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太陽のようなハグをくれる先生

娘が通う幼稚園まで、車で10分。通園バスがないので、毎朝同じ道をかれこれ1年半送り迎えに通い続けている。緩い坂道をのぼり、角を曲がって園舎の正面まで来ると、職員さんが近づいてきて車のドアを開ける。

何度繰り返しても、この瞬間が苦手だ。

通い始めて1年半が経とうという今でも、ドキドキしながら、職員さんに手を引かれ歩いていく小さな背中をじっと目で追ってしまう。

そんなとき、幼稚園の入口で周りが振り返るほど大きな声で娘の名前を呼ぶ人がいる。両手をめいっぱい広げて満面の笑みでしゃがみこみ、歩いてくる娘の顔を愛おしそうに覗き込んでいる。

職員さんと手を繋ぎ園の入口までやってきた娘が、彼女の腕に抱きしめられながらちょっと恥ずかしそうに笑っているのが見えると、わたしの心も晴れ渡っていく。

それは、どんな言葉よりもしっかりと、「大丈夫」を感じさせてくれるハグだ。

幼稚園には、いま娘以外の日本人はいない。園生活の大半をスペイン語で、残りは英語で過ごしている。

先生から様子を聞く限り、言われたことはほぼ100%理解していて、意思表示や受け答えはしっかりできるけれど、普段日本語でしているような「おしゃべり」はまだできない。けれどわたしは、娘にとってそれが大なり小なりストレスになることを承知の上で、この園を選んだ。

ラテンアメリカ協会のHPによれば、スペインによる植民地支配を経験しているこの国の人種構成は、人口の約60%が混血で、約21%が先住民、スペイン人を主とするヨーロッパ系が約18%だ。実際に街を歩いていても、目も肌も髪も体つきも、ずいぶんとばらばらに感じる。何より幼い頃からずっと"隣人は自分と違って当たり前"な環境で育ってきた彼らは、人種差別をほとんどしない。どこに出掛けても、じろじろと見られることもなければ、不快な言葉を掛けられることもない。

そんな「メキシコ人」をベースに、インド・メキシコやオランダ・メキシコといったダブルルーツを持つ子、そして中国や韓国のアジア出身者が数名加わって、娘の幼稚園はまさに「十人十色」状態だ。マジョリティとかマイノリティではなくて、一人一人違う。

この環境が幼い娘にとってあまりに貴重に思えて、いまの園を選んだ。言葉のハンディキャップは可哀想だけれど、それよりも「多様性」を学ぶ前に体感してほしかった。

とはいえ、通うのはわたしではない。言葉のハンディがあっても、娘はハッピーに過ごせているのだろうか。本人がハッピーじゃないなら、意味がない。園生活が始まってからも不安を抱えたままでいたわたしの話を、全部そのまま聞いてくれたのが冒頭の「ビッグハグ先生」こと、ミス・ガビーだった。

「本当に不思議なんだけど、2歳、3歳の子ども同士って、言葉以外の方法でコミュニケーションできちゃうのよ」

「娘ちゃんはクラスメイトや先生たちからすごく愛されてる。仲良しの友達がたくさんもいる。だから安心して、彼女のペースでおしゃべりが増えてくるのを待ってればいいの」

ガビーが繰り返す言葉を、初めは半信半疑で聞いていたけれど、お遊戯会やお誕生日会でお友達とふざけあう娘を見るうち、少しずつその言葉を信じられるようになっていった。


いま娘は幼稚園も先生もクラスメイトも大好きだ。

それでも幼稚園の前で車のドアが開く瞬間に感じるドキドキは、消えない。たぶんこれから先もずっと、わたしが母でいる限り、消えないのだろう。

ミス・ガビーはそんな心のなかを全部知っているから、あの太陽のようなハグでわたしたちに伝えてくれている。

「娘ちゃんも、あなたも、そのままで大丈夫」と。

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