見出し画像

社会が白くなってる

社会が白くなってる。

それについて書いた金原ひとみの作品があった気がする。

『アンソーシャルディスタンス』だったか。いま確かめようとしたら見つからない。

社会が白くなってる。

岡田斗司夫さんは「ホワイト化」と言っておられる。同じ意味だろう。

義父(妻の父)は印刷会社経営で、羽振り良かった。北新地によく連れて行ってくれた。80年代、ぼくは会社員(旭化成)、20代。

新地の店で、大人の遊び方を学んだ。

・長居せず、ドアが開いて次の客(常連さん)が来たらサッと立ち席を空ける

・支払いはきれいに

・店をはしごして馴染みを複数つくる

・女性と深い仲にならない(義父が守っていたかどうかは不明)

・新地はコミュニティ。マナーを守ることで、コミュニティの質が上がる。上げるのは自分。

・自分を磨く場所

客層は自営業者だけでなく会社員もいた。まだ会社員でも領収書が認められていた頃だ。現在は無理だろう。おそらく一人あたりの交際費枠はとても小さくなってる(子どものお年玉合算の方が多いかも)。

かつ、「なんでこんな店に行く必要あるんだ?」という上司も当時はいない。いまはいる。そしてそれに「合理的」つまり「白い」理由がなければ、経費で落ちない。

あるドキュメンタリー、新地で二代やってる店を見た。創業者の大ママ(70代)、その娘ママ(50歳)。ママの娘(大学生)は客室乗務員志望だったのがコロナで新規採用が止まり、やむなく店を手伝ってる。ママは娘に三代目を継がせたい。でも娘はその気、ない。店にいるときも笑顔ないし、大あくびしてる。

客層を見た。年配自営業者ばかりに見えた。つまり80年代、ぼくが義父と行っていた頃の人たち。イキの良い若い客はいない。

北新地は黒い世界だ。悪い意味での黒じゃないよ。人間にはもともと黒と白両面ある。

白ばかりじゃドストエフスキーは成立しない。
金原ひとみも成立しない。
ローリング・ストーンズも成立しない。
60年代、ビートルズは白、ストーンズは黒を担当していた。黒くぬれ。

でも、品性のない週刊誌は白を謳って売上部数を伸ばしている。デジタルサブスク会員数増やしてる。

本人が真っ黒なのに。

昨年やられた芸能事務所にせよ、いま渦中のお笑い芸人にせよ、確かに彼らは黒。

世の中が白くなってる。
コロナが加速した。
除菌、ディスタンス、マスク、テレワークのスクリーン越しには白い自分しか見せない。そもそも顔出ししないし。リアルな職場なら、ふっとしたしぐさで黒が見えたりするが。

白くなった社会で、黒の北新地は生きづらい。大学生の娘が働きがいを見つけられないのは致し方ない。

だけどね。タブレットで注文し決済する店で、大人の遊び方、学べるか?

いや、そもそもお酒、飲みませんから。
大人の遊び方って、ゲームじゃだめっすか?

そう言われたら「そうですか」しかない。

必ず揺り戻しはある。起こる。その時、わかりやすい指標は、「黒い成分が増えたかどうか」だと見ている。

社会がいくら白くなっても、人間は白くならない。黒は残る。白黒あっての人間。

「誘惑」って、あるよね? あれは人間の中にある黒い成分を引っ張り出すトリガー(引き金)のことを言う。そして誰しも、ほんの小さなトリガーで、転ぶ。

日乃屋のなすカレー。転んでしまったが、美味しかったー。満腹、汗ぐっしょり。満足。

希望は白からは生まれない。
黒からしか。

この記事が参加している募集

マーケティングの仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?