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夜が淡くなっただけ

眠れない。
だから本を読んだのに、もっと眠れなくなった。
ページの中の言葉がまるで自分の過去を眺めているようだった。

読み終わった途端に、私を縁取る体の線が、暗い部屋の中に溶けて、ぷつぷつ、蒸発していく。
途切れた線の隙間から私が空中に飛散する。
どれも小さい後悔の粒。それが霧状に眼前に広がっていく。

その粒の中に、あの頃の私がいた。あの時の私がいた。
言い返すことができなかった言葉があった。
伝えられなかった気持ちがあった。
逃してしまったチャンスがあった。
繋ぎとめられなかった人の姿があった。

息ができない。
涙が止まらない。

崩れかけた右手で電話を取った。

恋人を起こして、慰めてもらった。
その途中で、カーテンの隙間から光が漏れていて、夜明けに気づいた。

電話を切り上げて、その布を切り裂くと、紫色の光が暗い世界に射し込んできて、一帯を明るくした。

吊るした花束。
その壁。
飲み残しのグラスに、放り投げた文庫本が、紫に染められていた。

ただ私の影だけを暗く、床に残して。

はっとして、手の平を見つめた。
私の体は私の体のままだった。
私は私のままだった。

電話越しに優しい言葉をたくさん注いでもらって、安心したけれどそれはモルヒネ。
私の後悔はずっと私の内側に溜まって消えない。

だって私はまだ眠っていない。
私にまだ朝は来ていない。

この紫は、夜をただ薄めただけの色。
紺や黒を淡くしただけの色。

まだ夜だ。
まだ夜だ。

朝になったら、私は新しくなるはずだ。
朝というのは全てを清算してくれると決まっている。

まだ夜だ。
まだ夜だ。

徐々に淡くなる夜を眺めて、ひたすらに眠気がくるのを待った。

#眠れない夜に

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