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ラケス

『ラケス』プラトン 三嶋輝夫訳  講談社学術文庫

本書、副題に「勇気について」とあり、手に取ったのですが、本書の主人公はやはり、作者の師であった哲人ソクラテスであり、そのソクラテスとラケス、ニキアスという歴戦の将軍二人を交えて「勇気とは何か」について語り合う対話形式の作品となっておりました。

最初は若者たちへの教育をめぐって、武術は必要か否かの議論からスタートするのですが、議論は勇気とは何かについて移り変わっていき、ソクラテスが二人の将軍たちの持論をきき、その勇気に関しての考察に対して、時に質問、反駁し、議論を深めていくのです。

ラケス、ニキアスの両将軍の論はなる程と思わせる点が十分あるのですが、ソクラテスは満足せず、その矛盾を突いていきます。

私自身も改めて「勇気とは何か」について考えながら、読み進めていきました。

結局、勇気とは何であるのか、結論は出ぬまま終わるのですが、ラケス、ニキアスの両将軍は自分たちが勇気と思っていたものがそうではなかったことを対話を通して、悟ります。

そして、ソクラテスは言うのです。

「共に学ぼう」と。

ソクラテス自身も勇気とは何であるかを知らず、無知であることを認め、若者たちとともに学ぼうと語りかけ、本書は終わります。

私はここにソクラテスの勇気を見ました。

己の非力、無知を認め、幾つになってもさらなる成長を願う男の姿にです。

ソクラテスがいれば、たちまち反論されてしまうかもしれませんが、あえて勇気を定義するのであれば、私自身は現在、「戦うことへの意志」が勇気であると考えています。

敵に対してでも、逆境に対してでも、無知、己に対してでも何であれ、戦う意志の有りや無しやが勇気であると。

そして、それが真なる勇気であるかどうか、死ぬまで問い続け、学び続け、実践し続けていきたいと願ってやみません。

しかし、まあソクラテスという男はイカした奴ですね。

一見、理屈っぽいのですが、その根底には何事にも動じない胆の太さを感じてなりません。

精神だけでなくその肉体も鍛えまくった人物特有の質量のある言葉として自分は捉えています。

腕っぷしも相当なものではなかったのではないでしょうか。

「このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)









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