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【月報2022年11月】元公僕が地域おこし始めてみた件

11月は、
【訓練で同じ失敗を繰り返す】
【防災を震災伝承でつなぐ】
【避難所生活は日常の延長線上に】
【最善を尽くすためにあえて手を抜く】
【映画と震災伝承】
【鹿子踊入門編】
の内容でお送りします。

1.訓練から災害を知る

11月29日(火) 11月30日(水)@陸上自衛隊岩手駐屯地

岩手大学地域防災研究センターが実施する防災・危機管理エキスパート育成講座の総合実習コースに参加し、滝沢市にある陸上自衛隊駐屯地まで行ってきました。

今まで、基礎コースではオンラインの動画配信で、災害対応についての様々な基礎知識を学びなおしました。

実習コースでは、他の参加者と共に4種類の図上訓練の手法を習得しました。

そして、今回の総合実習コースでは、行政の災害対策本部での実践的な状況付与訓練を学びなおすことが出来ました。

一応、学びなおしということで、過去に自分が研修で学んだり、実践した内容もありますが、常に機会があれば学び続けることが大切だと思い、参加しました。

今回は実習コースの内容について、分けてお伝えできればと思います。

①災害対応訓練に参加した理由

この訓練は自治体の災害対策本部運営の訓練なので、本来ならば自治体職員でもない自分は参加する必要がないと思われるかもしれません。

実際の受講者の中で自治体の危機管理担当者の出席は4分の1程度でしたが、災害対応に関わる自治体職員には必須の内容だと思います。

ではなぜ、自治体職員でもない自分が講座を受けたのかというと、防災・減災や震災伝承に非常に役に立つと考えているからです。

ではなぜ役に立つのかというと、自然災害において自身や津波などの自然現象は人に被害を及ぼす要因の一つですが、自然現象(HAZARD)だけでは被害が発生しません。

自然災害(DISASTER)が人に被害を与えるのは、自然現象(HAZARD)が社会の脆弱な部分や、置かれた環境によって人に被害を与えると考えられるからです。

そして、災害発生時には、市町村が災害対策本部を設置し災害対応を行うことが法律に明記されています。

災害対応を行う行政組織も、災害の被害を軽減する一方で拡大に寄与する可能性もあります。

そういった面では、災害発生時に行政がどういう思想でどういう意思決定をするのか、住民が受ける災害の一要素として知っておくことは、防災減災・伝承において必要なことだと考えています。

例えば、災害対策本部が誤った決断や自分にとって不都合な決断を下したり(自分も訓練で実際にそういった判断をしてしまうのですが)、機能しない可能性も十分あり得るのが災害というものなので、そこで住民が致命的な被害を受けないように事前に備えておくことで被害を軽減できると考えています。

特に、過去の災害では制度のはざまに置かれて、支援の手が差し伸べられず取り残された人達がいたという事実は、震災を伝えるという意味でも非常に大切なことだと思っています。

また、震災の出来事を客観的に検証する上でも、自分自身が訓練とはいえ実際に経験することで、より多くの人に伝えることに役に立つのではないかと思っています。

そして個人的には、この災害対策本部の運営のやり方をきちんと学んで知っていたにも関わらず組織として活かせず、良い災害対応に繋がらなかった経験があるので、同じ過ちをしないように次の人に伝える為にも再度勉強する必要があると思っています。

②災害対策本部の調整機能の大切さ

まずは、簡単に地方自治体の災害対策本部の仕組みについて説明します。

災害対策本部と聞くと、役所などの首長や幹部職員が集まって話し合いをしているイメージを持たれる方が多いと思います。

しかし、それは災害対策本部会議というものであり、災害対策本部はそれに加え、実際に災害対応を行うために通常業務形態から災害対応用に編成された班も含んでいることが多いです。

なので、縦割りの行政組織では、これは災害対策本部でやってもらおうというたらいまわしが発生しがちですが、そもそもほとんどの人員が災害対策本部下に置かれているということです。

