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シェイクスピアの台詞を原文で読む①「オセロ」(対訳:坪内逍遥)

 シェイクスピア。名前くらいは聞いたこと皆さんあるんじゃないかと思う。イギリスの有名な劇作家だ。見たことがない人でも、演劇に興味がない人でも、名前だけなら知っている。それってすさまじい知名度だ。
 しかしその知名度ゆえに、演劇を作っている人・観劇が趣味の方でも「まだ見たことない」というかたが結構多いのである。これもまた、知名度ゆえである。
 そして、日本で「原文でシェイクスピアを通読したことがある」という人となると、さらにもう少しだけ数は減るだろう。それも当然。日本語で書かれていないからだ。しかし、世界に目を向けたとき「日本語で読んだことのある人」と「原文で読んだことがある人」の人数、さて、どちらが多いか、答えは歴然である。
 ところで、私は大学にいた頃シェイクスピアのゼミにいたのだが、そこの教授がこのように質問してきた。

「劇作家としてのシェイクスピアの、あるいはシェイクスピア戯曲の、最も優れたところはどこだと思う?」

 私たちは考えた。普遍的なテーマ? 優れた人間心理の洞察? 多彩な比喩表現? 何百年も読み継がれているところ?
 答えはいずれでもなかった。教授はにやりと笑ってこう言った。

「シェイクスピア戯曲の最も優れていたところ、それは、英語で書かれていたことだ」
 ブリティッシュ全開の、英語優越意識と皮肉に満ちみちた答えである。

 そんなシェイクスピア最大の功績である「英語で書かれていること」に目を向けて、さて今日は「オセロ」(Othello)の中の有名な台詞を原文で読んでみよう。ちなみに筆者の英語レベルは「並」なので、英語の達人は生暖かい目で見てほしい。それが無理ならばここで引き返してほしい。頼みましたよ。許してくださいよ。

オセロの原文引用

O, beware, my lord, of jealousy;
It is the green-ey'd monster which doth mock
The meat it feeds on;

Shakespeare"Othello"(3, 3)

はい、読んでみよう。

まずは分からない単語を辞書で引く

 繰り返すが、筆者の英語力は並なので、分からない単語が死ぬほどある。とりあえず全部辞書を引く。ちなみに辞書を引くとき、単語の意味を深く知りたいときには「英英辞書」がオススメ。英語本来のニュアンスや、原義・なりたちなどを知ることができる。正解の日本語に早く辿り付きたい人には英和辞書がいい。
 私がよくわからなかったのは以下の四つ。

beware:気を付ける(beware of ~:~に気を付ける)
mock:あざ笑う/真似して馬鹿にする
doth:doの変化型(古英語)
feeds on~:~を餌にする、~を餌食にする

ハー むずかしいですね

力任せに直訳する

 辞書を引いたら、違っていてもいいので(ここが大事)、一度力任せに直訳する。このとき、日本語と英語の文法差異の都合から語順を変えたほうが自然になる箇所も見つけられるだろうが、なるべく最初はそのまま(日本語として不自然だとしても)訳すのが、個人的な好みだ。日本語として自然な語順に直すのは後回し。いつでもできる。
 これは、私程度の英語力でいきなりそれっぽく訳してしまうと、原文のディティールを逃すことがあるからだ。個人的な好みなので英語力や好みにそぐわなければ、しなくていい。

O, beware, my lord, of jealousy;
(ああ、気を付けてください、閣下、嫉妬には!)
It is the green-ey'd monster which doth mock
(それは、緑の目玉の化け物で、そいつはあざ笑うのだ)
The meat it feeds on;
(肉を餌食にして)

