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無限の可能性とか言われても

小さい頃住んでいた家の近くに、仲の良い同級生の家があった。名前忘れちゃったのでサノ君としよう。サノ君の家はいろんなものが高級で、サノ君もおっとりしていておぼっちゃまな感じだった。習い事も当時の同世代の子供としては珍しく絵を習っていた。

ある日、学校の遠足で動物園に行き、その次の日の授業中に印象に残った動物の絵を描くことになった。もともと絵が苦手だったので憂鬱だったところに、その日は担任の先生が風邪でお休みしてしまい、代わりにとても厳しくて有名な先生が授業に来た。クラスが一瞬で緊張し、誰もが「今日は無傷では帰れない」と覚悟した。

私は最初からとても低いテンションで水彩絵の具セットを出し、渋々絵を描き始めた。動物は象にした。体が大きいし特徴があるので下手でもなんとかなりそうな気がしたのだ。

象と言えば灰色。はなから投げやりな気分だったこともあり、私はひたすら白と黒の絵の具を混ぜて灰色を作り、それを画用紙の中央に鉛筆ででっかく描いた象めがけてベタベタ塗りたくった。

すると筆を洗う水バケツがあっと言う間に泥のような灰色になってしまい、象を描き終わって空の部分に筆を移しても暗くて小汚い感じの空になってしまった。

しかたなく私は水を替えようと立ち上がったが、見れば水道の前にたくさんの生徒が列を作っている。「うわーめんどくさ…」と並ぶ気力も失った私は、「いーや、どうせ下手なんだし」と完全に投げやりになり、空も草も花も人の顔さえも灰色がかった色のまま描き終えてしまった。遠足の日は晴れだったのに、私の絵は今にも雨が振りそうな雰囲気だ。

今さら修正もできないし描き直すのめんどくさい。しかし周りを見ると誰も提出していない。時計を見てもまだ授業時間の半分も過ぎていなかった。「これで出したら手抜きしたのがバレバレだなぁ」と思ったが、「どーせ褒められないんだからどーでもいーや」とやけっぱちになった私は、一番乗りで提出しに行った。

早すぎる提出に先生が怪訝そうな顔で私の絵を受け取った。「さぁなんか言われるぞ」と身を固くしていると、先生の表情がさっと変わり、突然私の象の絵を高く掲げた。

「みなさん、このクラスで一番絵が上手なのは秋さんじゃないですか?」

するとクラスのみんなは一斉に首を振り、

「いいえ、クラスで一番絵が上手なのはサノ君です!」

と全力で否定した。みんなの猛反論にちょっと傷ついたがホントの事なので仕方ない。

「そうですか。でも皆さん、秋さんの絵はすばらしいです。見てください!動物園の汚い様子がとてもよく描かれています!

今度は誰も反論しなかった。私の心まで灰色にしなくてもいいだろ。

子どもの頃、よく周りの大人が「君たちには無限の可能性がある!」と小さな私達を鼓舞していたが、私は早々に美術の道は無いと悟った。こんなやけっぱちな絵しか描けない自分に我ながら呆れたのだ。先生のトンチンカンな称賛は、図らずも人の可能性が実は無限ではないことを私に気づかせることになった。感謝すべきか?いやー、もう少し夢見てたかったかなぁ。

その後、私は美術の授業では相変わらず良い成績を取れなかったが、たまに褒められるとめちゃくちゃ嬉しかった。その時もらった褒め言葉を今でも覚えているほどだ。その数少ない高評価な作品が鉛筆で描く似顔絵だった。それを聞いていた夫から「イラスト描いたら?」と勧められて、下手ながらも自分のnote記事の表紙用に似顔絵を描き始めた。

似顔絵を真剣に描いたのは30数年ぶりだったが、ホントに楽しかった。うまく描けなくても凹まない。周りから褒められた記憶はこんなに年月が経ってもなお私を励ましてくれている。

人生まだ折り返し地点だ。ゆっくり楽しもう。だから水彩画は一番最後に取っておく。その時は絶対にきれいな水で筆を洗う!絶対に!

:D

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