また、それとは別に災害対策本部会議で意思決定するための助言になるような情報は、災害対策本部事務局で調整されます。

その情報や助言を元に、災害対策本部会議で大まかな方針や目標を設定し、その内容に応じて各班が災害対応を実施えうるという仕組みになっています。

実はこの調整する役割が自治体には非常に少ないと個人的には感じています。

今の行政事情では、そこまで防災危機管理の部署に職員は配置されていないですから。

次に今回の訓練ついて説明します。

今回の訓練はロールプレイング図上訓練と言い、あらかじめ作られたシナリオに基づき進行するコントローラー(進行管理者)とシナリオは知らされていないプレイヤー(訓練参加者)に分かれて行います。

なので、訓練に参加しないコントローラーをする人員が必要になります。

ちなみにコントローラーは、プレイヤーが行なう以外の役割を演じます。

例えば、住民や、関係機関、外部組織などありとあらゆるものに成り代わり、プレイヤーに対応したり、時間に応じた状況をプレイヤーに付与したりします。

実際に訓練をやってみてコントローラーも大変だろうと感じました。

今回の訓練では具体的な現場での災害対応ではなく、市全体を見た災害対応をコーディネートする役割を災害対策本部の事務局の一員として行いました。

災害の訓練と言えば実技をイメージする人が多いですが、それは大事な一方で、全体像を見ながらそれを調整するものがいないことには、その場限りの対応しかできず、適切な災害対応ができない可能性があります。

三国志などの戦争を扱った物語でも、全線で戦う者も大切だが、それを指揮するものや、それらが動けるための食糧など物資を調達するものの存在を軽視した者は負けるといったエピソードからも現場対応するもの以外の重要性も垣間見れると思います。

③情報の活かし方

行政の災害対策本部では、事務局が情報収集し、その情報や分析結果に基づく対策案に基づいて判断を下し、最後は首長などのトップが決心をするという流れになっています。

その初動対応を決定づける要素の中で特に重要なものが情報活動です。

特に大規模災害では通常時想定される情報はほとんど入ってきません。

東日本大震災でも同様ですが、被害が甚大な場所ほど情報が入ってこないと言われています。

他にも情報が入ってこない理由としては、そもそも行政機関の情報活動能力が不十分だったり、行政職員の情報活動についての認識・基礎知識が不足していたり、外部の問い合わせの殺到や、マスコミの映像報道が先行し、全体状況より特定地域がクローズアップされるなど、自由意志を持った外的要因の働きかけが急増するなどがあります。

なので、災害対応には、「情報が入らない時はどうするか」という考えが重要になります。

そういった状況の中で、事前に分かっている想定を活用したり、イメージすることによって分かっている実被害と被害推定・予測を組み合わせて被害の全体像をイメージすることになります。

要するに、問題解決(状況判断)は情報処理に依存しているということです。

今回の災害対策本部事務局の運営訓練では、統括班、情報班、対策班、広報班に分かれました。

自分は情報班だったので、そこで大切だった情報活動の考え方についてお伝えします。

まず、情報班に情報が集まってくることが第一となります。

そのために情報班以外に入ってきた情報を確実に情報班に回したり、逆に今後予想される災害対応に応じて情報班も必要な情報を自ら取りに行くなどして情報が少ない中でも可能な限り情報を集めることに努めます。

そこで大切なのは、漠然と情報を集めるのではなく、断片的な情報やウソの情報を評価・分析し、提供する、要するにインフォメーションインテリジェンスにすることが必要です。

例えば、ここでこういった被害があるから助けに来てほしいという情報があったとします。

この情報だけで、はい対応しますと言えるかと言うと、災害の規模によってはそうとは限りません。

他でもっと大きな被害や緊急度の高い案件があった場合、それらの全体像を踏まえて、現在ある資源で限られた時間内に出来ることをするためには優先順位を決めて対応しなければならない可能性があります。

他にも数値や状況も提供されたものを漠然と読み上げるのではなく、その震度ならどの規模の被害が出るか、その風速風向なら火災などどういった被害可能性があるかなどを推定し、一緒に提示することで、これから必要な対策のために先手を打って準備をすることが出来るようになります。

