見出し画像

アニメ『負けヒロインが多すぎる!』1・2話の感想



原作未読

今週末の低志会スペースのため鑑賞

低志会のアニメ感想会が、毎期のアニメを追う大きなモチベとなっています。いつもありがとうございます


じぶんは、いわゆる巷で言われるところの「負けヒロイン」キャラクターがめっちゃ好みである。『あの夏で待ってる』の谷川柑菜、『ダーリンインザフランキス』のイチゴ……

↑(「負けヒロイン」という語がここまで人口に膾炙する以前に書かれた思い出深い記事。当時これを読んで「やっぱり自分のような好みは凡庸なんだなぁ」と思ったものだった)

そういう嗜好の2次元オタクなので、わたしもこれまでnoteや各所で「負けヒロイン」という語を何の留保もなく使ってきたことは間違いない。

後輩女子、かわいいとは思うが負けヒロインとしてのハリボテ感が凄くて残念だった。振られたあとにいい感じにチャラ男に慰められてくっつきそうな雰囲気を醸し出すところまで完全にテンプレの域を出ない。

(あれ……? 「負けヒロイン」へのこだわりが強くて逆に安易に乗らない姿勢を前から取っているぞ……)


ただし、「負けヒロイン」という語が市民権をあるていど得てきた頃からだろうか、その逆張りとして、あるいはフェミニズム思想への接近・受容によって、現在のじぶんは、もはやこの語を何の留保もなく使うことはできない。(ので、本文章では「負けヒロイン」は必ずこのように括弧にくくって表記している)

ここ数年わたしは「負けヒロイン」に代わる語を考え続けており、「失恋キャラ」「片想いキャラ」あたりがまぁ無難であろうと思うのだが、まだ自分のなかでこれだ!という答えは出ていない。
(『ちはやふる』の真島太一がこの系統でもっとも好きなキャラクターのひとりなので、女性キャラ(「ヒロイン」)に限りたくない、というのが大前提にある。また、乙女ゲームっぽい構造のオリジナルアニメ映画『キミだけにモテたいんだ。』の感想では対義語として「負けイケメン」という単語を敢えて創作したが、それ以降ほとんど使う機会がない……)

というわけで「負けヒロイン」には並々ならぬ執着?面倒くさい感情?がありつつも、そこからとっとと脱却したいと思っている一介のオタクがアニメ『負けヒロインが多すぎる!』を観たらどうなるのか………… を、以下書きました。




7/25(木)

1話

うおおおお なんだこの美術と絵コンテ/演出!? 草薙の安心感
A-1 Picturesかぁ…… 『リコリス・リコイル』といい、最近のA-1はほんとすごいなぁ 撮影が凄いのか
学校空間の描き方に相当気合の入りようを感じるので、こちらも襟を正して観ざるを得ない。

てらまっとさんの言う通り、はじめのシーンが校内ではなくファミレスなのは注目すべきだろう。クラスメイトの八奈見杏菜と「目が合」ったのは、斜めで席が向かい合っているファミレスの席配置が可能にしたことであり、教室では起こりにくい。休み時間ならまぁ可能だけど、ここでは校外であることが重要。
(ただ、第1話冒頭からファミレスで女性キャラがフラれるTVアニメといえば1年前の『山田くんとLv999の恋をする』がすぐ思い浮かんでしまいはする……あれは素晴らしいアニメだった……)



女性キャラを男主人公が「負けヒロイン」だと初めて呼称するとき、「こいつ」という語も伴っているのが、「負けヒロイン」という言葉を使う者の心理をうまく表しているようで良い。実在の相手を「おもしろい」フィクショナルな戯画のなかの人物だということにする、侮蔑性と優越性と特権性と暴力性に基づいたひどくミソジニーなワードなので。

今のところいわゆる「おもしれー女」(これ自体ほんらいミソジニストの語彙だ)として八奈見さんは造形されているという印象で、「負けヒロイン」感は全然ない。メタ「負けヒロイン」をやるとベタなほうとは正反対になることをよく示している。あるいは、「負けヒロイン」性はそのベタさ、コミカルにならない切実さにあるのかもしれない。

