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【大河ドラマ】鎌倉殿の13人 第24回&第25回感想

おはようございます。
2週まとめての感想・解説です。

過去の感想・解説は下記よりどうぞ!

24回前半では源範頼が失脚。
曽我事件と地続きであるのはおそらく間違いありませんが、その真相ははっきりしません。
ただ範頼の失脚により、源平合戦の指揮官を務め、御家人たちからも信頼された範頼・義経兄弟が姿を消し、頼朝の子孫によって鎌倉殿が継承されるという路線が敷かれたのは間違いない。

この頃、甲斐源氏の猛将・安田義定も失脚していますが、完全にカット。
大河では安田義定がここまで登場してませんから当然と言えば当然。
頼朝と武田信義との上下関係がはっきりした17回で「鎌倉殿の13人」における頼朝と甲斐源氏の物語は既に終わっているということでしょう。
この後、甲斐源氏は武田信光(信義四男)を中心にまとまっていきますが、はたして信光は登場するのでしょうか?

そして、頼朝が再びの上洛。
長女・大姫の入内工作のためという話にしたほうが脚本としてわかりやすいわけですが、この上洛の表向きの目的は頼朝もスポンサーとなった東大寺大仏殿再建供養への列席です。
後鳥羽天皇も行幸した一大行事であり、貴族たちが雨天の中整然と警備を務めた御家人の評価を上げる契機ともなりました。
大河では完全にスルーされてしまったのが残念。
加えてこの上洛で頼朝・頼家親子の後鳥羽天皇(尾上松也)への拝謁するシーンは欲しかった。
後鳥羽帝×源頼朝の対面は物語の前半と後半をクロスさせる象徴的シーンとなったはずで、無かったのが非常に残念です。
後鳥羽天皇(尾上松也)の登場は今後に持ち込しとなりました。

「源博陸」登場

土御門通親(源通親)が初登場。
大河では俗称の「土御門」なのは源氏が多いと話がややこしいからか、同じ24回で源範頼の起請文について「源氏を名乗れるのは鎌倉殿とその子孫だけ」というセリフがあったからか。
「源博陸」=源氏の関白、なので源通親と呼びたいところですが、大河の感想では土御門通親とします。
劇中のやり取りではあっさりと話が進みましたが、この頃、朝廷の主導権は九条兼実から土御門通親に移動。
次の天皇の外祖父となる道も絶たれ、建久7年の政変で兼実は失脚します。

そして大姫の死、上手く進まぬ入内計画、源範頼の殺害。
23回で自身が悟ったように、この頃の源頼朝は天運に見放されていたかのように物事が上手く進まない。
大姫の死と範頼殺害をリンクさせた脚本は良かったと思います。
もちろんこれが史実と認められる証拠はありません。
なお、頼朝の意向通りにいかないという話では、この頃、後鳥羽天皇が為仁親王(土御門天皇)に譲位。
頼朝は幼帝となる親王への譲位に反対でしたが、後鳥羽帝が耳を傾けることはありませんでした。

そして第25回。
英雄・源頼朝の最期。
1日の出来事をドラマ1回の脚本にするのは三谷幸喜氏の得意技で、それが見事にハマった回だったと思います。
ラストシーンは源頼朝が安達盛長1人だけを従者として移動することはあり得ないと思いますが、それを指摘するのはあまりに無粋。
主人公の義時ではなく、流人時代から支えてきた盛長と2人というのもセンスが良いですよね。

頼朝の死で幕を開ける御家人たちの権力闘争。
ここからが物語の本番と言っても過言ではないでしょう。
来週以降も楽しみです。

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