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7/1④ 小さな村の盛大な結婚式

前回までのあらすじ
ラダックはザンスカール地方の、小さな村の結婚式に潜入する。ぼくを村に招待してくれたトゥントゥプの家を探し当てるも、彼は不在。彼の娘であるドルマと対面する。結婚式会場のテントで、儀式を見学する。

バッグに詰められた固焼きパン

寒冷前線が通過し、気温が徐々に下がり始める。
17時頃にドルマがやって来て、「寒くなってきたら、一旦帰りましょう」と言う。
ぼくは彼女に追いていった。

歩きながら、彼女は言った。
「今、結婚式が行われている村がテスタ。それで、私たちの村の名前はクル。テスタはこの辺りでは一番大きな村なの。200人くらい住んでいるわ。クルの住民は50人くらい」

ぼくは彼女に、「あなたは両親と一緒にこの村に住んでいるの?」と尋ねた。
「いや、私は普段レーに住んでいて、レーのカレッジに通っているの。夏と冬の長期休暇で帰省するのよ。つまり今は夏休みってわけ」

家に着くと、温かいチャイとヤクのスープでもてなしてくれた。
居間の真ん中に暖炉があり、燃料は牛糞を固めたものだった。

彼女は慣れた手つきで火を操って、暖炉の上のヤカンや鍋を温めた。
部屋全体がぽかぽかしてくる。
何だか、幸せな気持ちになってくるのだ。

ヤク肉のスープ

まだ19歳だというドルマは、意志の強そうな目元に鼻筋が綺麗に通った、少年のような容貌の娘だった。
普段は凛々しい顔立ちなのだが、些細なことで「デヘヘヘ」とだらしなく笑うのだった。

暖炉を囲みながら、ぼくは「チャーン宴会の写真」を彼女に見せた。
この家を突き止めるのに役立った写真である。

チャーン宴会の写真

すると彼女は、チャーンを持参していた女性を指差して言った。
「彼女は父の姉、私の伯母よ。チャーン造りの名人なの」
まさか、トゥントゥプのお姉さんだったとは。

そして、同じく写真に写っていた30代くらいの男性を指差した。
「あら、彼は今日の主役よ。つまり、彼が花婿なの。さっきテントの中にいたけど、気づかなかった?」
「え?そうなの?全然わからなかったな」
「伝統衣装を着ていたから、分からなかったのかもしれないわね」と彼女は言った。

18時半、ドルマが上着を着込んで出かける準備をする。
「私はこれからテスタに戻るけど、あなたはどうする?」
ぼくもダウンを着て、彼女についていく。

すると、途中で結婚式会場からたくさんの人が歩いてくる。
ドルマは近くを通りかかったおばさんを呼び止めて、何か話をした。
それから、ぼくに英語で説明をした。
「これから会場を移動するみたい」

テスタとクルのちょうど中間にある家でも、同様のテントが設営されていた。
今までは新郎の家の近くが会場だったが、次は新婦の家の裏が会場になるらしい。
「ちなみに、今のおばさんは父の妹よ」と彼女は付け加えた。「私の父は兄弟が多くて、だから親戚が多いの」
何だか、狭い社会なのだ。

ドルマが今度はおばあさんと話し込む。
彼女はぼくにおばあさんを紹介した。
「さっき、私の父は兄弟が多いって話をしたでしょ。彼女が彼らのお母さん。つまり私のおばあちゃんよ」

テスタとクルの中間地点でしばらく待っていると、伝統衣装を身に纏った人たちがやってきた。

そのうち、特に重厚な衣装を着ていた男性をよく見てみると、確かにあの時一緒にジープに乗っていた男性なのだった。
向こうもぼくを認めると、「おっ」と言う顔をした。

新郎と踊り子、取り巻きのおばさんたちは草原の真ん中で車座になり、ラダック式どぶろくのチャーンを飲み始めた。
「君もチャーンを飲むか」と勧められ、一緒にチャーンをいただく。
ぼくが「good taste」と言うと、皆嬉しそうに笑うのだった。

その後、一行は酒を飲んだり、踊ったりしながら、少しずつ新婦の家に近づく。

そして最後に、赤い袈裟を着た僧侶が用意していた仏具のようなものの前で神妙に儀式を行うと、新婦の家に入って行った。

関係のない人たちは、新婦の家の裏手に設営されたテントの中で待つ。

何となく男性と女性で席が分かれているようで、ぼくはおじいさんたちに混じって座った。
さっそく小さなコップが差し出され、並々とチャーンが注がれる。

バーリ(?)という麦から作られているらしい

ぼくの前には、すっかり出来上がったおじいさんがいて、「チャーンはうまいだろ、ほら飲め飲め」と勧めてくるのだ。

他にも出来上がっているおじいさんは何人かいて、互いに酒を注ぎあって「ほら、次はお前の番だぞ」と飲ませ合う。
日本の飲み会と似たような光景である。

待っている間、頻繁に食べ物が饗応される。
大きな鍋を持った人が回って、モモやミルク粥のようなもの、固焼きパンなどを配り歩く。

暗くなるまで、みんなでチャーンを飲んだり、食べ物を食べたりしながら、新郎新婦が出てくるまで待ち続ける。

マニ車を回すおじいさん

すっかり日も暮れた20時頃、新婦の家から太鼓の音が聞こえてきた。
そして、新郎と豪華な民族衣装を着た女性が出てくる。
女性は大きな声をあげて泣く真似をしていた。

そういえば昼間、テンジンが「花嫁は結婚式の会場に入る前に、大きな声で泣かなければいけないの。何だかおかしな習慣よね」と言っていた。
泣き声をあげている女性が新婦なのだろう。
花嫁は俯いていて、顔は見えなかった。
その後も花嫁は常に下を向いていたので、できるだけ顔を上げないといった決まりがあるのかもしれない。

新郎新婦、踊り子たち、その他何人かがテントに入ってくる。
踊り子のおじさんたちが、昼間と同じような踊りを延々と繰り返す。
特に何か変化があるわけでもなく、踊り子はゆったりとしたリズムで舞う。
集まった人たちはそれを見るわけでもなく、各々食べたり飲んだり、おしゃべりをしたりするのだった。

チャーンを大量に飲んで、すっかりいい気持ちになったぼくは22時に戦線離脱した。
明かりがなく真っ暗な中、ドルマが家まで送ってくれた。
そして、ザンスカールの小さな集落の普通の民家で眠りについた。

翌日聞いたところによると、宴は3時過ぎまで続いたらしい。

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