そこまで整理して、どのように対応したほうがいいのかに繋がる情報に変えることがインフォメーションをインテリジェンスにすることと言えます。

個々の情報だけだと、全体像の把握や先読み、優先順位、対応策が分からないので、地図で表したり、多くの人に伝わりやすい表現に置き換えるなどをして災害対策本部に関わる人に情報を共有しやすくします。

そして、情報の共有とは、情報の内容+情報に対する認識+処置事項を共有することを言います。

個人的にはここが難しい事だと感じています。

県庁や国、他の災害対応をする職員に同様の状況認識を持ってもらわないと、県庁の危機感が薄く反応が鈍いといった事態になる可能性があります。

過去に実際に災害対策本部で震度6弱レベルの地震の災害対応を行っていた時に、他の課の職員から災害と関係ない会議のための会議室の使用について問い合わせがあった時に職員に情報共有がされていないことを実感しました。

また、被害件数など分かってくる数字ですが、それはあくまでも暫定の数字だということを全ての人が理解する必要性を感じました。

過去に予想される津波の高さも徐々に高くなっていったという事例もありますが、人は被害を自分に都合よく過小に評価する傾向があるため、出ている数字のみに捕らわれず、様々な可能性をイメージして情報活動に取り組むことが大切だと感じました。

特に欲しい情報が手に入らないのが災害時なので、災害対策本部に従事する人は事前に被害の全体像をイメージできるような練習が必要だと思いました。

次回は、訓練で過去の災害からの教訓でやってはいけないことを自分も起こしてしまったことについてお伝えする予定です。

④訓練の練習~自分自身も繰り返す過ち~

訓練の本番は2日目だったので、1日目は練習として1時間程度、災害対策本部時事務局を体験することになりました。

実際にある岩手県沿岸の自治体をモデルとし、震度6強レベルの地震が発生し、大津波警報が発令された場合の初動対応を行いました。

そこまでの情報がわかってたら、適切な行動を取れると思っていました、それまでは。

そして、自分自身この訓練内で大きな過ちを犯してしまいました。

簡単に言うと、本来ならば災害で亡くならずに済んだ災害対応業務従事者を、死なせてしまう行動をしてしまいました。

大槌で震災伝承に関わり、過去の災害からの教訓を知っていたつもりでしたが、それらを全く生かすことが出来ませんでした。

幸いにも訓練だったので、今日の失敗を次に生かすことが出来ます。

訓練はそうするのが目的ですが、実際の本番では他の人にも同じことや同じ思いをしてほしくないと強く思いました。

地震発生後、人命優先と避難の方針のもと災害対応を実施したのですが、津波の恐れがありなおかつ到達していないにも関わらず、浸水想定区域からの要請による救助対応や避難誘導・道路啓開・通行止めなどの災害対応が行なわれている状態に対して、何も状況を変えることが出来ませんでした。

自分は情報班のリーダーではないので、周りの人に「大津波警報が出て、避難指示も出ているけれど本当にそれでいいのですか?」と何度も聞きましたが、それに対しての答えは来ず、そのまま災害対応が現地で行われ続けました。

そこで訓練の練習は終わったのですが、その後に津波が来たらと考えると心は穏やかではない状況でした。

もし実際に同じようなことを自分がしてしまったら、自分に責任は無いとしても、ずっと後悔の念を抱き、まともに生きていけないのかもしれません。

東日本大震災の被災地では、地震後に、救助活動や避難誘導に向かうなどの災害対応に従事した人達がたくさん犠牲になられたり、紙一重で生き延びたという事例をいくつも聞いてきました。

