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『負けヒロインが多すぎる!』6話までの感想


いやはや……あっという間に今期の覇権となっていますねぇ『負けイン』。乗るしかねぇ、この勝ち馬に!ということで、各話の初見感想をコピペしていきます。



1~2話の感想はこちら↑



8/7(水)

3話

小鞠さん、どもり気味で、スマホのメモ帳を相手に提示して意見を主張するのとか、コミカルでアニメアニメしい動作(これは全キャラそうだが)とか、『ここさけ』の成瀬順を思い出すな……。「負けヒロイン」の先輩

太宰の異世界転移モノって今期ちょうどあったよな……『異世界失格』
焼塩檸檬さんの日焼け水着姿えっちすぎる~~~ いちばん好き

……リア充がイチャイチャワイワイしとるだけや~~ん!!
ただ、映像・演出の質はすばらしい。温水くんのデフォルメ作画もすごく魅力的
なんというか、好きにはなれないけど、そんなに目の敵にして嫌うほどでもなく、そういうもの(ラブ・コメディ)としてあるていど楽しめるような気はしてきた。
そこで告白できるの凄いなぁ小鞠さん。



4話

これでメイン3人が全員ちゃんと振られて、ようやく「本編」開始。これまで傍観者だった温水じしんの恋物語がはじまる…………と思ったら、なんかまた八奈見さんの好きなクソ男がクソムーブをしに現れて、温水くんと八奈見さんの仲が回復、そして「友達」になる────って、これはラブコメとして長期的に延命するための舞台が整っただけじゃねぇか!!
「友達」として今後、おそらく八奈見さん以外の2人ともイチャイチャ楽しく過ごすんだろ?? ハーレムものであることは変わりがない。

いろんな女の子たちとイチャイチャ付き合いたいというハーレム願望と、恋人はひとりであるべきだという貞操規範の折衷案としての、いろんな女の子たちと「友達」として付き合って楽しい学生生活を送りたい/送る、という落としどころ。なにか変わっているようで、その実なにも変わっていないのではないか。それでいいのだと開き直っているのかもしれないが。。

まるで「恋愛」の「告白」のように「友達になってください」とお願いする行為は、告白という恋愛規範の歪さを、そこから友情にズラすことで浮かび上がらせるバトラー的なクィア・パフォーマンスとしても見れる気はした。

八奈見さんの「アタシに告白してもいいよ? 振ってあげるから」的な言動はものすごく刺さる……んだけど、八奈見さん自身のそうした振る舞いを全面的に好きになれるかはまだ分からない。よく練られた、計算されたキャラ造形だとは思うが……。

温水くんのポジション、存在、振る舞いがものすごく重要で、彼を認められなければこの作品は好きになりようがない。「負けヒロイン」を主題に掲げる以上、彼がヒロインたちとの恋愛関係にきちんと参入してドラマをやってほしい。そうでなければ、単にそれぞれで失恋している女子たちに都合よく絶妙な関係を結んで彼女らのおいしく消費できるところを総取りするだけの、いけ好かない野郎になってしまう。小鞠さんの「泣くからどっか行って」のように。

どうなんだろう、女性側が温水くんを早く好きになるべきなのか、温水くんが早く彼女たちを恋愛的に好きになるべきなのか。もうそれらが始まっているとも取れるし………… 
恋愛至上主義に陥らないことが難しい。でもわたしが悪いんじゃなくて、そもそもこの作品がそういうものを提示してきてるからしょうがないよね? こっちが悪い??


8/13(火)

5話

給料がそうめんって何!?!? 「末端価格30万」とあっさりお父様の給料が開示されてるのも泣きっ面に蜂

部室の大量のダンボール草  まったく触れずに進めるトーンでまっとうにコメディをやっている

なんかな~~~ やっぱりこの作品は基本的にいわゆる「おもしれー女」的なヒロインをたくさん散りばめて、女性ボケ/男性(主人公)ツッコミの構図を敷いているのが本当に合わないな。「負けヒロイン」を戯画化・客体化しまくっている。
逆にいえば、自分にとってのそれは客体化ではなく強烈に自己同一化できる存在なのだろう。「わたし、小木曽雪菜だ・・・」みたいな。むろん、八奈見さんらも切実な姿を見せてそういう風な魅力を発揮する場面は多々あるのだろうけど、普段の様子がこれだと、それは単なるギャップ萌えではないか?と思ったり。。

