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認知症おじさんとの苦闘。

「いい加減にしろよ、お前」

私は感情的になることのないよう、しかし〈憤り〉を表現しなければならなかった。

相手は自分の父親であってもおかしくない歳の男だ。実際、彼の二番目の子と私は同い年である。
彼は私の上司だった。

かれこれ三年ほど前、彼に認知症の兆候が現れた。
会社の恩情もあってだましだまし仕事を続けていたが、今年の四月、とうとう退職を迎えたのである。
定年まであと二年だった。

製造業の会社で、彼は現場の大黒柱と言っていい存在だった。
温厚な性格で人当たりもよく、技術面においても現場の人間はみな彼に助けられたことがあった。無論私もだ。

そんな彼がみるみるモノを忘れ、言葉を失くし、果ては無邪気な幼児のように変わっていく様を私はそばで見た。

「バイクと煙草がなくなったらもう死んじゃってもいい」

そう語っていた彼が運転免許を返納した時、私は半ば本気で彼が死ぬのではないかと危惧した。
なぜならバイクの運転は彼の唯一の趣味であり、そしてこれは推測に過ぎないが、バイクは彼にとって家庭から逃避する術でもあっただろうから。

彼は女遊びが原因で熟年離婚していた。
一度や二度のおいたではなかったようだ。シングルマザーとその小学生の息子を連れて遊園地に行った写真を私も見せられたことがある。
彼と同年代の同僚は呆れて言った。「あいつ、自分の家族とは一度も出かけたことなんかないんだぜ」
妻に全てが露呈して離婚することになった際も、そのことを同僚に話しながら彼はへらへら笑っていたという。

彼が家庭を省みなかったのか、あるいは家庭が彼を遠ざけのか、本当のところはわからない。
いずれにせよ、彼が昔から家庭の中に自分の居場所を作れていなかったのは確かだ。

私が入社した頃には女遊びに飽きたのか、年齢が卒業させたのか、彼に残された逃避先はバイクだけになっていたようだ。
そのバイクをも失って間もなくだった。彼は30万円もする電動自転車を買った。
その頃になると彼は午後から数時間のみのアルバイト勤務になっていたが、それでも毎朝七時には仕事用の作業着を着て家を出て、昼までずっとあてもなく走っているのだと言った。
本人の話しぶりからして、自転車が趣味になったというわけではないらしかった。
明らかに、彼は家にいたくないだけだった。


「この様子じゃ仕事をやめても会社に来そうだな」

会社の誰もがそう思っていた。そして、その通りになった。

彼は退職以後、毎日のように会社に現れる。
初めは大目に見ていた社員たちも、あまりに毎日のことなので注意するようになった。

「もうここへ来ちゃだめだよ」

しかし彼はへらへら笑うばかりで言うことを聞かない。
たちが悪いのは、彼はまだ話がまったく理解できないというほど知能は低下していないし、三十分前のことを忘れてしまうような記憶力の低下も見られないということだ。
現に自転車で出かけても自分で帰宅できるし、コンビニで煙草を買うこともできる。
つまり、ダメと言われているのをわかった上で、なお自分の願望を優先して行動するという幼児性だけが残っている状態なのである。

すでに退職した彼は部外者だから、原則として会社の敷地内に入れるわけにはいかない。
だが何度注意しても彼は(へらへら笑いながら)入ってきて、外に設けてある社員用の喫煙所で煙草を吸ったり、誰も喜ばないのに飴やらチョコやらを配ろうとしたりする。
特に問題なのは、会社に誰もいない早朝や休日にも彼が来てしまう点だ。これは完全に不法侵入である。誰もいない時に煙草を吸った彼が不始末をやらかし、火事でも起こした日には社員一同殺意を覚えるだろう。

しかしながら、私のほか数人を除いて現場の連中はあまり彼に近づこうとはしない。
前述の通り彼には仕事で世話になった人が大半だから、消え残る尊敬の念がそうさせるのか、あるいは単純に面倒事を避けてシカトを決め込んでいるのか。おそらくは後者だろう。
付き合いの長さで言えば全然大したことないのだが、私は彼と業務内容が重なる部分が多く距離は近いほうだった。ゆえに私は積極的に彼に声をかけている――というか、叱り役を買って出ているのだ。

