『らしさ』とは。
こんにちは。杞憂です。
見ようとしてくれてありがとうございます。
ひとつ前の投稿に、私の可愛いイラストちゃん
『らしさ』
を投稿しました。
今回は、『らしさ』について書いていこうかと。
少々お付き合いしてください。
『らしさ』の誕生日
この絵の誕生は、ふとした瞬間に考えた自分らしさからできたものかなと思います。
自分で作り上げたものなのに、なぜ「~なのかな」と少し他人事なのか。
どれかの投稿でも書いたような気がしますが、私の絵は全員、作り上げてるときはひたすらに「無」で
出来上がったときにその絵と「目が合う」ときに感じたことから名前をつけてあげています。
私はこの絵に『あぁ、私』と感じました。
私というヒトの形をした物体って、自分がなんなのか、はたまたなんでこうして息を吸って吐いて、食べて、寝て、動いて、感情を持って生活という一連の流れを日々日々更新していっているのか。
自分の事なのにどこか自分じゃなく、不可思議なものです。
自分の心の中を自分で見ようとすると、どうしても形にならない。
その代わりに見えるのは、ひたすらに抽象的でグチャグチャで色が混ざったり、色がなかったり。
なんとも形容詞しがたいものなのだろうと。
私自身の外見はこんなにも形が定まっているのに、内側の部分はどうしても形にならなくて。
ただ、たまに見える自分の中の色にはヒントをもらう。
色がこれなら、自分は今こうだ、こうすべきだ。
そんな、ふわふわした感じ。
なんとも形容しがたくてあやふやで形にならないものだけれど、これが私なんだなと。
鏡に映る自分は、形こそあるものの、きっと中身と同じようにとは言わないが、時たまに歪んでしまっているのだろうなと。
はたから見れば私のこの自分の見え方なんか「何言ってんだ、こいつ」
この一言で終わってしまうと思います。
でも、私にとってはこれが私で、これが私の自分らしさというものなのかなと。
きっと皆さんも、自分の自分にしかわからない見え方はあるかと思われます。
他人に理解されずとも、何かしらの形になって「自分」はどこかにちゃんといて。
どこかでその自分もこちら側を見ていて。
見つけてくれないかと待っているものもいるのでしょうか。
いつか見つけてあげましょう。
『らしさ』
複雑でシンプルで、理解しえないものかもしれませんが。
私の『らしさ』は、空気とか水とか、形を保つことがなくとも名前があるもののように、名前をつけてあげることはできないけれど
絵にしてあげることで私の中で生きているはず。
そう願ってこれからも絵にしていきたいと
そう思います。
皆さんの『らしさ』はどんな形をしているのでしょうか?
読んで頂き、ありがとうございました。
よかったら、スキをください。
フォローはもちろんお返しに参ります。
それでは。
杞憂
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?