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不完全図書館往来記

図書館で借りた本をほとんど読まない状態で返却した。

約半年前に引っ越してきてから、2週間に1度、近所の図書館に足を運んでいる。
このペースは単純に図書館の貸出期間が2週間だからなのだが、隔週の土日に返却をし、また新たな本を借りるというサイクルをなんとなく繰り返すようになった。

前に住んでいた街には駅前の大きなビルに図書館が入っていて、通勤や買い物の「ついで」に寄れていたので、わりとカジュアルに貸借が可能だったが、今住んでいる街の図書館は自宅から徒歩25分、自転車で10分程度の距離にあり(十分近いのではあるが)、明確に図書館に行くことを目的に外出をするという、少々気合が必要な状況に変化した。

最初は前と比較して不便を感じていたが、いざ通ってみると、徒歩だとちょうどいい散歩になるし、自転車だと図書館の近くのスーパーにも寄れるし、近所を探訪するきっかけにもなるので、そういった生活圏域でのゆるい時間を作る意味でも図書館通いを習慣化している。

おかげさまでこれまでに、山本文緒さんの『自転しながら公転する』や恩田陸さんの『灰の劇場』、綾瀬まるさんの『草原のサーカス』などなど、他にもたくさん、ずっと読みたかった本を次々と読破できた。
間違いなく読書は捗っている。


毎回本を借りる際、向こう2週間の生活のペースと読めそうな分量をそれとなく見定めながら借りる本を決める。

「今週は出張があるから新幹線の往復で読み切れそうなこの本にしよう」だとか「日曜は寒そうだし家で引きこもってしっかり読む時間が確保できそうだから500ページ超の長編もいけそう」だといった具合に。

ネットで返却期限を延長できるシステムだってあるのだが、私は結構まじめで完璧主義なところがあるので(これは自分の生きづらさの根源でもある)、期限があることで読書が捗るような気がするし、これまでは、きちんとその時間的目分量に2週間内の読書量が無理なく嵌めることができていた。

時間にゆるく縛られる青春18きっぷの旅のような「制約のある自由」を自分に課していたい人間なのである。


だけど今日は、2週間前に借りた本をほとんど読まない状態で本を返却しに行くこととなった。
それは、自分にとって少し切ないことだった。

2月から3月中旬までにかけて、俗に言う繁忙期というやつで、1年で最も激しく忙しい日々を過ごしている。

2週間前も激動の真っ最中だったのだが、砂漠のオアシスのようにぽっかりと空いた休日に図書館に行った。
借りたのは
・山本文緒『ばにらさま』
・今村夏子『星の子』
・東直子『いつか来た町』
この中で結局読めたのは、短編集『ばにらさま』の表題作『ばにらさま』だけだった。

たぶん、時間的な目分量は間違っていなかったと思う。
しかし、時間はあれど心と頭の余裕はなかった。
読書を予定していた出張の移動中は死んだように寝ていたし、何もない休日も死んだように寝ていた。

頭の中に物語を入れる隙間がなかった。
何よりシンプルに目と肩が痛かった。
読めていないことで、自分のくたびれっぷりや余裕のなさを突きつけられた気がした。

つくづく、読書は心身状態を測るバロメーターだなと思う。

できることなら常に本を読むくらいの余裕を持っていたいが、今は「がむしゃらに働く」ことも自ら選んでいることなので、否定も肯定もせずにその状況に没することにしている。(あくまでも期間限定だが)

だから、読めなかった自分に対して残念な気持ちになるのはよそうと思った。

今日は読まずじまい本を「返すだけね!」と自分と約束して図書館に向かったのだが、やっぱり本に囲まれていると、あれこれと気になり始める。

読めなかった本を再び借りる選択肢もあったが、あえて、また新たな本を借りることにした。
それが今回の記事のサムネの画像にある本たちだ。

これらの本も、もしかしたら読めないまま2週間後を迎えるかもしれない。
だけど、それでもいい。
読みたい本が鞄の中にある。家にある。
それがまた、日常の波を乗りこなす助けになるのだから。

今日返却した読めなかった本だって、また読めるタイミングで読めたらそれでいい。図書館に間違いなく読みたい本があるって、素敵なことだ。
本はいつでも待っててくれる。

図書館に通って本を借りたり返したりすることは、自分にとって、新陳代謝みたいなものなのかもしれない。

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