨日が、それを照らしている……。
 みんなこうなる。いつか昨日に照らされる亡骸になる。この運命のレールから外れることは誰にもできない。
 それはまるで舞台の俳優と同じじゃないか。人間はみんな、命という芝居をしているのだ。

 と、私は思いました。そんな風に受け取りました。受け取れました。シェイクスピアさん。

 じゃあ、僭越ながら、本当に恐れ多いのですが、この度この名台詞、私の言葉に代えさせてもらいます。
 みんなのシェイクスピアを、私たちのシェイクスピアに。
 世界の「マクベス」を、獣の仕業の「マクベス」にするために。
 お借りします。

さあ、私(たち)の言葉にしよう

※ 最後の注意 ※
以下、今月10/21-23で獣の仕業「マクベス」上演で使用されるマジの台詞が登場します。まあまあというかかなりクライマックスの台詞なので、ネタバレ避けたい人はここまで。本番見ていただいてから、またお会いしましょう。そういうの気にしない、むしろ本番前に知ってから見たほうが楽しい、という方にはオススメです。

言いましたよ。

言いましたからね。

#獣マクベス 完成版

Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle,
Life’s but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot,full of sound and fury,
Signifying nothing.

明日(あす)へ、また明日へ、また次の明日へ、
そんな風に私たちは、頼りない小さな足取りで一日一日を歩き、
あらかじめ決められた運命の、幕切れの台詞がこうしてやってきた。
振り返れば昨日は、とても明るい花道だ。
たくさんの道化たちが埃まみれで死んでいる、そんなくだらない幕切れを、
すべての昨日が照らしてきた。
消えてしまえ、消えてしまえばいい、つかの間の灯火よ、
人生なんてどうせ、ただの歩きまわる影でしかない、
人の命だってみんな、下手くそな俳優みたいなものだ。
舞台の上で何かをしてもしなくてもどうせいつかはいなくなる、
噂をする人もみんな消えてしまう。
これは物語だ。馬鹿が話してるだけの。
たくさんの響きや想いでいっぱいなのに、
大切なものは見えない、
なにひとつ。

 これにて自力「マクベス」翻訳、完結。この台詞を引用して、今月10月獣の仕業「マクベス」を上演する(この台詞以外は坪内逍遥訳/立夏脚色)
 芝居も、とてもいいものに仕上がっております。ぜひ見に来てください。
 魔術的な身体で、運命と闘う。

 闘うぞ。

獣の仕業次回公演のお知らせ

獣の仕業 第十四回公演
マクベス [Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,]
2022年10月21日(金)〜10月23日(日)
会場:シアター・バビロンの流れのほとりにて
脚本:W・シェイクスピア 翻訳:坪内逍遥
脚色・演出:立夏

  • 21日(金)20:00

  • 22日(土)14:00,19:00

  • 23日(日)13:00,18:00

  • ※上演時間90~100分※

チケット予約フォーム

劇場観劇と、配信視聴でチケット予約窓口が異なっています。

劇場で見たい方

  • 劇場観劇チケット:2,500円

  • 紙脚本付き+劇場配信チケット:3,000円

  • ※上記フォーム内で券種を選択できます。

配信で見たい方(アーカイブ視聴)

出演

マクベス/Macbeth(武将)…小林龍二

マクベス夫人/Lady Macbeth(マクベスの妻)…雑賀玲衣
ダンカン/Duncan(スコットランド王)、ヘケート/Hecate(月と魔術の女神)…長瀬巧
バンクォー/Banquo(武将)…恩田純也 
マクダフ/Macduff(スコットランド貴族)…今村貴登
三人の魔女/Three Witches:
・第三の魔女/Third Witch、マルコム/Malcolm(王子、ダンカンの息子)…きえる
・第二の魔女/Second Witch、フリーアンス/Fleance(バンクォーの息子)…野崎涼子(salty rock)

第一の魔女/First Witchシートン/Seyton(マクベスの鎧持ち)…手塚優希

あらすじ・演出ノートなど詳細

感染症対策なども記載しています。

詳細は決まり次第noteやTwitter@kmn_chan_botでお知らせいたします。
Twitterでは公演関係者たちもおのおので #獣の仕業 #獣マクベス のハッシュタグで情報や稽古場の様子を投稿しています。ぜひご覧になってください。

獣マクベス公演関係者リストhttps://twitter.com/i/lists/1558797824996753408

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?