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だから人生に絶望しない。

私の日常をドラマとして切り取ると、もちろんスポットライトは私に当たり、私に関わらない人達で私と同じ空間にいる人は、恐らくエキストラだ。

例えばホテルのフロントに居合わせた人。
例えば同じ電車に乗っている人。
例えば横断歩道の上ですれ違った人。

私は私のドラマ「日常」をとてもつまらなく思っているけれど、そんな私のドラマのシーンに映り込んだエキストラの、エキストラのドラマ「日常」にスポットライトが当たれば、エキストラの私は案外好い感じに映り込んでいるかもしれない。

例えばこんな感じに。
主人公の乗っている車の窓から、私が一人でぼうっと歩いているところが刹那に映るカット。
主人公が立ち寄ったカフェの、扉を開けて一番最初に目にする人が美味しそうに飲み物を啜る私、というカット。
書店員の主人公が作ったポップの前で、平積みの本を手に取って軽快にレジに向かう私を目撃するカットもあるだろう。
そして、悲しい顔した主人公に、「愛している」と私が優しく微笑むカット。

主人公である彼ら(なんたってエキストラの私が映り込んでいるドラマは数知れない!)の傍らで、私は素敵に、そして相応しく、映っている。

なんて考えると、私のドラマ「日常」がなんだか素敵なものに思えてくる。なんせ、名エキストラの私だ。スポットライトが私に当たれば私は名女優ということになるのだから。

全てはドラマ。お気に召すまま。

片岡義男の小説は、現実のどんな場面も、そんな風に思わせてくれるから好きだ。彼の小説を一頁読めば、過去のあんな場面も昨日のあの場面も、油絵のごとく鮮やかに立体的に、陰影をもって美しく思い起こされる。

だから人生に絶望しない。


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