「負けヒロイン」に関して自覚的なメタをやることで、その概念の批評を試みているのだろう。好ましく見れるかは分からないが、一定の意義はありそう。

ただ、ヒロインを「おもしれー女」そのものとしてコメディチックに描き、「冷静」な男主人公がそれを "客観的" にまなざして描写してツッコミを入れて……というボケ/ツッコミの非対称な構図はめちゃくちゃ父権的・女性蔑視的でキツい。ラノベのこういうところが嫌いなんだよな〜と、まったくラノベを読まない者からすると粗雑に判断してしまう。

それとも地続きな問題として、『冴えカノ』とかでも感じたが、フィクション内の人物が、当人にとって実在する他者に対して「ヒロイン」等の言葉を使う描写がほんとうに嫌い。こういうのってラノベ特有なのかな。エロゲではあんまり見ないような。
(エロゲは本当にヒロイン毎に√に分かれているので、作中で「ヒロイン」とメタ言及してしまうとあまりに身も蓋もなくなってしまうから? 一方で現代ラノベの一部には丸戸史明の存在などを考えるにエロゲメタを志向するものがあるようで、その立場では積極的に「ヒロイン」呼びをするのだろう)

たほう、八奈見さんは男主人公以外の男子に想いを寄せていた、ということを開始早々に見せつけてくれた(その事実の方が即振られたことよりも重要である)ので、彼氏持ちヒロイン好きのじぶんの琴線には触れている。想い人がいただけでも良い。


ここからどうなるのか。
「負けヒロイン」といっても、男主人公にフラれたわけではなく、モブっぽいクラスの男子の幼馴染としてそいつにフラれている。もしもここから八奈見と男主人公が急接近して想いを寄せるようになったら、彼にとって八奈見さんはむしろ「負けヒロイン」の対極の属性をもつヒロインなのではないか? じっさい、タイトル的にも八奈見さんがメインヒロインっぽい。幼馴染原理主義者としては「ドラマチックで運命的な出会いや急接近イベントが作中でいっさい描かれない」ことが重要で、それは自分のなかの(使いたくない言葉だが)「負けヒロイン」観にもある程度合致する。

というか、そもそも1話サブタイトルの「プロ幼馴染」という語からしてアレだよなぁ……「清楚系AV女優」みたいな自家撞着ワード。「プロ」の時点でもうそれは「幼馴染」ではない。アマチュア性が大事。「養殖」じゃあダメ。

つまり、「負けヒロイン」かどうかはヒロイン個人のもつ属性傾向ではなくて、「誰にとっての」 "負けヒロイン" かという、視点人物=物語のパースペクティブに根本的に依存している性質なのだろう。

男主人公がファミレスで「第三者」としてクラスの男子と女子の告白や失恋(をコメディチックに誇張したもの)を目撃する構図はそのまま、フィクションのなかのキャラクター達の恋愛劇を作りものとして鑑賞し、作中の失恋者に「負け」というレッテルを貼る(=暗黙理に恋愛劇を勝敗のあるレースかバトルだとみなす)特権的な部外者である読者/視聴者の立ち振る舞いと同型である。

つまり、ある人物を「負けヒロイン」と呼ぶことができるのは、彼女に対して特権的な立場にある者に限る。本当に研究の対象とすべきは「負けヒロイン」ではなく、「負けヒロイン」という言葉を用いている人々──自らが対象化されるなどとは微塵も思っていない人々──であろう

これはもちろん、例えば「売女」のような直球の性差別語で呼ばれる女性たちの分析ばかりをするのではなく、そうした差別用語を用いる人々(男たち)が、それによって何を温存し強化しようとしているか、を分析の対象とすべきである…… と次第に明らかにしていった第二波フェミニズム(であってる?)の成果を汲んだ主張である。

以上を踏まえると、はじめ、画面のこちら側の「われわれ」視聴者のように、作中の人物に対して「負けヒロイン」とか暴力的にラベリングして無自覚な特権性を享受・謳歌していた男主人公(まだ名前覚えてなくてごめん)が、自らがそう定義した「負けヒロイン」たちと交流して仲を深めていくことで、その暴力性・特権性を自覚して解体していくハナシ……だったらいいな♪



