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荷物を抱えた女の子。

仕事で、大学時代を過ごした広島に帰ってきた。


ほんの少し冬の訪れを感じさせる夕暮れが、
僕にとって苦い思い出をよみがえらす。

2019年10月12日。
酒まつり。

酒都「西条」の秋の風物詩。

ほろ酔いの帰り道、僕の前を歩くとても小さな姿があった。


大きなリュックを背負い、
パンパンのレジ袋をぶら下げた空のベビーカーを押す女の子。


たぶん、6歳くらいだった。


その女の子のだいぶ前には、
赤ちゃんを抱えながら、仲睦まじく歩く夫婦。

時より、後ろを歩く女の子に
「はやくしろ」
って声をかけるから、両親なのだろうと思った。


パンパンの荷物がぶらさがった空っぽのベビーカーを押す女の子と、
そのはるか前を歩き、時より後ろを振り向いては冷たい言葉を浴びせる夫婦。

これは、きっと良くないことだ。


直感で思った。

でも、それと同時に、

踏み込んでしまうことで、彼女になにか悪い事が起こってしまうのではないか。

という葛藤が生まれた。


いや、仮にそうだとしても声を上げるべきではないのか。

他人の家庭事情に口出ししていいのか。

でもここで動かなかったら後悔する。

いや待て、その後悔は誰のための後悔なんだ。

1秒くらいの間にぐるぐる感情がめぐった。


「荷物持つよ!」

僕は、女の子に近づいて声をかけた。

女の子は困った顔をして、

「大丈夫です」

と小さいがはっきりとした声で言った。


”どうか私には、かまわないでください。
お願いします。”

そう訴えられた気がした。


僕はそれ以上、何も言えなかった。

前を歩く両親と思われる二人は、
この数秒のやりとりに一切気づいていなかった。

結局、それ以上のことは何もできなかった。
僕はただ、その女の子がいつ段差で転びそうになってもいいように、
すぐ後ろを歩いただけだった。


別れ際、
女の子は、振り返って、

「お兄さん、ありがとうございました。さようなら。」

って丁寧にお辞儀をして、団地の中へ進んで行った。


ただそれだけの日だった。

あの時の僕の対応は、本当にあれで良かったのだろうか。
踏み込みきれなかった空虚な親切心が、少し浮かんで心の端の方に横たわる。


もしドラマや映画みたいに、
いとも簡単に登場人物の背景を知ることができたなら、

迷わず行動を起こすことができるし、
後悔がまとわりつくような体験は減るに違いない。


でも、僕たちにはそれができない。


できる限りの想像力と一か八かの親切心を持って、
一歩踏み出すことしか、僕たちにはできない。


後悔とは、
行動を起こしたこと、または起こさなかったことにより生じた結果を、
ただ悔やみながら抱えることだと
どこかの本で読んだ。

今、あの子はなにをしているのだろう。
どうか、元気でいてほしい。


ごめん。

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