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ワクワクする道に進もうと思ったわたしに響いた『グレート・ギャツビー』

結果が数字で表れる陸上競技を部活で中学から始め、大学まで継続。
社会人からは、これまで縁のなかったIT業界に飛び込みました。
そんな私は

まだまだできへんことが多い。
できへんことがあるのは嫌や。
何でもできるようになったら嬉しい。
何でもやればできるやろ。
もっと頑張らな。

ずっとこの姿勢で、物事に取り組んできました。

できへんことがあったら、それを克服できるように頑張る。
やってるときはしんどくても、鞭打って頑張って、できるようにする。
できるようになったら自分の成長を感じて嬉しくなる。
ただ、うまくできるようになったとしても、
自分よりもっとうまくできる人や明確な結果を出している人を見ると
「ああ、まだまだおれはあかん。もっと頑張らな」と思って、ここまでやってきました。

そして今年、勤めている会社の人不足もあり、
5月あたりから、初めての業務がたくさん降りかかりました。
これまで通り、何でも頑張る姿勢で全ての業務に取り組んだところ、体重も減り、帰宅時には、ぐったり。
そのころから、「このままやと、もたない。この状態はなんかおかしい。」と思いました。

「おれにも向き不向きはあって、うまくできへんこともあるし、ワクワクせえへんものもある。生きているうちで、できることには限界がある。ワクワクせえへん不向きなものをひたすら鞭打って頑張るのはしんどい。」という思いにいたり、
「消耗するものをできる限り避けて、ワクワクするものに注力していこう」と強く思いました。

そんなことを思っていたわたしが自分の本棚を眺めていたとき、
ふと目に留まった本が『グレート・ギャツビー』(フィツジェラルド、野崎孝訳、新潮文庫)でした。
大学生のときに購入し、最初の30ページを読んで、「うーん、だらだらした感じで全然おもんないなー」と思って、最後まで読まず、ずっと自分の本棚に並べたままでした。

本棚から手に取った『グレート・ギャツビー』を開き、最初の数ページを読んでみました。
すると、大学生の自分には響かなかった言葉が、そのときのわたしには、ずしんと響きました。

一つには、読むべきものがたくさんあり、それにあふれるばかりの健康は、無理にも引きとめなければ、若々しくも香しい外気の中にとびだして行こうとする。ぼくは、銀行業務やクレジットや投資信託に関する本をいっぱい買い込んだが、・・・(中略)・・・他の本もたくさん読もうとする高邁な意図も持っていた。

「これ、おれのこと言ってるやん」と思いました。
何でもできるようになろうとする自分のことが書かれていると感じました。

専門家の中でももっとも数少ない「円満なる人間」という専門家にもう一度なろうとしていたのだ。これは徒に警句を弄しているのではない。 ― 結局のところ人生は、1つの窓から眺めた方がはるかによく見えるのである。

「アドバイスや、これは」と思いました。
「自分のワクワクするところに注力しいや」というアドバイスをもらっているように感じました。

数ページの言葉に衝撃を受け、わしづかみにされました。

小説終盤の286ページ、287ページに書かれている「時間割」と「誓」の内容に、これまでの自分を重ねました。また、295ページの言葉は、わたしにとって一番響いたものでした。

大学生のわたしは、『グレート・ギャツビー』を全く読み進める気になれませんでした。
でも、今回のわたしは、『グレート・ギャツビー』に没入しました。

同じ本でも、本を読むときの自分の状態によって、響くか響かないかが変わることを実感し、自分に響く本と出会うタイミングは、積読していた本を自分の本棚から手に取るような、ふとした瞬間なんだろうと思いました。

読了後、すぐに最初のページに戻って、読み直していました。
「この本は、これから何度も読み返す本になるな」と思いました。

これまでずっと自分に鞭打って頑張ってきたけど疲れを感じている方、これからは自分のワクワクを大切にしようと思っている方には、ずしんと響く言葉が『グレートギャツビー』にはたくさんあります。
ぜひ読んでいただきたい1冊です。

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