ヒロインの言動(ファミレスでいっぱい注文して食べる)に対して「サラダに対する信頼感……」などと、男主人公がボソッと(自己完結的に)ツッコむのが、ニコ動のコメント(のノリをリアルの対人関係に持ち込んでしまう人)みたいでキツい。典型的なネット民。相手に聞こえなくてもいいと思って言ってそう。

ニコ動やネット上での「コメント」や、それこそ漫才の「ツッコミ」なんかがモロにそうだけれど、これらは目の前の相手に向けたものというよりも、それを客観的に傍観している匿名の「客」に向けて同意を求めるパフォーマンスとしての面が強い。漫才を聴いている客たちがいるからツッコミはツッコミとして成立するし、インターネット空間もそう。自分と同質な「誰か」が見ていることを前提とした、毛づくろい的な行為。そのとき、そもそもの発端となった言動をした相手(ボケ役=八奈見さん)は強烈に客体化・対象化される。客体化するためにこそツッコミをするともいえるだろう。


うおおおお  「これから毎日お弁当作ってくるね」イベントじゃん!! これぞ女性に家事労働を押し付ける家父長制の構造……! テンション上がってきた。八奈見さんがファミレスでお金を払わなかったのが悪い、とあくまでヒロイン側の罪滅ぼしのために、 "自発的" にそういう流れに持っていかせるのが本当にキツいですね。


幽閉部員だった文芸部に招集される。
吃りながら必死で喋るヒロインに対して、マイペースに「う〜ん……たしかにそうだったような……」と首を傾げながら思案する温水くん(名前覚えた)、ほんとうに目の前の相手に向き合っておらず、徹底して画面越しのコンテンツかのように接しているのが厳しいですね。。 アニメ鑑賞中の自分の姿を見せられているようで……(だからこそベタ/メタの次元は重要。自分と同じ位相の存在にまでメタに立って接するのは端的に失礼極まりない奴だ)

太宰と三島…… まぁこういうトーンの物語でのチョイスとしてはそんなに間違ってない気が。
「BL」を「ネタ」として使う直球のホモフォビア! なるほど、「負けヒロイン」消費がされる青春恋愛モノに強く深く内面化されているヘテロ至上主義という規範を自覚的に体現しなから炙り出そうという魂胆か。やるなぁ(白目)
今後、百合やBLの同性愛要素が(バカにされることなく)出てくるのかどうかが見ものだな。

なんだこのいもうと!? マジでいるんかい

ヒロインに金を借りる(貸しをつくる)描写は性癖だけど、金を貸すのは……うーん…… でも『海がきこえる』は大好きだしなぁ……

八奈見さんの造形、いわゆる「負けヒロイン」の「湿っぽさ」を徹底的に戯画化してネタにしているので、やっぱりぜんぜん「負けヒロイン」ではないというか、「負けヒロイン」を馬鹿にするな!!!と叫びそうになる。いや、「負けヒロイン」という語への執着じたいをわたしはもう捨てたいのだけれど…… これを観てると、「そっち側」であることを思い知らされるというか引き戻されるというか…… 巧妙だなぁ

てかマジでなんなんだよその胸元の縦4連リボン!? 学年別カラーとかじゃなくて一人ひとり違ってるし…… 校則で制服の一部として指定されてるの?

安部公房生誕100年記念アニメ!?

あー…… なるほど、つまりこれは、各所の三角関係で失恋した「負けヒロイン」たちを、温水くんが籠絡しまくってごっそり囲い込んでハーレムを築く話か。最悪だ〜〜


うわっ 八奈見さん自身が「幼馴染/泥棒猫」論を語り出した…… 「プロ幼馴染」ってそういう意味!? 「幼馴染」に一家言ある「幼馴染(概念)警察」みたいなこと?

「泥棒猫」はまさに「売女」と同種の女性差別用語なのに、それをこうして女性キャラに率先して言わせるこの作品が……憎い!!! 