しかし、その場で自分が分かっていたにもかかわらず、組織としての行動を変えることが出来ませんでした。

今まで学んだ災害の話から、自分が危険を感じて、自分の命を守るために逃げる行動をすることはひょっとすればできるかもしれないと希望を抱いていました。

しかし、安全な場所に自分がいて他人や組織を動かすことは、さらに簡単ではないことが分かりました。

人によっては津波が見えてから逃げれば何とかなると思っているかもしれませんが、東日本大震災の被災地の教訓は津波が見えてから逃げるのでは遅いと伝えています。

他の人はそれを知らないのか、知ってなお動けないのかは分かりませんが、人は他で起きた過ちを繰り返し続けるものだと改めて感じました。

東日本大震災の事例も含め、失敗学や失敗の本質的なものについて触れている本で読んだ内容と同じようなことが目の前で起きたので、逆の同じようなことが起こる可能性は過去から災害に限らず様々な分野で示唆されてきたのではないかと思いました。

そして、人の命を救うための方法を学ぶ場で、もしかしたら、人の命を奪ってしまう一歩を踏み出してしまっているのではないかと感じました。

この経験を通じて、震災伝承や防災・減災の分野だけでは無く、様々な分野の力を借りて、同じことを繰り返さない未来につながればいいと思います。

そのためにこういった経験が、他のアイデアや様々な人に届くそうなるために自分自身に出来ることをしていきたいです。

⑤訓練の本番

翌日、ロールプレイング図上訓練の本番に参加しました。

朝の10時から5時間にわたりぶっ通しで災害対策本部事務局の一員として訓練に参加しました。

息をつく暇もなく、昼ごはんも数分で食べただけでしたが、地震発生時に災害対策本部事務局で災害対応を経験した者から言わせてもらうと実際はもっと大変だと思います。

さらに規模の大きい東日本大震災クラスの災害だともっと大変だと思います。

ただ、本番では興奮してアドレナリンやドーパミンが出てきて大変さを感じにくい身体になっているのかも知れません。

架空の町をベースに地震発生、大津波警報や火災などが発生する中、受け取った情報、取りに行った情報を整理して伝える役割を行いました。

その中でも間違いの可能性がある情報が含まれていたりなどかなりのリアリティがありました。

訓練の詳細を書くと長くなるので、訓練を通して気になった点を3点挙げてみました。

一つ目は、大規模な災害発生直後にどこまで正確時な情報が必要なのか?ということでした。

訓練の中では、確実な情報のみを報告するようにと言われましたが、どこまで正確性を重要視すればいいのかの感覚がうまく分かりませんでした。

例えば、火災発生のA地点とB地点や、死傷者のCさんとBを間違えたり、抜けたりすることは、災害対応に漏れが発生し、被害を拡大する恐れがあるため、間違いを起こさないようにしなければならないと言うのは理解しました。

これらの情報は迅速な災害対応には必要不可欠な情報なので、そもそも間違っていては意味をなさないと思っ宝です。

しかし、数字としての件数はどこまで詳細な情報が求められ、どこまでその正確さに初動期に時間を費やせばいいのでしょうか?

例えば、災害規模が大きくない場合の死者1名や、特定の対応をしないといけない移送が必要な患者の数といった数字は、かなり重要で確実性が求められると感じています。

その一方で、大規模災害で、被害を受けた建物の件数や、指定避難所に避難した住民の人数(それ以外の避難者は初期では分からない)についてどこまで労力を費やし正確な情報を集めればいいのでしょうか?

実際に災害対策本部にいた時や今回の訓練でも初動期において、他にもっと重要な災害対応業務があるにも関わらず、1時間おきに避難者数を1桁単位で確認していることに違和感を覚えました。

特に避難者数や被害件数は、これから変化する数字なので、その時点の数字だけは判断しきれない部分もあります。

例えば指定避難所に避難者数が少ない=避難する必要がないのではなく、指定避難所に避難できないなど、災害の現状が事前の想定をと比べてどう違うのか?を判断し、大局的な災害対応をするには、まずは細かい数字よりも大まかな現状とヤバさが分かる情報を集めることが大切だと考えています。

報告された件数がどうであろうと、実際の災害の全容を把握できる頃には、かなりの時間を要します。

東日本大震災がここまでの規模だと現地の人間が正確に把握するにはかなりの時間がかかったはずです。

なので、事前の想定で例えば震度6強の地震が起これば、東日本大震災クラスの津波が発生する可能性があり、今出されている被害想定に沿って災害対応の方針を決め、その想定を上回る事態に関する情報(火災が想定より多く発生した等)を集めることが大切だと個人的には思いました。

