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ロックンローラー行基のおしえ

「アホか!」

塾生を叱りつけてしまった。
なぜかというと、行動しないから。
経営とは、行動であり、現実の解釈ではない。
その点、スピノザ的。
スピノザは、言う。

事物について何かを肯定したり否定したりするのはわれわれではない、事物自身である。事物がわれわれの中で自分自身について何かを肯定したり否定したりするのだ。
スピノザ『短論文』第2部第16章

禅でも、大事なのは経典の解釈ではない。行動だ。ひたすら坐禅する。掃除する。調理する。祈祷する。生活する。それら一瞬一瞬の行動こそが禅なのである。

あまり表に出てこないが、奈良時代に活躍した僧・行基(ぎょうき、668-749)。
ロックンローラーだった。

彼はお寺にこもって修行してればいいという当時の「仏教界の常識」を嫌い、山野に飛び出て、消息を絶ってしまった。18歳から37歳まで、山や林にこもり、いまでいうヨガの修行をした。

そして、「実践こそすべて」ということで、行き倒れ、浮浪者たちに粥を食べさせ、灌漑や農業用水の池、堀を作らせた。豪農たちの土地を整え、代わりに資本を出してもらった。言ってみれば豪農相手のクラウドファンディングをやったわけだ。

こうして行基は、人々に「飯になる」「仕事にありつける」という現世的な功徳を施すことで、熱狂的な人気を誇るカリスマになった。

都の平城京近辺で何千人もの民衆が、行基のスピーチを聴くために集まったという。

奈良の大仏建立というのは、並大抵では実現しない。時の政府は行基人気に目をつけた。彼をプロジェクトリーダーとした。

結果、延べ2,603,638人もの人々(当時の日本の推定人口の半分)が大仏建立に汗を流し、世界史的にも画期的な大仏が完成した。2023年現時点でも、規模としては世界最大級の大仏。

ぼくは行基こそが、日本資本主義の礎となる「働くこと」への哲学を確立した功労者だと思っている。

彼の生きた年代が「668-749」であることを思えば、本当にすごい。行基と大仏と資本主義については、また別途どこかでお話する機会を持ちます。そうだ、みんなで奈良の大仏さん行ってもいいね。

昨日、『ガイアの夜明け』見てて、違和感あった。

熱海の某ホテルオープンにあたり、総支配人が、自分の人脈を使って日本中あちこちのホテルからシェフを集めたという。

「総料理長は横浜ベイシェラトンホテルの総料理長だった人を」
「ほかにもインターコンチネンタルやハウステンボスから」

来るシェフもシェフだと思った。これまでお世話になったわけじゃん。それを、声かかったからといって、はいそうですか、と移転する。
向こうからこっちへ移転した、ということは、こっちからまたどこかへ動く、ということでもある。

「働く」という哲学は、そういうものだったのかなあ。

これは、転職で儲けているビズリーチの話を聞いたときも感じた。
働く日本人の30代〜40代約1,000万人が登録しているという。
いいのか? それで。自分に利する利自のみで。

働く、というのは、大義のために、言い換えれば利他の精神もあっていいし、ある必要があったはずなんだけど。それがなくては世界史上初の大仏大建立は成し遂げられなかったはずだ。
これがロックンローラー行基のおしえだと思う。

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