なぁ〜にが「知ってる? 女の子は2種類に分けられるんだよ」だ! なにが「極端な分類だね」だ!! 分けられる=分析されるのはいつも「女の子」で、その分断をつくっている真の主体であるところの「男」の存在は隠蔽される。今のところ、むしろ温水くんこそが「泥棒猫」ならぬ「泥棒男」だと思うんですけど……。

幼馴染」はほんらいジェンダー対称というかジェンダーレスな単語のはずなのに、このようにあたかも「女の子」のみに付属する属性かのように語られるのもマジで酷い。自分のなかで「幼馴染」とは、ある種の二者(以上の)関係に当てはまる属性であって、けっして個人の属性ではない。本当は「(ある男にとっての)幼馴染の女の子」という話なのに、カッコ内が省略・隠蔽されて、しかもこの発言を男キャラではなく女キャラに言わせることで二重に男性を無徴化していて許せない。

「負けヒロイン」とはあくまで特定の「誰かにとって」の属性であるのに、それをキャラ個人のものだと偽装している…という上記のことと同じ。

でも冷静に考えると、たしかに現実での「負けヒロイン」という単語の使われ方は関係主義的ではなくて、キャラ個人の属性として受容されて消費されているよなぁ。そういう点を見事にフィクション内に持ち込んで描いていると評価すべきか。

すなわち、本来は「振った者/振られた者」という二者関係の後者が「負けヒロイン」と名指され、その性質は前者の振った者(多くの場合は男主人公)ありきの概念だったはずだが、その男主人公の視点を(視聴者が)全面化=内面化することにより、その物語/作品内でその女性キャラは普遍的に「負けヒロイン」である、と見なしている構造がある……「負けヒロイン」という語の使われ方には。
ひじょ〜に勉強になります、はい。


1話おわり!!
ハァ〜〜(クソデカため息)
ようするに、失恋して傷心状態の少女(「負けヒロイン」)たちとひょんなことからお近づきになって手篭めにしていくハナシでしょ? 解散!!
「負けヒロイン」の涙を(その事情に直接は関係ない)男主人公だけが観測することで魅力的に描こうとする方針がほんとうに解釈違いです。「負けヒロイン」の涙は決してそんなものではない。

……でも、温水くんという男主人公がようは「われわれ」視聴者の暗喩であると解釈すれば、ぜんぶ整合はするんだよな。これまで「われわれ」は、失恋して人知れず涙を流す女性キャラたちを「観測」して「負けヒロイン」として消費してきたんだから。

それでも、わたしは温水くんという男主人公と視聴者(じぶん)を同一視するべきではない、絶対にそれはできないと思うし、そうしてしまったら、何か根本的なところが変容していると感じる。

八奈見さんが温水くんのほうを向いて笑うのがイヤなのかな。男主人公に見られていることを意識してほしくないというか…。
(これは、エロゲでじぶんが「プレイヤー≠主人公」派であることとも関連していると思う。「主人公」キャラだってあくまで物語の登場人物のひとりだという価値観のもと、そいつをプレイヤーの立場から客観的に好きだ嫌いだジャッジしまくりながら楽しんでいます)


冒頭と最後でリフレインされる温水くんのモノローグも理解できない。「高校生カップルが在学中に別れる割合は7割だ」「でももし僕の前に「負けヒロイン」が現れたらどうするだろう」云々…… そもそも「負けヒロイン」の話をしようとしている筈なのに、付き合った(「勝った」)人々の話から始めているのも前提がチグハグで引っかかるし、その文脈だったら、お前も思い切り恋愛してフラれる側になるべきでは?となる。なんで「負けヒロイン」と運命の出会いを果たしてイチャイチャ交流する側になるんだよ。それはまだ全然、王道の「青春」(=恋愛で上手くいかないこと)に参画してないじゃないか。

温水くんが最終的に、「……俺自身が「負けヒロイン」になることだ──」と覚醒してくれたら神アニメ。

「ラノベの主人公」という言い回しもほんとうに最悪。女性主人公モノのラノベの存在を無視するな!!!