ぐちゃぐちゃですが、これでいいです。

itがなにかを考える

 英語は主語を原則省略できない言語だ。だから、翻訳するときは「it」がなんなのかしっかり見定める必要がある。ここをなあなあにするとまったく意味の異なる訳になってしまうからだ。
 itは、神とか天気とか、あるいは概念的なものだと脈絡なく唐突に出てくることがありえるが、そうでなければ大体は直前の名詞を指す。
 日本語だと主語の省略が当たり前なので、その感覚で察していい。文脈を読むということだ。ここは正直私は相当、勘である。よく間違えて後で直している。

It is the green-ey'd のit ⇒ jealousy
The meat it feeds onのit ⇒ the green-ey'd monster※1

※1:The meat it feeds onは詩形表現で語順が変わっていて「it feeds on the meet(it は肉を餌食にする)となる。
全行の「which doth mock(The meat)」 (肉をあざ笑う)と連結し「The meat」を省略するために前に持ってきているんだと、私は、思っている……思っている!

勘です。間違えたと思ったら引き返せばいい。

 ついでに「which」はmonsterに紐づく関係代名詞。懐かしいですね。ここまでできたら、それっぽくする。

それっぽくする

O, beware, my lord, of jealousy;
It is the green-ey'd monster which doth mock
The meat it feeds on;
ああ、気を付けてください、閣下、嫉妬には
嫉妬は緑の目玉であざ笑い、肉を餌食にする化け物です。

 それっぽくなった。以上です。終わり。できた。
 それっぽくするとき、なるべく力任せ直訳のニュアンスを落とさないことが肝心である。個人的には英語文法の語順もなるべく変えたくないのだが、それは言語の違いがあるのでほどほどに。

坪内逍遥の訳を見てみる

ここまで自分で出来たら、他のプロの翻訳を見てみる。反省会を兼ねて。

O, beware, my lord, of jealousy;
It is the green-ey'd monster which doth mock
The meat it feeds on;
おお、閣下、決して邪推(わるぢえ)をなさっちゃいけませんよ。
邪推は人の心を玩(もてあそ)んで餌食にする緑目玉(あおめだま)の怪物(ばけもの)です。

一部表記を現代仮名遣いに変更

 嗚呼、流石我らが逍遥先生、カッコいいですね。おみそれしました。いわゆる逍遥節については別のnoteでも書いたのでぜひ。

 逍遥訳の特徴としては

  • 嫉妬(jealousy)を「邪推(悪知恵)」と翻訳していること

  • The meatを「人の心」と翻訳していること

 特にこの二つが挙げられると思う。邪推という訳は逍遥ご本人も相当気に入ったらしく、翻訳書の前書きに相当する「緒言」において、私は「嫉妬」と「邪推」をどっちも使っているけれど、これは敢えて作中で使い分けたんだよ! 的なことを暴露というか、自慢していて、ちょっと萌える。
 こういうところを世間に隠さず晒す心理というか、実績と実力にもとづいた過不足ない自尊心の暴露みたいなもの、私が「文豪」と呼ばれる人たちを愛している所以でもある。

 またmeatを「人の心」と逍遥が訳したことについては、meatの原義が「食事または食物」という意味であること、またそこから派生して肉、あるいは「最も重要で不可欠なもの」という意味を持つためである。この意味合いは現在の英語でも残っているようだ。さらにmeatにTheが付き「The meat」となっていることからも、これが特別な単語であることは推察できる。
 つまり、英語の「meat」は、「心」と「肉」両方の意味を兼ね備えた単語なのだ。そして日本語には二つの意味を兼ね備えた完全互換性のある単語はない。
 ということは、どういうことか。
 meatを日本語に翻訳するときに、「心」と「肉」どちらの意味を採用するのか、翻訳者は選ばなければならない、ということだ。
「the green-ey'd monster」が玩び・餌食とする対象として(人間を玩ぶ上でよりダメージを与えられるのは)肉を選ぶか、心を選ぶか、人間の尊厳として最も重要で不可欠なものはどちらなのか……、怪物が狙っているのはどちらなのかを選択するとき、そこには必ず翻訳者の解釈、歴史の理解と同じくらい、翻訳者本人の価値観が反映される。
 翻訳者は、この選択を避けられない。