あとは、やはり温水くんの設定・描き方だよなぁ だいたいは「ヒロイン」達の言動に冷静にツッコむ役割を負わされていて厳しい。
逆に「温水=ボケ/ヒロイン=ツッコミ」の場面ってあったっけか。観返さないと分からないけど、基本的には温水くんが「ボケ」に回るのはエロハプニングとか性欲関連であり、「おもしれー男」とは名指されない。
(そもそも「おもしれー女」という言い回しが成立するのに「おもしれー男」とはほぼ言われないこと自体が女性性の有徴化と男性性の無徴化という性差別の産物であり、それにくわえて(無徴化/権威化された「男性」から)「おもしれー」とレッテルを貼られる女性の言動や性格のチョイスもまた極めて歪んでいる。翻せば「「おもしれー女」とは思わない女」が一般的であるという規範意識の押し付けがあることも事実であり、三重・四重くらいに酷いフレーズである) ←作中で一度も出てきてないフレーズでこれだけ作品を批判した気になっているのすごい・・・・

小鞠さんと焼塩さんがマジで一緒に走って仲良くなってるの良いな  おぶって帰ることもあるんですってよ!

ぬっくん「あのリボン、ああやって着けるのか……」
視聴者ぼく「あのリボン、作中でも「あのリボン」として認識されてるのか………」

八奈見さんもだし、妹のかじゅもそうなんだよな~~ 温水くんがツッコむことで成立するキャラクター造形、という感じが嫌。

お、さっそく温水を戯画化=「ボケ」とするシーンが来た! 「女子とデート」の興奮で顔の画風が変わるだけでなく、路面電車が火花を散らしながら爆走する演出はセンス良いなぁ。映画『傷物語 Ⅰ〈鉄血篇〉』序盤のエロ本を買いに行く阿良々木くんを思い出す。

ただ、男主人公を「ボケ」としても、それに誰か(女子らが)冷静にツッコむことがなくて惜しい! むしろ、続く八奈見さんの「世界なんて、滅べばいい」でやっぱり「ヒロイン」をボケに回して温水くんが「よし!これはデートじゃない!」と、自嘲気味に笑い飛ばすことでまたツッコミに回っている。

あ、失恋した側だけでなく、成就した側の(男子と付き合っている)ヒロインも同じようにツッコミどころ満載な造形で描くわけね(朝雲さん)。
なるほど~つまり本作のヒロインのおもしろさ(ボケキャラ感)は「負けヒロイン」性とは何の関係もなく※、むしろ「女性性」というか「ヒロイン」性である、ということか。まぁ確かに「ヒロイン」という語の時点で陰に陽に、男性目線での客体化・戯画化という暴力性が内在しているので妥当だが…………。
※「何の関係もなく」と言っちゃったけど、ここで朝雲千早は彼氏の浮気を疑って暴走しているわけで、「失恋」そのものでなくとも、それを予感させる危機的な状況にいる「ヒロイン」をコミカルに描いている感じはある。

お~~~ またもや温水くんが冷静にツッコまれる側のシーン! 自室に飾ってある美少女百合タペストリーをクラスの女子に見られていたたまれなくなる男子の愚かさをコメディとして描く。やはり性欲・エロス関係ですね、温水くんがツッコまれる側に回るのは。
とはいえ、ここで八奈見さんは温水くんの「変さ」を笑ってやろう、ツッコんでやろう、という意識はなくて、あくまで無知で素朴な非オタク女子の(タペストリーに対する)ツッコミをしているだけなのは押さえるべきだろう。かつ、そうした温水くん(のようなヘテロ男性オタク文化)にあるていど理解のある女性として朝雲さんやかじゅを配置し、彼女らのいちおう温水を庇うような発言によって余計に温水の愚かさが露呈されて追い詰めていく、という一連のコメディの流れがかなり秀逸だと思う。

やっぱコメディとしてかなり上等なものではあるんだよな。質の高いラブ・コメディであるがゆえに、「ラブコメ」ジャンルに内在する本質的な男性中心主義・女性差別性にますます嫌気がさしてしまうだけで。

ともかく、温水くんが他人からいじられてツッコまれる場面と、女性キャラ(「ヒロイン」)が温水くんから冷静にツッコまれる場面では、単に反転しているのではなく、明らかに差異があって、その差異の内容を細かく分析することが重要なのだと思う。「(われわれオタクの)男って結局こうだよね」という自虐風の性欲誇示のお笑いと、「いやこんな女が現実にいたら変すぎる」という規範の押しつけお笑いあるいは「女って結局こうだよね」という偏見の押し付けお笑いの違い。
……いや、そうなのか? 結局これはこう語っているわたし自身のポジションと偏見を開陳しているだけなのでは?? 「女性」が見て、本作の女性キャラ達の言動とその扱われ方にどういう印象を抱くのか非常に気になるが、視聴者の属性をあんまり持ち込みたくない……いやでも先述の通り「ラノベ」かつ「ラブコメ」として本作は明らかにターゲット層を絞って成功/成立している作品だから構わないのか?

