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当たり前だと言わせて

調子に乗った、と思った。同時に、それでいいとも思えた。
彼女の喜ぶ顔を見て、僕もまた嬉しくなる感覚が手に取るようにわかる。
何よりも、365日のどの日よりも楽しみにしていた日。前夜、仕事が終わってからずっと、そわそわしっぱなしだった。

普段は昼からの仕事で11時ごろの起床だから、早起きは辛いかとも思われたが、案外流れるように身体を起こすことができた。
愛ってすげぇな、と思う。できないことが、できてしまうのだから不思議だ。いわゆる魔法とか言うやつで、すんなりとリミッターは外される。
兎にも角にも、1年間で最も重要な日になるわけで、僕が文字通りのヒーローになれる日である。
彼女に誕生日プレゼントとして贈ってもらったシャツを纏い、今日だけ世界で1番かっこいい男になった。

車のスタートボタンを押すと、僕の気合いにも改めてエンジンがかかった。ブロロン。

彼女には行き先を伝えないまま、車を走らせる。サプライズ好きなので、去年も秘密にしたままUSJへ誘拐し、今年は軽井沢へ。
実のところ、サプライズ好きというよりは、彼女の口角が上がった顔を見たいだけで、計画を企てている時間が好きなだけだ。
近づくにつれ明らかになっていく目的地と、理解した彼女の華々しい笑顔。その表情が、僕にとってのガソリンである。

個人的に行きたかった軽井沢書店に到着したが、違和感を覚えた。
あるのはずのものがない。
それもそのはず、軽井沢書店は2ヶ所あり、行きたかった方ではない場所だった。新しくオープンした店の方を見せてやりたかったのに。
初手、ミスった。
完璧にこなす予定だった旅行が、初手で崩れてしまった。焦ってしまうのか、浮かれてしまうのか、完璧にこなせたことがない。力量が足りない完璧主義者なもので、落胆が酷い。
彼女は「明日行こうね」と優しく微笑んでくれた。

明細書を見て、やはり調子に乗った、と感じた。見たことのない額。初任給を容赦なく頬張る金額を見つめ、しかし、これでいいと思い直す。実際、痛くも痒くもなかった。
愛する人を祝えるならば、いくらでも払ってやろうじゃないか。金をかければいいってものでもないし、安くて質の良い方がいいのだろうけれど、財布はいくらでもバカにできる。
自分自身には使えないほどの金額を、愛する人のためならあっさりと使えてしまう。(いや、悩んだけどね)
事前に宿にメッセージを入れとくべきだったことに、チェックインになって気がつく。ウェルカムドリンクを楽しんでいる中、彼女のいる横で金額を提示されてしまい、腹の中で頭を抱えた。だって、フロントでチェックインすると思うじゃないか。彼女はロビーに座らせておく予定だったのに。爪が甘い。
ロビーに流れるメロウなビートを刻むBGMに身体を揺らす彼女の、内側に広がるわくわくが溢れていた。

客室は画像で見た通り、白を基調とした中に碧色で彩られていて可愛かった。
ベランダで飛び跳ねる彼女が、スマホの画面に映る。
前日に決断したホテルのコースディナーは、前菜が1番おいしくて、デザートが1番解らなかった。なぜ、甘いデザートに辛味を混ぜてしまうのか。そして、彼女の頼んだカクテルは、未知の味がした。
高ければいいってもんじゃない、を具現化していた。
大浴場に浸かり、サウナで汗を流し、部屋で写真を撮ったり酒を嗜みながら、会話をした。

1番楽しかった記憶はなにか、という議題に対しての問いは、会話だと思う。
色んな場所に行って、色んなことをして、色んな経験をして、そのどれもが淡い記憶になっていくのだろうけれど、その中で交わした会話が、やはり1番楽しかった瞬間なんだと思う。

旅先には必ず一眼レフを持っていく。数百枚撮ったうちのほとんどは、景色でも建造物でもなく恋人になるのだけれど、のちのち見返す時に、その一枚の写真から、その時々に交わした会話が蘇る気がする。
こんな気持ちで、こんな目線で、こんな会話をしたという記憶が呼び起こされる。
それが、写真の醍醐味である。
ホテル内、行きたかった方の軽井沢書店、新宿商店街、チャーチストリート、ハルニレテラス。訪れた各所で笑う恋人が、さまざまな表情で切り取られている。そのどれもが幸福そうで、僕が彼女を光で照らせているのかと思うと心が温かくなった。

「頑張って仕事して貰った給料を○○ちゃん(あだ名)に使ってくれてありがとう」

夜、おやすみの前に恋人がそう言った。

「行きたくないとか、めんどくさいとか言ってたの知ってるから、それを使ってくれて嬉しい」

そんなこと言われると思っていないし、感じてるとも思っていなかったから、胸がきゅうっと音を立てた。
感じて、それを伝えてくれたのが嬉しかった。

「当たり前でしょ」と言うと、「当たり前じゃないでしょ」と返ってきた。
当然だった。というか、必然だった。財布のストッパーが外れるのは、いつだって恋人に関することばかりだ。新しい洋服も、彼女が似合うと言ってくれた色を購入する。このくるくるした髪の毛も、この日のために用意したものだ。
いつだって彼女を喜ばせることで精一杯だ。先を見て今を見れていない瞬間は改善すべきだけれど。

恋人の髪を撫でながら、「当たり前だよ」と念を押すように繰り返した。
この手で温もりを与えたいと願う。
僕がそこにいなくても、暖かさは感じるような微光でいたいと願う。

1日目の夜から体調を崩し、2日目を曇りのような顔で過ごしてしまった悔いは残っているけれど、ゆったりとした2人の時間にできたと思う。
初めて、楽しかったけど疲れた旅行ではなくて、リフレッシュできた旅行になった気がする。恋人もそんなようなことを言っていた。

生まれた日を真っ先に全力で祝うことができることに、感謝しよう。
生まれてきてくれて、出会ってくれて、一緒にいてくれて、祝わせてくれて、ありがとう。
心の底から、そう思う。


追記

初めて出会った頃の僕の年齢を、恋人は追い越した。
僕の22歳よりも、容姿も精神も大人びている彼女。
凛々しい横顔と、甘えん坊な横顔。そのどちらもが愛おしく、会いたい。
これから先も、木陰で柔らかい陽光に照らされているような日々を一緒に生きていきたい。

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