 翻訳は、ここが、面白い。

獣の仕業「オセロ」より

いいよね、翻訳。

 シェイクスピアは単語をすっとばしたり、二つの意味を持つ単語を使うことでひとつの単語で両方の意味を伝えて深みを出す手法が得意だ。
 だから、とにかく原文の台詞がすんげぇ短い。膨大な心理描写やエピソードを、ぎゅっと凝縮できるのはそういった行為の積み重ねである。そんで、その台詞回しが滅法かっこいい! 韻文も多分に使われていて、美しく、印象的で、強烈で、観客の直感と想像力を刺激する洗練された言葉たち。
 しかしこれを日本語に訳そうと思うと、どうしても長くなる。それにどう立ち向かうのかは翻訳家の腕次第。分かりやすく伝わることを選ぶのか、原文の手触りを残すのか。どちらが正解ということはなく、まったく好みの問題だと私は思っている。
 もしシェイクスピアに触れてみたい方がいれば、ぜひ複数の翻訳に触れてみてほしい。色んな翻訳家がそれぞれの感性で個性的な翻訳を多数世に出している。
 あなたの感性にぴったりくる訳者がきっといるはずだ。

 そして、ありとあらゆる翻訳を堪能してまだ足りないあなた、あるいは、どの翻訳もしっくりこないんだというあなた、ぜひ自分で翻訳してみてはいかがだろう。特に、一番お気に入りのワンシーンだけでもいいので、時間があれば是非原文、オススメしたい。
 詩に近く会話文が少ないため、今やってみた通り単語の意味さえ分かれば前後を知らなくても6割くらいは意味が分かるものが多い。そしてそのシーンが好きで粗筋もご存知であれば残りの4割は十二分に補えると思う。

 数々の名翻訳はもちろん素晴らしい。しかし、彼らの翻訳の意欲となったのが原文の素晴らしさであることは間違いないのだから。

獣の仕業次回公演のお知らせ

獣の仕業 第十四回公演
マクベス [Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,]
2022年10月21日(金)〜10月23日(日)
会場:シアター・バビロンの流れのほとりにて
脚本:W・シェイクスピア 翻訳:坪内逍遥
脚色・演出:立夏

  • 21日(金)20:00

  • 22日(土)14:00,19:00

  • 23日(日)13:00,18:00

  • ※上演時間90~100分※

チケット予約フォーム

劇場観劇と、配信視聴でチケット予約窓口が異なっています。

劇場で見たい方

  • 劇場観劇チケット:2,500円

  • 紙脚本付き+劇場配信チケット:3,000円

配信で見たい方(アーカイブ視聴)

出演

マクベス/Macbeth(武将)…小林龍二

マクベス夫人/Lady Macbeth(マクベスの妻)…雑賀玲衣
ダンカン/Duncan(スコットランド王)、ヘケート/Hecate(月と魔術の女神)…長瀬巧
バンクォー/Banquo(武将)…恩田純也 
マクダフ/Macduff(スコットランド貴族)…今村貴登
三人の魔女/Three Witches:
・第三の魔女/Third Witch、マルコム/Malcolm(王子、ダンカンの息子)…きえる
・第二の魔女/Second Witch、フリーアンス/Fleance(バンクォーの息子)…野崎涼子(salty rock)

第一の魔女/First Witchシートン/Seyton(マクベスの鎧持ち)…手塚優希

あらすじ・演出ノートなど詳細

感染症対策なども記載しています。

詳細は決まり次第noteやTwitter@kmn_chan_botでお知らせいたします。
Twitterでは公演関係者たちもおのおので #獣の仕業 #獣マクベス のハッシュタグで情報や稽古場の様子を投稿しています。ぜひご覧になってください。

獣マクベス公演関係者リストhttps://twitter.com/i/lists/1558797824996753408

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