(なお、偉そうにいいつつ私は女性主人公ラノベを人生で1冊も読んだことがありません。いや、桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない』をラノベに含めるなら1冊か……)



ひとつ興味深かったのは、八奈見さんが失恋を自覚して涙を流すきっかけが、校庭で走る同じく「幼馴染負けヒロイン」の檸檬ちゃんを屋上から見かけたことである点。ここからは、温水くんのようなマジでキショい「男主人公」に都合の良い磁場ではなくて、男たちから「負けヒロイン」などとラベリングされて徹底的に異化されて対象化されてきた女性キャラクター同士の連帯(シスターフッド)の可能性がたしかに示唆されていて、わずかながら希望が持てる。

しかし、『100カノ』とかにも顕著だけど、男主人公のハーレムラブコメにおいて、同じ男主人公に恋するヒロイン同士の絆──的な要素は、昨今の(シスヘテロ男性オタクにとって都合の良い)百合ブームを安易に利用した手段のひとつであり、同性愛を称揚するのではなくむしろ異性愛規範を強化する(ために恋愛"未満"の「百合」が搾取される)ものではないか?と懐疑的になる節もある。まぁ、「ヘテロ百合」が好きとか言ってる自分が言えたもんじゃないですけど…… ヘテロ百合三角関係は大好きだが、ヘテロ百合ハーレムは大嫌いってことかな。

うお~~~ エンディングいいねぇ パンクロック? いい曲
実写+手描きアニメーション加工のMVもすげぇハイセンスだ。。 
舞台のモデルは愛知県豊橋市なんだ。

北村翔太郎さん本作が初監督か。
マジで映像のセンスと技術はすごすぎる…………




2話

2話は焼塩檸檬ちゃん回か(なんだこのネーミング……) たしかCVが若山詩音さんだったよな。われら岡田麿里のオタクからすれば『空の青さを知る人よ』のあおい役としてお世話になった。。(彼女もほんとうに良い「失恋キャラ」だったなぁ…… あっネタバレごめんなさい💦)


健康的に日焼けしたスポーティな「負けヒロイン」の檸檬さん、なんか既視感あるなぁと思ったらあれだ、『秒速』2章「コスモナウト」のあの子じゃん!! ぜったい意識してるよな~~

おそらく各ヒロイン、複数の「負けヒロイン」をモデルとして混ぜ合わせているのだろう。それでいうと八奈見杏菜さんは、髪色も名前も完全に『なつまち』の谷川杏菜モチーフだよね。


オープニング映像もすごいなぁ…… めちゃくちゃポップでハイセンスだ。
ネクライトーキー「つよがるガール」 このへんは全然詳しくないけど、石風呂さんで「○○ガール」といえば「ゆるふわ樹海ガール」などのボカロ楽曲も連想される。「負けヒロイン」概念を持て囃す層はたしかにボカロファンとも共通してそう(ド偏見)


なんだこれ…… 冷却スプレープレイ ふつーに上裸になっとるし
想定よりもずっと性欲がド直球で包み隠さないな…… 映像がめっちゃカッコつけてるうえで、こういうコテコテの古めかしいエロ展開をされるとどう受け取っていいやら。性欲ありませんみたいな顔されるのが最悪だから、こういう方向性は歓迎すべきかもしれない

えっ!? 保健室の先生と担任の先生(この学校の同級生)は同性愛者で付き合ってるってこと? ふたりでよく保健室に来てたって……。それをわれらが差別主義者の温水くんは「この人頭おかしい」と一蹴。いやたしかに生徒にそんなこと気軽に話すのはヤバいが。
ともかく、このふたり二次創作人気すごそう(小並感

オムライスにホワイトソース追加で査定額アップ! ……こいつら楽しそうだな
「ぬっくん」とか呼ばれてるし檸檬と温水クンってもともと知り合いなのか。「幼馴染」ではないよな
この作品の男子はどいつもこいつも頭大丈夫か。とにかく人前で惚気まくる。
ギャグのテイストが基本的に合わないなぁと感じる
新潮社の『安部公房全作品』だ……ちょうどこないだ8巻を少し読んだやつ
三島と太宰の順番ってどういうことだろう  ・・・あっ、受け攻めの話か………… 文芸部絡みではずっと「BL」を差別的にネタにしているなぁ。保健室で「レズビアン」をネタにするように……。
妹(かじゅ)との会話も何もかもキツイ  豊橋って路面電車あるんだ

!!!
男性キャラが(年下の)女性キャラの頭を撫でる描写 ー100000000点
そして撫でられて「赤面」する描写 追加で ー1000000000000点
ここはさすがに撫でる手を払いのけた先輩グッジョブ

