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7/1③ トゥントゥプを探し、いよいよ式に潜入する

前回までのあらすじ
数日前に宿泊していたゲストハウスのオーナーから、「テスタという小さな村で結婚式がある。よかったら参加しないか」と誘われる。何とか無事にテスタまで辿り着いたぼくは、村人に尋ねまくって、この村に招待してくれたオーナー(トゥントゥプ)の家を聞き出す。彼の家に行くため、テスタの隣村に向かって歩き出したのだった。

20分くらい歩いてストゥーパを越えると、似たような外観の白い家が数軒建ち並んでいるのが見えた。

集落で最初に出会ったおじさんに、「トゥントゥプっていう名前の男の人を探しているんだ」と伝えると、「トゥントゥプは今はいないよ」との返事。
「奥さんは?」とぼくが尋ねると、「彼女はテスタの結婚式場に行っているよ」と答える。
(おい、たかお)とぼくは思ったが、もしかしたらすれ違いになってしまったのかもしれない。

「あれがトゥントゥプの家だ」と、おじさんから教えられた方を見ると、近くでおばさんが農作業をしている。
とりあえず、彼女にも話を聞いてみようと思って近づきかけると、おじさんが「ティーでも飲むかい」と声をかけてくれた。
ぼくはありがたく、彼の家で紅茶をいただくことにした。

どの家にも、小洒落た柄のティーカップがたくさんあった

本物の民家である。
ラダックの集落の民家に立ち入る機会など、そうそうない。
ありがたく思いながらも、3杯ほど甘いお茶をいただく。

ちょっとだけ休憩をしてからおじさんの家を出て、トゥントゥプの家の方に向かう。
農作業中のおばさんに「トゥントゥプを探しているんだ」と話しかけるも、要領を得ない。
彼女は遠くに向かって、何か叫んだ。
すると隣家の窓から、ぼくと同い年くらい(20代後半)の女性が姿を現した。
お姉さんはひとしきり、現地語らしきものでぼくに話しかける。
そして、ぼくがどうやら全く理解していなさそうだと思い至ると、「あなたはどこから来たの?もしかして、ヒンディー語がわからない?」と英語で問いかけてきた。
「ぼくは日本人。ヒンディー語は分からないんだ」と答えると、「あら、ラダック人かと思ったわ」と答えるのだった。
そして、「とりあえずティーでも飲む?」と家の中に招待してくれた。

家の中に入って彼女と雑談をする。
彼女は自身の名前を「テンジン」だと名乗った。
ぼくのことをラダック人かと思ったと言っていた彼女だったが、彼女は反対に日本人に見えた。
ザンスカールの人々は、レーの人たちよりも、より日本人に近い顔立ちをしている。

テンジンは「トゥントゥプの奥さんなら、テスタにいるはずだわ。私もこれからテスタに行くから、一緒に行きましょう」と誘ってくれた。

こうして、再びテスタに戻ることになった。
道中、テンジンが「私、日本語を知ってるの。Thank you のことを「アリガトウ」って言うでしょう?」と言った。
ぼくが「そうだよ。何で、知ってるの?」と尋ねると、「Netflixでたまに日本のドラマや映画を見るの」と彼女は答えた。

20分ほど歩いて、再びテスタのテントまで戻ると、テンジンがトゥントゥプの家族を探してくれた。
ほどなく、黒いキャップを被った若い女性がぼくのところに近づいて来る。
「こんにちは、私はドルマ。トゥントゥプの娘よ」彼女は言った。そして、「父が帰ってくるのは、夜遅くなるはず。あなた、今晩は私の家に泊まるのね?一旦、家に帰る?」と続けた。
行ったり来たりするのも疲れたし、何より結婚式場のテントの中ではすでに前座のような踊りが行われていたので、ぼくは「もうしばらく、ここにいるよ」と答えた。
すると彼女は「分かったわ。疲れて休みたくなったら言ってちょうだい」と言ってくれた。

固焼きパンを配るおじさん

小太鼓の音で拍子をとり、オレンジ色の民族衣装を身に纏った男性たちが、緩慢な動作で舞っていた。
何となく、統率感のない動きだった。
舞っているのは60代くらいの人たちだったが、中に30代くらいの若い男性がいた。

リーダー格のお兄さん

とりわけ彼の衣装は立派で、どうやらダンサーの中ではリーダー格のようだった。
しかし彼は、バチバチのツーブロックでサングラスをかけており、山中の寒村で謎の踊りをするよりは、ビーチでサーフボードを持っている方が似合っている風貌なのだった。

テントの周りでは小さい子どもたちが走り回っていた。
非常食としてリュックに忍ばせていたビスケットを配ると、ぼくは一躍人気者になった。

15時頃、突風が吹き荒れる。
台風並みの風速で、結婚式場は砂嵐に襲われた。
臨席者は皆ショールで顔を覆い、目を閉じて俯く。

風向きが北寄りになり、山の向こうで雷鳴が響き、大粒の雨がぱらついた。
寒冷前線が通過しているようだった。
30分経っても砂嵐は収まらず、強行的に式は再開された。

30歳前後の青年が話しかけてきた。
式の最中にいろいろな人と話してわかったことだが、50歳くらいまでの住人は流暢な英語を話す。
母語と同程度といっても差し支えないくらい、普通に英語を使いこなしている。
しかし、おじいちゃんくらいの見た目になると、英語が理解できる人は半々になる。
そして、英語が話せるといっても、日本の中学英語レベルである。

ある年代を境にラダックの学校のカリキュラムが変わったのか、あるいは若い人は学校や仕事などで村外に出る機会が多いからなのかもしれない。
ともかく、話しかけてきたお兄さんも、普段はマナリに住んでいるといっていた。
ぼくはテスタの後、マナリに行く予定だ。
彼は言った。
「ザンスカールとマナリの間の道は、最近やっと開通したんだ。それまではマナリに行くまで3日もかかった。でも今は5時間もあれば行けるよ」

「今日はどこに泊まるの?」と聞かれたので、「トゥントゥプの家だよ」と答えると、「ぼくは以前、トゥントゥプの経営しているレストランで働いていたんだ」と彼は言った。

彼はその後も、ぼくにちょくちょく話しかけてくれた。


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