お~~~ 八奈見さんの分類でいうところの「泥棒猫」側、すなわち非-幼馴染の女性キャラにも三角関係における失恋の葛藤、つまり「負けヒロイン」みを付与するってことか。『負けヒロインが多すぎる!』ってそういうことね。この時点で3人じゃなくて6人に増えた。
恋愛の「勝者」側にもこうした苦悩をさせる描写って珍しいだろうか、それともありふれているだろうか。「幼馴染-負けヒロイン」と対になるところの「泥棒猫-勝ちヒロイン」の葛藤心理描写の存在について。『ダリフラ』のゼロツーや、『なつまち』の貴月イチカなど…… 観返さないと忘れてるけど、こういういわゆる「メインヒロイン」達って三角関係とは別に大きな運命的な物語を背負っていることが多く、彼女らの苦悩描写の大半はそっちに費やされるのが一般的だという印象がある。
その点『WA2』は勝ち負けがつねに反転し併存する分岐式ノベルゲームなのでどちらの「ヒロイン」にも好きなだけそういう葛藤を与えられるし、そもそも分岐のない一本道の序章の時点で、どちらもが相手(恋の同性ライバル)のことを思いやって譲っていくような、勝っているのに負けているようなムーブをしまくってしまうことで泥沼化が始まってゆくので・・・・・・最悪で最高ってこと!(いつもの結論)
本作も少しでもそういう感じになったら嬉しい……そうだと期待させてくれるものはある。

5話おわり! なるほど……これは…………おもしろいかも!! 人間模様が交錯する群像コメディとして単純に続きが気になるし、一定のおもしろさは認めざるを得ない。

(続き次第で解消されることを期待する)現時点での不満点というか要望は、まず第一に、2人の女子から好意を持たれているモテ男(少なくとも3人いる)の自意識もあるていどしっかり描いてほしい、ここまで来たら! 朝雲千早のポジションのキャラもあるていど切実に魅力的に(≒「負けヒロイン」風に)描くのであれば、とうぜん同ポジションの他2人もそうしてほしいし(古都センパイはすでにやっていた気がする)、三角関係のさいごの一角であるモテ男3人も「は?なんだこいつ」と思ったままで終わらせないでほしい。八奈見さんをフった男については前話でちょっと描いていたけどまだまだ不十分。
でも、モテ男はどうあがいても「負けヒロイン」性は出せないのでは? 彼自身が失恋の可能性に触れない限り。というか、たぶん、男キャラで仮にそういう魅力を出せるとしても「誰得?あくまでこれはヘテロ男性向けのラノベ/ラブコメであり、「負けヒロイン」を掲げる作品だから……」と、敢えてやらない気もする。わたしが本作を見くびっているだけかな。女がフラれるさまは見てて気持ちいいが男がフラれるさまなんて見れたもんじゃねえ、という色んな意味での性差別意識を根底に透かし見てしまう……これは完全にわたしの暴走・妄想です、はい。

わたしは真島太一のような「男の負けヒロイン」キャラも大好物だから、そっちに行ってくれると非常に嬉しい。既存の女男女の三角関係の内部でそれをやるのは不可能ではないが難しそうなので、他の三角関係に属する女性キャラにモテ男が矢印を伸ばして失恋するのはどうでしょう。さすがにややこしくなりすぎて自分のようなN角関係厨しか喜ばない気もするが、3×3の九角関係モノ、見たいな~~~~
つまり、例えば、焼塩さんと朝雲さんの2人から好意を寄せられている綾野くんが、実は八奈見さんを好きだったり…………(ここで失恋しているほうの女子を選ぶのがミソ)(でも綾野くんは朝雲さんが好きなんだよね?残念!) 

