科学とは何かを考える
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科学とは何かを考える

どうして科学とは何かを考えるのか

科学とは何かを考えたくなったきっかけは、転職です。
大学から数えれば10年強を過ごした化学の世界から、ECの世界へ飛び込むにあたって、元々僕のいた化学を包む科学の世界とはどんなだったのか、という整理をしたかったのです。
ECに必要な知識もスキルも持たない僕が生き残るには、今、自分が持っている材料をフル活用するしかないと感じていて、手持ちの材料で一番武器になりそうなのが科学を学んできたこと、のように思えました。そして、この材料の特性を確認してみよう、と考えました。

参考文献は2つ

科学というテーマは壮大すぎるので、いまの自分の知識だけから整理するのではなくて、本を読むことにしました。

「〇〇とはなにか?」を理解するのに、「〇〇は何ではないのか」を知ることが役に立つことがあります。その観点から、2冊の本を選びました。

「科学の発見」「文系と理系はなぜ分かれたのか」です。

科学が歴史的にどういう変遷を経て今の形になったのかを知ることは、「(昔は科学として考えられていたけど今は)科学ではないもの」を知ることができるはずなので、科学史に興味をもちました。
そして、ここまで気にせずに科学という単語を使って来ましたが、これは、「自然科学」のことを想定していました。「人文科学」とか「社会科学」と比較することで、自然科学についての理解を深められると考えました。

「科学の発見」から学んだこと

「科学の発見」は、ノーベル物理学賞受賞者が書いた科学史の本です。著者が自ら「本書は不遜な歴史書」と書いているように、歴史家の観点から見ると、現代の科学の知識で過去の科学を論じる本書は、「危険」なことをやっているとみなされるようです。しかし、上述のように「科学が何ではないのか」を知りたいと考える僕にとってはとてもぴったりな本でした。

科学とは何か、についてこの本で学んだことは大きく2つです。

①科学のありようは自然が決めていること
②科学において重要なことはこの世界を説明し、理解すること

絵にすると、図の左の感じでしょうか。

ちなみに、古代の科学は、「アリストテレスの物理学とは、自然はまず目的があり、その目的のために物理法則があるというものだった。」と「科学の発見」にかかれているように、natureの手前に何かしらの存在を仮定していた。図の右のような感じ。(図は僕の理解を書いたもので、本には出てきていません)

「科学の発見」で学んだ科学の説明は僕には非常にしっくりくるものでした。科学って何に使えるのか、とか、科学の面白さって何?という議論がたまにあります。上記の説明に従えば、世界を説明できることそのものに意味があって、そして、説明できることそのものに面白さを感じられるはずで、何かに使えるのかどうか、というのは科学の外側にある議論である、と言えるのではないでしょうか。

僕の理解では、科学を人にとって使える形にすることは、engineering(工学)と呼んでいて、使える形にするために手段をtechnology(技術)と呼ぶはず。scienceが使えるかどうか、という議論になるのは、scienceがengineeringの原料だから、「この原料って役に立つんだっけ?」と考えがちだからなのかな、と思います。でも、これって、魚はたしかに人間の食料になるけど、水族館で魚みているときに、必ずしも「この魚は食べたら美味いか?」を考えないし、美味いかどうかは、水族館における魚の価値とは関係ないことと一緒かな、と思っています。たまに、水族館の帰りにお寿司食べたくなるあたり、たまに科学の有用性を考えたくなるのに似ている。(そんなにこの比喩自信ないけど・・・)

その他の「科学の発見」の読み応えポイントはこんなところです。いやあ、面白い本だった。もっと世界史を勉強してから読み直したいです。あと、どうにも一神教の気持ちがわからないから、中世までの宗教と科学の関係がピンとこないのがもどかしい。

・古代の思想家は自分の理論の正しさを実際に確かめようとしていなかった
・自然の法則に関するアリストテレスの理解は間違っていたにせよ、「自然には法則がある」と信じた
・ガリレオにしろ、ニュートンにしろ、自然を観察する手段を進化させたことが歴史的な発見につながった
・科学研究はルール通りにはいかない。どのように科学を研究すべきかというルールを作ることによってではなく、科学を研究するという経験から、われわれはどのように科学を研究すべきかを学ぶ。
・一般的に、公表を決意することは、科学的発見というプロセスにおける決定的な要素である。公表するという行為は、「この研究結果は正しい。よって、他の科学者の利用に耐えられる」という論文執筆者の判断を意味している。

「文系と理系はなぜ分かれたのか」から学んだこと

この文にすべてが詰め込まれています。

まず、諸学問の中には、「人間」をバイアスの源と捉える傾向と、「人間」を価値の源泉と捉える傾向とが併存しています。前者の視点は、自然科学の営みにおいて特に成熟しました。後者は、主に人文社会科学に深く関わっています。この両者は、その成り立ちから言って、容易に統合できるものではありません。

なるほど。と思いました。natureを主体的に説明しようと思う「人間」が存在しなければそもそも「自然科学」も存在しないので、「人間」はバイアスなんだけど、必要不可欠で、この複雑な関係がなんともいえず面白い。

自然科学はnatureを説明しようとしていて、人文科学、社会科学は、それぞれ人と社会を説明しようとする学問、と考えると、関係がよく理解できました。

科学と化学とEC

ECへの転職を機に、ここまで科学について考えてきました。科学について考えた結果、僕のキャリアのモチベーションは、「世界を説明したい」というところにありそうだな、という実感が湧いてきています。そうすると、フィールドがchemistryじゃなくって、ECだとしても、僕はやっていけるし、楽しめるんじゃなかろうか、という楽観的なところに落ち着きそうです。

本当はもっと考えを深めたいこと

だいぶ長くなったので、このあたりで、本当はもっと考えたいトピックを列挙して終わりにします。

・エビデンスの有無と科学
・再現性の有無と科学
・定性と定量について
・科学的思考とはなにか
・科学リテラシーとはなにか
・経営学だって科学の一つだと思うのだけど、なぜかみんな経営学の有用性はすごく求める問題

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