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熊の飼い方 48

影 26

 瞼が自然に落ちてくる。この重い瞼を自分の力ではどうすることもできないというもどかしさだけが残る。こういうときには必ず失敗をするものである。案の定、流れてくるものを見逃すというミスを繰り返してしまった。
必死に耐えた午前中だったが、お腹が空いてくると不思議と目は冷めてくるものなのだ。
 食事前に、無駄な集中力を発揮した。その後、昼休憩に入った。ごっさんの隣に座る。
「にっしーさん好きな人はいらっしゃいますか?」
「いえ、いないです」
「すみません。変なことを聞いて」申し訳なさそうにごっさんは言った。
「奥さんとはどうやって出会われたんですか?」僕は、このまま会話を終えてしまうと気を遣わしてしまうために、質問をした。
「出会いですか……。そうですね。そんなに運命的な出会いではないんですけど、大学時代の時ですね。サッカーのサークル入ってて、そのマネージャーだったのが妻で。最初は、僕はサークル同士で付き合うのは嫌だなと思ってたんですけど、帰りとか一緒だったし、遊ぶ頻度も多くなってきて、自然と付き合う流れになったと言う感じですね。結構恥ずかしいですね、こんな話するの」
「いや、素敵だと思います」
「ありがとうございます。まあ、でも妻とはもう別れてるんですけどね」
「変なこと聞いてすみません」
「いや、いいんです。結婚前はよかったんですけど、子どもが生まれた後は、僕も仕事が忙しくて、妻に育児は任せっきりだったんです。育児のストレスですかね、子どもと三人で暮らしてたんで、妻も発散するところが無かったんでしょうね。ひどく怒りっぽくなって。娘が三歳になった頃には、娘を残して行っちゃいました。あっけないですよね。そこから、必死で育てました。育児ってこんなにしんどいんだって感じました。今気づいても遅いって感じしますよね」
 ごっさんは時に笑顔を見せ、時に悲しい顔を見せて話した。その大切に育ててきた娘が亡くなったことには触れないようにしていたが、明らかに悲しみが見えてきて、心臓が何本かの鞭で締め付けられるように感じた。そして、今日も自分の過去を語ろうと思ったが、ますます語れなくなってしまった。
 それと同時に違和感が残った。妻と別れた?この前は妻に先立たれたと言っていたようだったが、今日は別れたと言っている。この前は言い間違えたのだろうか。
 辛い状況が積み重なっているので仕方ないのかもしれないと思い、忘れることにした。


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