ともかく、綾野くんのようなモテ男ポジションの男子キャラを舞台装置として形骸的に描くのではなく、女子キャラにあるていど肉薄するくらいにはしっかり魅力的に見せようとしてほしい。結果的にこちら側が好きになれなくても、魅力的に見せようという姿勢が感じられるだけでもいいから。(←クソ偉そうでワロタ)


あとは…… 3×3角関係の外側かつ絶妙な位置にいる男子主人公の温水くんの扱いですよね。温水くんに失恋させたり、そこまでいかなくとも失恋の可能性を与えたりするのか、そこがポイントだ。
前話で、あくまで温水くんは八奈見さん達とは「友達」でありたいから恋愛には参入しません、「負け」も「勝ち」もありません、ということになったのだとしたら、やはり本作は、女性キャラを手あたり次第「負けヒロイン」化しまくって、男性キャラはモテ男として「勝つ」か温水くんのように勝ち負けの「外」に身を置かせるか……という、きわめて性別二元論的な、男女キャラに関して対照的な扱いをするハナシということになってしまい、認めがたい。とはいえ、現段階ですでに、そういう構造のままに群像劇のおもしろさで持っていかれかけているので、どうなることやら。

温水くんが八奈見さんとか誰かを好きになって失恋してくれたらいちばん良いけど、そうではなく温水くんが(わたしからすると)ズルい「友達」ポジショニングを維持しながら、その嫌らしさよりもおいしさ/おもしろさが勝る物語を紡いでくれそうな気がしている。続きが楽しみです、はい。

新エンディング! 4話ごとに3人のメインヒロインの歌唱イメソンカバー楽曲が交替していく構成ね。
この曲も知らなかった。MVの絵柄が特徴的。今風。



8/25(日)

6話

ぬっくんが綾野に疑われる展開はあっさり解決
5人でデート。八奈見さん謎参加w 地下資源館ではしゃぐ皆さんかわいい 豊橋のいい宣伝
5人でいるときもカップル2人は別行動になるように気を遣う周り。「恋人」関係の社会的な規範の歪さ

うおおおおなんだこの三角関係茶番劇! 大好物です そこからこぼれ落ちる失恋ヒロインのケアにすかさず走るぬっくん。お前はなんなんだよ。おこぼれもらおうとしてるんじゃねえ! 「焼塩には追いかけてくれる主人公はいない」じゃねえよ! お前だろうがよぉ! マジでずっとこの感じでいくのか?
「負けヒロイン」のケアと称して女子とお近づきになり交際しまくる男子主人公のぬっくん。おもいっきり「ヒーロー」じゃんね。英雄は嫌いだからわたしは温水くんのことを受け入れられないのだと思う。ちゃんと恋愛劇に参入しなければ。そのヒーローの暴力性が今後、「負けヒロイン」ハーレム展開から嫉妬されることで顕わになるのかな。

夕暮れ、入道雲、バス停、焼塩さん…… すばらしい映像。ぬっくんが走ってさえこなければ…………
傷付いた奴の側にいてあげようとしてるのは良いことかもしんないけどさ、でも真の「負けヒロイン」は、ひとりで泣く者だと思うんだよ。少なくとも石動乃絵や相生あおいはそうだったぞ。「誰かが付いててやらないと」と思うのは優しさであると同時に、彼女の強さを見誤っているのではないか? ひとりで泣くことってそんなに他人から哀れまれるようなことかなぁ。もっとも崇高なことだと思うんだけどな。「負けヒロイン」好きってみんなそう思ってるんじゃないの? この作者はそうは思っていないようで、ひとりで泣かせるのは可哀想だからなんとしてでも「救って」やるぜ、というスタンスのようで、やっぱり根本的に「負けヒロイン」観が合わねぇ!(いや、そんなものそもそも持ちたくねぇ!)

でも、これまでのフィクションでひとり泣いていたヒロインの傍には、ぬっくんはおらずとも、その光景を収めるカメラがあった。「負けヒロイン」の窃視者としての視聴者。温水は〈カメラ〉代わりなのだといえる。これまで「ヒロイン」を盗み見て消費していた〈カメラ〉の特権性を遡上に乗せて、あくまで作中人物(男主人公)として相対化したのが温水和彦である、と。つまり、三人称の〈カメラ〉の特権性が一人称の〈男主人公〉の特権性へと密輸入されているというか、部分的に受け継がれているといえる。

果たして、メタな位相から、泣いている「ヒロイン」をこっそり隠し撮るカメラ(=「負けヒロイン」消費者)の嫌らしさと、ベタな位相で「負けヒロイン」たちのケアに走って弱みに付け込んでハーレム体制を築いていく男主人公(=「負けヒロイン」救済者)の嫌らしさは、どちらがマシなのだろうか? そもそも比べるようなものなのだろうか?
わかんないけど、個人的な感覚としては、じぶんは前者のポジションなのでそちら側を支持せざるを得ないし、ひとりの男(-主人公)が女(ヒロイン)たちを救っていく構造には忌避感を覚えてしまう。いや、ぬっくんはまだ彼女らを救うようになるのかは分かんないけど。むしろハーレム体制をいったん確立したあとに、そこで多角関係の二次-恋愛群像劇が発生して、温水の庇護下に移ったけどこっちでも結局恋は実らない=救われないじゃん!※となるのかな。そこで失恋してひとり泣くために駆け出した者を追いかける奴はいるのかな。温水に対して失恋してひとりで泣いたら、そのとき真に「負けヒロイン」になったとはいえるだろうな。