災害対応で、想定など事前に分かっている情報を元に、これからどういったことが起こるだろうかをイメージして先手を打つことが大切と過去に教わっていたので

かつて、災害対策本部で災害対応をして情報を集めていた自分より、外部から支援に来た専門家の方が災害規模を正確にイメージ出来ていたということがあったので、報告されている数字をそのまま伝えるのではなく、想定と現状、今後の可能性を踏まえた情報活動が必要だと感じました。

こういった可能性もあり、いまだに被害の数字が変化しつつある東日本大震災の詳細の数値を伝えるのが難しいと考えているので、被害の規模の全体層が分かることを伝えて行けたらと感じています。

二つ目は、情報収集のやり方についてです。

訓練では積極的な情報収集を心掛けなさいと言われましたが、基本的に電話をかけまくることしかできませんでした。

何度も警察消防など関係機関に情報を確認するよう指示されたので、しつこいくらい電話を同じ相手にかけて聞いたのですが、個人的には本当にそれでよかったのだろうか?という思いがあります。

かつて、市町村の災害対策本部にいた時は、都道府県や外部から情報が欲しいとの電話がじゃんじゃんかかってきて、その対応に時間が取れれた上に、そもそも分からない情報が多いので、結果として少ない人員のためい災害対応が遅れることにも繋がりました。

人員が多い場合は、情報を聞く、与えるだけの役割の人がいるのかもしれませんが、そこまで余裕がない状態だと、別の役割を持った人と兼ねている場合もあるので非常に迷いました。

かといって、経験の浅い人を情報のやり取りの担当となった場合、地名や位置関係などの情報が間違って伝わる可能性もあるので注意が必要です。

情報収集している時の自分たちは確実な情報に飢えて、しかもその情報元を外部に依存している状態でした。

もっと資料があれば実際には、とりあえず情報をくださいではなく、被害が多い地域を事前の想定から踏まえたうえでそこに関する情報を求めるなど効果的なやり方もあったのではと思いました。

そして、そもそも電話がつながらない可能性もあり、衛星電話で対応する場合なら何とかなりますが、無線機の種類によっては電話のように同時に話が出来ず、ボタンを押して切り替えるタイプだったり、うまく聴き取れない場合も想定される中で、少し会話を流ちょうに行いすぎたのではと感じました。

かつて、災害時に拠点となる病院間での専用の情報共有システムが使えなかった場合の傷病者情報の共有については、スムーズにするため、事前に決まった順番で情報を読み上げたほうが良いといったの意見もあったほどです。

そういった普段の業務では気づかない災害対応のポイントを気づかせてくれたのは、訓練があってこそなので、実際に災害対応に従事する人はそういった考えを持ってもらえたら幸いです。

三つ目は、分かった状況や数字通りそのままの機械的な対応をする可能性があるということです。

訓練の中で見られたのが、1階が津波で浸水した消防署の2階で災害対応を行っている、浸水範囲ギリギリの避難所となっている建物に避難者を移送するなどです。

機械的な判断をすれば大丈夫?のように見えますが、実際に自分がそこにいると想像したらどうでしょうか?

1階が浸水した消防署の上の階にいることだけでかなりの恐怖を感じたでしょうし、津波の第2波が来ていない状況で、第1波では浸水しなかったとはいえ、低い場所に行く行動は自分だったらできません。

また、浸水区域ギリギリだと、見てはいけないものも見えてしまう可能性があるので、そういった場所に一般の人を行かせることなんて出来ません。

少し考えて想像すればそれがおかしいことは理解できるのですが、まだ第2波は来ていないのに大丈夫ですか?と聞くなどしたもののそう言った動きを止めることは自分にはできませんでした。