抑制の利かなくなった彼に対して、会社の対応は「今後一切彼を近づけさせない」である。直観的にこれは正しい。そして、これは決して妥協できない目標である。
彼の家族(保護者)への苦情・意見は上司に任せるとして、私は言葉でもって彼に、我々の意思と意志を呑ませねばならないのである。
「来るな」「帰れ」と言うだけでも、その台詞を裏打ちする考えが私になければ自信を持って言い放つことはできない。

インクルーシブ社会という言葉がある。
社会的弱者を箒ではいて塵取りで集めて片隅に寄せておけば良いという時代でないのは明らかだ。
まず、彼に対し排他的な対応で本当に良いのかどうか考えてみた。

会社の穏健派には、口には出さないまでも「そんなに冷たくするのか? 三十年も勤めた元同僚なのに」という思考が透けて見える者がいる。
これはたぶん〈職縁〉に基づく共助の考え方で、同じ釜の飯を食った仲なのだから彼の行動を許容することが共同体の責任として一定程度ある、といった感覚だろうか。

ただ、彼はもう退職した人間なのである。
認知症の発症以降も三年に渡り会社で雇い続けたことがすでに共助的事実だし、会社にはもう彼の面倒を見る義理はわずかもないと私には思える。
会社は彼の居場所でも拠り所でもない。

知らない仲じゃないのだから、というのは結局のところ甘い同情心に過ぎない。
甘い同情心に過ぎないが、私も人間の血を引いているのでこれがわからないではない。
こうした気持ちと現実(会社として妥協できない目標)が相容れないのはなぜか、もう少し考えたい。

こんな本をひもといてみた。

認知症ケアでは、よく「寄り添い」が大切だといわれます。
では、寄り添いとは具体的にはなんでしょうか。
私は、「時間」「場所」「感情」の3つを共有することだと考えています。

つまり、相手の時間感覚に合わせ、相手と同じ場所に立ち、相手の感情に沿った対応をするのが「寄り添い」であるという著者の主張だ。

相手の信頼を得て、相手に良い気分でいてもらうための「寄り添い」。
こんなふうに接することができるなら、確かに同情心は満たされるだろう……。

なるほど、感情と現実が相容れないわけだ。

認知症患者の家族やケアワーカーの場合、寄り添うことがすなわち目標であると言っていい。
しかしそれ以外の人にとって、特に仕事中の我々にとって、彼のような人に寄り添うことは目標から遠ざかることにほかならない。
仕事をすることは経済活動であって、資本主義の日本においてそれは競争することと同義だ。
金を稼ごうと競争している中、とにかく時間をかけることが前提としてある寄り添い型のコミュニケーションを、まして部外者相手にしている暇などなくて当然ではないか。
休日に道でばったり出くわした彼に声をかけるようには、会社にやって来た彼に声をかけることはできないのである。


電動自転車に乗ってへらへら笑いながら、彼がまた現れる。

「会社はもうあなたの来ていい場所じゃないよ」
「すぐに帰ってください」

諭すように言い聞かせたが、効果が出ないまま数か月が過ぎた。
彼を会社から遠ざけねばならない。
この目標が動かない以上、あとはどんな言い方をするかの問題である。

理屈が通じない相手なのだから、おのずとひとつの結論に達した。
〈喝〉を用いるのである。
おっかない顔をして、乱暴な語を、大きな声でぶつける。
彼に嫌な思いをさせ、「もうここへ来たくない」という気持ちになってもらう。
私も人間の血を引いているので良心の呵責を感じるが、しかし自分の〈喝〉を裏打ちするだけの考えは巡らしたつもりだ。

だから、私は自信を持って言い放つ。

「いい加減にしろよ、お前」

彼は私から目を逸らし、やはりへらへらと笑っていた。