※「恋が実る=救われる」という定式を無批判に採用してしまっているが、とうぜんこれは間違っている。本作は今のところ、失恋しても恋愛以外の「友情」などで楽しく青春を過ごす(救われる)ことはできるよね、という方向に進んでいる。また岡田麿里なんかは更にラディカルで、むしろ失恋することが救済であり自立した人生の始まり(誕生)である、というテーゼを色んな作品で追求している。だいちゅき♡ ヒロインが「ひとりでいること/ひとりで生きていくこと」が性癖なのは岡田麿里から植え付けられたのかもしれない。本作は今のところ、ヒロインをひとりでいさせずに、つねに温水という男子を傍に付けさせているのが気に入らない点だということだ。ぬっくんはお家にこもって妹ちゃんとよろしくやっててください。

歩道と車道の段差にフォーカスした演出めちゃくちゃいいな~~
ぬっくんと別れたあとバス車内で焼塩さんはいっぱい泣くんだろうな。つまり、従来の〈カメラ〉が温水に代替された本作では、ひとりで泣くヒロインがいないのではなく、ヒロインがひとり泣くシーンは映されないってこと……? むしろ禁欲的だともいえるわけか。なるほど~~~むじぃ~~~~(評価が)

豊橋どころか愛知県観光アニメになっている。実在の地理をうまく使った作劇……エロい!!

こいつらなにやってんだ…… 「腐」という差別用語を用いて、物質(土産物)の受け攻め談義をする小鞠さんと古都先輩。ここのライバル関係のふたりは同志でもあるのね。だからこそ解釈違いで譲れない戦いが勃発するやつ。

でも、ラブコメ群像劇で相関図を描いて「負けヒロイン」とかいってはしゃいでるのも、BL(やおい)の妄想と同質のキモさ、危うさがある。つまり、男→女の向きの加害性の反転・反抗としてのこうしたBL好き女子描写があるのだと読むこともできるかもしれない。いいぞ、どんどんやってくれ。「男」を単なる傍観者・消費者に留めておくな。どんどん客体化・対象化してくれ。

じっさい、こういうラノベ等のラブコメ群像劇での主人公を含む男子キャラ同士のBLカップリング二次創作ってどれだけ盛んなのだろうか。少年マンガでは大人気だけど、ラノベでもある程度は盛り上がってるのかな。

先輩くるま運転できるの!? 初心者マークつけてる
こいつら楽しそうだな……(定期) 八奈見さんが完全にいじられボケキャラになってる
小鞠さんかわいい。無表情ヒロインすき
焼塩さんはいつも純心にはしゃいでいて魅力的だなぁ
古都先輩ちゃんと先輩してて良い 運転お疲れ様です
元大学教授のおばあ様……! 真ヒロイン来たな 山中にひとり暮らし。完全に人生あがってる人だ、こうなりたい
専門はなんだろう
女5:男1でのお泊り会。ヤバすぎる

6話おわり!
ラノベが思春期の男子の妄想を具現化するものだとすれば、温水のポジションはめちゃくちゃ羨ましく、まさしく理想的な楽園を視聴者に提供している。すごいと思う。

ただ、この楽園(ハーレム)を成立させるために下敷きとなっているのが、3つもの三角関係と3人の「負けヒロイン」たちだと思うと、素直に享受しがたいんだよな。なんでだろ。

三角関係モノをちゃんとやるのであれば、こんなハーレムなんか作らずに、もっとグチャグチャしててほしい。逆に、開き直ってこの楽園をやっていくのであれば、「負けヒロイン」どうこうとか要らなくね?と思う。恵まれた高校生たち──「主人公」の男子ひとりとそれを囲む数多の女子たち──がワチャワチャする夢想的コミュニティをずっと謳歌してろよ、と。

でも、後者だけを最初からやることはできないのがラノベなんだろうな。それでは単なる陽キャ集団の話になってしまう。オタク向け作品ではない。だから、根暗オタクに夢を見せるために、「負けヒロイン」という建て付けから始まって、こうしたハーレムを成立させる必要がある。なるほどまさしくよくできたラノベでありラブコメだ!! でもわたしはラノベもラブコメも好きではないので………… とても面白い作品であるというのは認めつつも、これを受け入れることはできない。これを心から楽しむのは自分が許さない。


→ 7話以降の感想へ続く……




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