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仕事はアート、主観
スポーツは客観的に結果を共有できる。
たとえばテニスのサーブ
![](https://assets.st-note.com/img/1718923906049-pX17xcZaUI.jpg)
決まった
決まらなかった
誰が見てもわかる。客観。
ホームランになった
ならなかった
わかる。客観。
ところが仕事はあくまで主観だ。
忙しい
ひま
これも主観。本人がそう思ってるだけ。
「これだけのクオリティを出した。エラい、オレ」
と本人が思っていても
受け取った側が
「ふーん、この程度ね」
と思うことなんてザラだ。
仕事についての議論をややこしくしているのはここ。
そう、仕事はすべてアートなのだ。
だから
「わたしたちがこんなに忙しくしているのに、隣の部署はムダ話ばかりして笑ってる。不公平。プンプン!!」
というのが起こり得る。
仕事はあくまで各個人のアートであり、主観の世界。
なのにジョブ型雇用とか転職サイトの「スキル」ってのは「客観化できる」という誤った前提のもと設計されている。
職場はほぼ100%人間関係でできてる。
居心地の良さは
「わたしのスキルを磨くことができるか・できないか」
というスポーツ的指標では生まれない。
人間関係は、相手とのレスポンスの色で決まる。
ここで大事なのは、
レスポンスの色は自分発
相手が赤だから居心地悪い、そりが合わない
と思いがちだが、それは自分が赤発信してるからに他ならない。
こうなると哲学の問題であり、心理学のデザインの話なのだけど、スポーツのような客観を前提の議論するからおかしくなる。
元はといえばアメリカ発の仕事観、仕事への哲学が輸入されただけ。
日本人には合わないのだ。
仕事はアート、主観
相手との人間関係を決定づけるレスポンスは自分発
この2つを、あらためて見直すといいですよ。
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