はぁ!?!? 素で声が出てしまった。なぁにが「やっぱり小鞠ちゃんかわいいなぁ。コトも少しは見習えよ」だよ!! マジで酷すぎる。価値観どうなってんだ。こんな奴を恋愛で取り合うのも、失恋して「負けヒロイン」になるのも、心底下らな過ぎてどうでもよくなってしまうレベル。

八奈見さんは自身の恋愛の境遇から、「幼馴染」属性の他人に甘く、「泥棒猫」属性の他人に厳しいのか。そして、八奈見さんと小鞠さんでは、同じ「負けヒロイン」でも、「幼馴染/泥棒猫」の関係が逆になっている、と。(マジで「泥棒猫」って言葉を作中に倣って使いたくなさすぎるな……代替語を考案せねば)

八奈見さんは1話ラストの屋上シーンでも泣きながらなんかパンみたいなの食ってたし、文芸部でもポッキー咥えてるし、食いしん坊キャラのなかでも細長いものが好きなのかな。のっぽパン厨の花丸ちゃんのように……

この白髪眼鏡男子は「鈍感系キャラ」だとかそういう「コメディ」に昇華できないほど酷いよ。二度と出てくるなよ
にしても、男子勢3人はラインで繋がっていたようだし、ここから何かひっくり返しがあるのか

!? 保健室の先生……なにしてるのこの人………… 温水くんではなく、こちらが恋愛群像劇を愉しむ視聴者のメタファーなのか?

しかし、1話ラストでも女性キャラ同士の関係が示唆されたように、この2話のクライマックスも(今度は「男主人公」抜きで!)保健室の先生が焼塩檸檬さんを「目撃」して教師として(?)背中を押す展開が描かれた。なんなんだろうな。ここの要素だけに賭けて、なんとか観るモチベを保っている。その意味では上手いんだろうなぁ脚本が。

えーと、今のところ、温水くんのハーレムになるのかは分からない…… むしろ、各ヒロインを温水くんがちゃんと好きになったうえで、それぞれが最初からの「好き」を手放さなければ……あら不思議! ものの見事に、温水くんが最低3回はフラれる「負けヒロイン」ならぬ「負け男主人公」になることができる!

ハーレムの逆、総攻め総フラれ(全敗)モノ…… そうだったらかなり性癖に刺さると思う。3回もフラれてくれるなんて……どこの小木曽雪菜ですか?? 期待してしまってもいいんですか?? 温水くんがそうなってくれたら、マジでちゃんと「青春」してるよ。これ以上ないくらい青春してるよ、と胴上げしてあげたい。

ポリアモリー的なラブコメって最近だと『100カノ』が強いけど、ハーレムではなく(男主人公が)対照的に「全敗」するんだったらマジで革命的だ。信じてるぞ……温水和彦…………

そうはならずに、失恋したヒロイン達が「転向」して温水くんへと恋愛感情を募らせるようなことになったら最悪だ。どうだろう。まだ読めないな。

あれっ ひょっとして・・・・・・わたし、このアニメをけっこう楽しんでる!?


2話までみた暫定では、全キャラ特に好きにはなれない。男性陣は勿論、女性陣も……。
し、コメディのノリも全然合わない。何もかもがノットフォーミー。
映像の質は高いけど、おはなしが合わなすぎて、大したものに思えなくなってきている。手垢のついた「エモ」を高水準でなぞっているだけでは?感がある。青春アニメ好きとして、こういうのは逆に認めたくない……という偏屈でしょうもないプライドががが。



第3話の感想に続く……




真島太一……

小木曾雪菜……

夏海里伽子……

真島太一……

森園わかな……

仁藤菜月……

やっぱり、真に「負けヒロイン」(なんていう生温い概念では収まらない「失恋」の真価)を追求しているのは岡田麿里だと思うの


あと、「幼馴染ヒロイン」と「負けヒロイン」はしばしば重なる属性だと捉えられがちですが、それこそ岡田麿里作品などの分析に基づいて、じぶんのなかで両者の違いをあぶり出したいですね。己の内でいずれの属性が優先されるのか。どんな関係にあるのか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?