叶えずに 置いとく夢が あっていい
ついさっき、夢を叶えた。
自宅最寄りの駅前の交差点で、毎晩ラーメン屋台が出ていて、そこのラーメンを食べたのだ。
助っ人外国人みたいな金ピカのネックレスを首に引っ提げたヤクザ役の時の笑福亭鶴瓶に似ているおっちゃんがハイエースでやっている屋台。
メニューはラーメンと、なぜかホットドック。
車の前にはプラスチックの丸テーブル2つとその周りに6つずつほど丸椅子が並んでいて、いつも飲み会終わりの「しめラー」を食べている人々で賑わっている。
つまりだいたいが2人以上の集団でラーメンを食べている。
この地に越してきて2年、仕事が遅くなって帰宅する時、ずっと前を通ってきた。
その度に、食べてみたいなぁ、と思いながら、でも酔っ払いと相席はなぁ…とか、この時間にラーメンは、浮腫むしなぁ…とか、いろんな理由をつけて素通りしてしまっていた。
集団の中で1人なんて、この歳になると何も怖くない。ほとんどの1人〇〇は大丈夫なはずなのに、なぜだか勇気が出なかった。
躊躇なく颯爽と1人でラーメンを啜れる大人にはまだまだなりきれていなかったようだ。
しかし私は今週末、このまちを去る。
夜にこのまちで過ごすことは余程の用事がなければ、来週からほぼなくなるのだ。
そんな状況の中、今日もいつものように通り過ぎようとすると、丸テーブルが1つ空いている…!今日を逃したらあかん…!そう自分に言い聞かせ、引き返し、意を決して鶴瓶似のおっちゃん(以下、鶴瓶師匠)に「ラーメンひとつください」と言った。
出てきたのはシンプルな醤油ラーメン。
とてもあっさりしていて、夜に食べても大丈夫なラーメンがあることを知った。
ラーメンを食べ終わり、鶴瓶師匠に器を返しに行く。
鶴瓶師匠「おっちゃんのラーメン美味しやろ!」
わたし「はい、めちゃくちゃ!私ずっと、この前を通るたびに食べたいと思ってて、やっと食べに来れました。夢叶いました。来週引っ越すんですけど。その前に来れて良かったです!」
鶴瓶師匠「そんなもんあんたー、もっとはよ来んならあかんやんかー姉ちゃん」
わたし「引っ越してからも、まぁ近くなんで、また来ます」
鶴瓶師匠「そうかー。おっちゃんのラーメン、絶対もういっぺん食べたなるでなぁ〜、西脇や姫路からも来るやつおるんやで。なんべんも食べたなるもんやから、おい!おっちゃんのラーメン、シャブ入っとるやろ!言うてな〜(真顔)」
わたし「そっかぁ。そうかも。ごっつぉさん〜」
そんな軽快な会話を終えて帰路につき、先ほどの自分の発言について考えた。
私はおっちゃんに「夢叶った」と言ったが、それはどういうことだろうか。
おっちゃんが言うように、もっと早くに来れたはずだし、ラーメンを食べることなんて、一般的には夢というほどのものではない。
でも私はハッキリと「夢叶った…」と打ち震えながらラーメンを啜ったし、本心でおっちゃんに、そう伝えた。
夢には2つあると思う。
ひとつは、現段階での実現可能性が低く、努力したり、お金をかけたりして、追いかける夢。いつか「叶うかもしれないし、叶わないかもしれない」夢。
もうひとつは、私の屋台のラーメンのように、実現しようと思って本気を出したり一歩を踏み出したりすれば、難易度の差こそあれ、意思次第で「叶えられる」夢だ。
「夢」と言うと、だいたい前者として語られがちだが、意外と私たちは、後者の「夢」もたくさん持て余しているのかもしれない。
言い方を変えると、自主的に叶えられるはずの夢を叶えることを怠っているとも言える。
今だって、将来こうなりたいとか、こんな人生を送りたいとか言う夢なんかは一切ないが、
あの島に行きたい、あの電車に乗りたいと、そんな夢は胸にたっぷりと抱えている。
それらはちょっと休みを取ればすぐに実現可能なものばかりだ。
さらに言い換えると、あえて夢のまま置いている夢でもある。
そんなささやかな夢のままの夢があるから、明日もまた頑張れるんだ。
今日またひとつ、夢ができた。
引っ越してからもまた、次は大切な人と一緒にこのラーメン屋台に来ることだ。
おっちゃん!やっぱりおっちゃんのラーメンには、シャブとは言わんけど、なんべんも食べたくなる不思議な何かが入ってるみたいやわ!
この夢は、叶える日まで、心の中でじっくり暖めておこう。
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