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出版とは「えっ、そこまで言っちゃうの!?」を表現すること

『名前のない女たち』『パパ活女子』『私、毒親に育てられました』
などを書いているノンフィクションライターで
Voicyパーソナリティーをされている中村淳彦さんという人がいます。
私は、未知の社会、アングラ世界、海外危険地帯といった
無頼派ノンフィクション好きのため
中村さんの本もほぼ読んでいるのではないかしら。

また彼のVoicyもおもしろいのです。
誰も言わないようなワードが次から次へと飛び出すこと!
「中年童貞」「子ども部屋おじさん」「あっぱらぱーワーママ」etc.

この3つめのあっぱらぱーワーママってなんじゃい!ですよね。
中村さんいわく、
30代ワーママの中で、
まじめに会社勤めをしているにもかかわらず
音声配信を聴くうちに
自分業、副業、自分らしい生き方に目覚め
「会社辞める」と言い出したり、
あくどい輩に高額商品を買わされたりする人らしいのです。

30代ワーママというのもキーワードで
社会にそこまで揉まれてこなかったゆとり世代の優等生だからこそ、
キラキラした宣伝文句(キラキラポエム=キラポエ)に騙されやすい
という理由があるようです。

なるほど。
そこにはある種の社会病理、社会課題がありそうです。

ここで私が気になっているのは、
中村さんのパンチワード、キラポエに乗じる人たちのこと。

先日、とあるVoicyパーソナリティーが中村さんと対談をしていました。
この方、キラポエにどこまで問題意識があるのか、
じつは少し訝しんでいたのですが、
対談を聴いて、やはりそうだったかと思いました。
やはり再生回数狙い、フォロワー獲得狙いだったのかと。

なぜなら、中村さんのいつもながらの切り込みに対し
「まあまあまあ、それはね」
と茶を濁す返しが多いのです。
挙句の果て、ストレートな表現ができないことを
大人として、ビジネスマンとしての「お作法」とまで言ってのけました。

「お作法」ってなんじゃい!ですよね。
自分なりの線引きで、ここまで言い、ここからは言わないというのなら
それはアリです。
それを「お作法」と言った瞬間に
主語は自分でなく「社会」「誰か」となり
とっとと責任逃れができちゃいます。

「お作法」とは言ってみれば、
空気読み、忖度、懐柔、寄らば大樹…みたいなこと。
憲法にも法律にも条例にもないのに、
明文化されていないものを「わかるでしょ」と押しつけるアレです。

学校のナゾ校則に憤ってきた私としては
この「お作法」に拒否反応を覚えてしかたありません。

中村さんは、その後のVoicyで話されていましたが
出版は「お作法」のない世界なのだといいます。
出版の中でも書籍は、広告や雑誌とも一線を画し
いわば常識を破る、未知を描く、問題提起をするのが仕事。
「お作法」が出てくるや、つまらないものに成り下がります。

で、今回書きたかったのは、発信とは、表現とは何かということ。

誰でも書けるようなことをキレイにまとめた本が売れている時代です。
読む前から、「こういうこと書いてあるんでしょ」とわかっちゃいます。
じゃあ、出版の意味は?となりませんか。
大好きな書店に「どじょう本」が並んでいたとしたら
悲しいかぎりじゃありませんか。

発信することは、
それなりの反応や反発、反響が起こってしかるべきもの。
波紋を起こさない、穏やかでやさしい発信もアリですが、
中村さんのミッションはそこじゃないのは明らかです。

つくづく考えさせられたのは、
発信、なかでも出版は、
自分の意見、自分自身をさらけ出す覚悟が必要だということ。
たしかに、今までの読書体験で心が揺さぶられたのは、
そうした覚悟がページからこぼれ落ちそうな作家さんばかりでした。

それは過激な表現というのとは違います。
その人の表現をするということ。

私はどこまで表現に対して覚悟を持てているだろうか――。

やや蛇足になりますが、
中村さんが時々名指しされる
某30代ワーママパーソナリティさんへの批判は
ちょっと筋違いかなという気がしています。

副業(複業)は日本政府も推進している社会現象でもあり
そこに自分らしさ、幸せな働き方を求めるのはごく自然のこと。
がんばっているワーママに対しては全力応援したいし
そもそも私がそっち側です。

悪い輩には騙されないようアンテナを張りつつ
自分らしくモリモリがんばっていきたいですね。

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