負の感情の利用

負の感情

とにかく正の感情を抱く機会が少なすぎる。そんな負の感情を抱くことの方が圧倒的に多い自分が、精神を安定させ、日々を少しでも充実したものにするためには、正の感情だけでなく負の感情も利用していく必要がある。だから無意識のうちにそうやって過ごしてきた。

負の感情は抱かないというのが理想だ。しかし、現実はそうはいかない。至るところに負の感情の種は落ちている。心の隙間に入り込み、いつの間にか芽を出している。このままでは心が奪われる。

負の感情を抱く理由

人間嫌いな自分は、実際に人を嫌いになるスピードがとてつもなく速い。
会って話してすぐ「嫌いなタイプだ」と分かる。自分の判断が間違っていた、ということもほぼない。親の影響か、とても人の心に敏感だからかもしれない。
初対面ではいい感じでも、そのうち「あーあぁ。そんな面もあったのか…。無理だ。」というように、嫌いな人リストにどんどん追加されていく。

自分でも引くが、どうしてもこう思ってしまう。

どうして完璧に演じられないのか?
感情的になってしまったとしても、なぜ悪い面をわざわざ見せるのか?
悪い面とは、人を傷付けるような言動のこと。悪口を面と向かって言うなど。
○○(筆者)なんてその程度(悪い面を見せられる、そんな扱いを受けて当然)の人間だ、とでも遠回しに言いたいのか?

いくら人が嫌いでも、それを表に出すようなことは自分はしないようにしているし、冷たくしすぎや優しくしすぎを避けつつ動いているつもりだ。

人に悪い面を見せて怖くないのか?
恨まれたり、蔑まれたりする可能性があるのに。
○○(筆者)は無害、何もしてこない、とでも?ふーん…
何かを意図してやっているのか?嫌いなのか?

だったら離れた方がいい、となる。

つまり、自分からするとあり得ないことを嫌いな人たちは平気でやっている。だから嫌いなのだ。
しかし、こうした嫌いな人には利用価値がある。

負の感情の利用方法

「嫌い」などの感情を表に出す人は、扱いやすい気がする。ありがたい。何を考えているか、たとえそれが演技だとしても、ある程度は推測することができるからだ。どう動けば操れるのか、計画が立てやすい。
感情が出せる人が羨ましい。そのくらい自分は感情を表に出すことができない。

従っているふりをして、優しく裏切ればいい。
自分の感情を出すことはできないが、「誰かのため」という偽の感情なら何とか出せる。結局「自分のため」になるからだ。そうやって乗り越えてきた。自分の本当の感情を隠すことに関しては大得意だ。

会いたくない。話したくない。関わりたくない。
この嫌いという感情からくる思いを、自分の方へ向けていく。

最近改めて感じたのは、「嫌いな人に嫌われるほど腹が立つものはない」ということ。
嫌いな人が嫌ってくれるんだから別にいいんじゃない?と思っていた。しかし…何とも思っていない人に嫌われるのと、嫌いな人に嫌われるのは違うことに気付いた。ストレスが倍になる。
嫌いな人に対しては、一方的に嫌う立場(自分が嫌っているとも知らずに…wと裏で笑ってやりたいこともある)でありたいし、できれば嫌っていることも伝わらないようにしてその場を去りたい。何も問題が起きないことを最優先にする。

あえて優しくして利用してから、一気に関係を断ち切る。
関わりたくないから、何も言われないように全力を尽くす。
好かれようと努力しているように見せ、その人について知り、避ける方法を考える。その場を離れてからは音信不通にする。

嫌っていると思われることなく、利用し尽くしてから、全てを終わらせるという快感。
嫌いな人と関わることも嫌いではなくなる。

負の感情に引きずられて、怒って人や物に当たるのは時間と労力の無駄でしかない。怒ると表で感情を爆発させるタイプの人間のことは理解できないが、人や動物にだけは絶対に当たるなと言いたい。心があるから。その心が傷付くから。

そんなことをしても何も解決せず、むしろ当たった人には恨まれるだろう。新たな敵を作ることになる。自分は当たられて恨んでいる側として、その敵の怖さを伝えたい。恨みは深く、消えないよ、と。
第一怒るとしても、激しく怒りながら注意された場合、怯えるか苛立つかで頭に入らないだろう。怯えると最悪の場合、トラウマになる。よっぽどのことでない限り、怒るメリットはない気がする。

それを分かっているから、自分はどんなに怒っても表に出さない。元々感情を表に出すことができないタイプだが、怒りだけは無意識のうちに出ていることもあるため、表に出さないように意識している。
それに、自分が怒ったところでどうにかなる問題ではないことが多い。

怒らないということ自体が、意思表示になることもあり、それは相手にとってのデメリットにつながる可能性がある。怒るべき時に怒らないのは見捨てるということだ。怒る方が優しいのか。怒られなくなったら終わりなのか。言われる前に自分で気付くことの大切さを伝えているのかもしれない。

結局、どうやって利用していくか?関係を終わらせるか?を考えて行動した方が、最終的に自分のためになる。
人や物を傷付けて無駄に消耗するのではなく、何事もなく切り抜けていきたい。

負の感情を正の感情へ

人間関係だけでなく、どんなことでも嫌いだから関わらない、やらないではなく、その嫌いという感情を何かに利用できないかを常に考えている。
嫌いであればあるほど、目標のために動く力が湧いてくる。やってやる!という気になる。

「嫌い」とか、「嫌われる」とか、負の感情が好きなのかもしれない。嫌なものに向き合って、避けるために努力すれば、変わることもできるから。
どこか遠いところから自分を見ているような感覚もあり、自分のことなのに他人事のように感じることがある。そんな感覚があるから、自分が苦しむような展開を楽しんでいたりする。

自分が苦しめられたり、追い詰められるのが、面白くて仕方がない。ほとんどの場合、どう考えても過去の自分のせいなのに、今から焦ってどうにか乗り越えようとしているのだから。あまりに自分が愚かすぎて、後悔と反省の後、笑えてきてしまう。
自分の不幸が自分のせいでなくても、これから自分はどうなるのだろうか?と絶望とともにドキドキ、ワクワクしてくる。もう感情がグチャグチャだ。

手の届かないものが幸福だというのなら、身近にある不幸の違う一面を見出して楽しむしかない。
さて、負の感情をどう利用してやろうか。
今日も考える。それが自分を成長させていく。

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