訓練の練習に引き続き、関係者や住民に犠牲を出す一歩を踏み出すことを止められなかったという失敗を再び繰り返してしまいました。

ここまでくると、自分がどうかすれば解決するような問題ではないような気がしてきました。

組織の問題もあるかもしれませんが、個人的には行政機関の日常業務と災害対応業務との考え方のギャップにあるのではないかと考えました。

行政の仕事は、形式主義のもので内容が怪しかろうが場合によっては書類さえ整っていればOKというものだったり、明確な基準が設けれらており、そこに少しでも満たないと要件を満たさないといったあらかじめ決められたルールのみに則って仕事を進めるケースが多いと感じています。

たとえば、戸籍の受付で、ネームロンダリングだと思われる1歳差の養子縁組なども、基本的に書面さえそろっていれば、受け付けざるを得ないですし、災害で被害を受けた人がどんなに困っていたとしても、要件を満たさなければお金を給付できないなどです。

その線引きは日常業務を明確に判断しやすくしているので、それ自体に異議を唱えると業務が煩雑になりすぎる部分もあるのですが、その判断基準が決められた時の想定を超えるのが災害だと思っています。

起こる前は想定できなかった支援金の支払い基準や額を拡大しないと困っっている人の助けにならないという場合には、今までの規準通りのことをしていたら、本来の制度の目的である困っている人を助けるといった趣旨にそぐわなくなってしまいます。

そこで、基準にも例外を認められるようにその他○○が認めた場合といった運用ができるようになっているので、うまく生かせば、今までの基準通りではなくても困っている人を助けるといった本来の目的を果たすことが出来るようになっています。

しかし、行政の通常業務では、その例外は基本的には前例がなく使わないこともあるので、そういった相手に寄り添った対応が出来ない、することを考慮しない傾向があります。

様々な災害の被災地の事例を聞くと、災害救助法でも使えた用途によって違いがあると感じています。

それは、どれだけ被災した人の立場に寄り添って、その法律の目的を達成するために考えたかの違いであると思っているます。

実際には、文字通りの規準だと買えない物品も買えることもありました。

だからこそ、災害対応に従事する場合には日常モードから非日常(災害)モードへの考え方の転換やそれを促すスイッチがあると良いと思いました。

そして、行政の法令や決められたルールに沿って判断する側面と目の前の人に寄り添う側面とのせめぎあいのように感じました。

⑥振り返り

この訓練を通じて感じたことは「防災対策は災害伝承でつなぐ」ことが大切ということです。

様々な分野において、災害対策がなされています。

危機管理、福祉、教育、医療、建設土木、消防などそれは多岐にわたることで一つの分野に偏っていない一方で、それらを横断し繋がっているとは言えないと感じました。

今回の訓練は消防系の人が多く、ほとんどが男性で他の分野の人は少なかったですし、逆に福祉分野だと、女性が多かったり、年配の層が多かったりするのではないかと思われます。

かつて、国際交流関係の防災の会議に出た時に、外国人の人に対する配慮の仕方は素晴らしかったのの、災害の想定がかなり想定が甘く、逆に防災分野での外国人に対する話し合いでは、そもそも地震や津波の前提や文化も違う人々に対して、言葉を翻訳するだけで十分と思っている人が多いなど、それぞれの分野での大きいギャップを感じました。

防災という一言でまとめられないほど、災害に関することは多岐の分野にわたっています。

特にがちむちマッチョな防災とゆるふわソフトな防災がなかなか交じり合っていないと思っています。

例えば、消防、自衛隊、救急などのがちむちマッチョな防災では、多様な人の細かなニーズにはより添えないかもしれませんし、子育て世代などが避難所生活や高齢者などの災害時要援護者に対するゆるふわソフトな防災では、災害時に起こりうる究極の選択には耐えられないかもしれません。

他にも法律だったり、お金や産業、報道、娯楽、芸術様々な分野での経験を他の分野で活かせるようにつなぐことが大切だと感じました。

今回は、自衛隊、消防風のがちむちマッチョ防災の訓練だったので、行政の災害対応に必要な多様な人に寄り添う細かな支援という視点での改善も今後必要になってくると感じましたし、空が事前の備えにもつながると思いました。

そういったことの積み重ねが、結果として東日本大震災の経験した人の大切な想いの積み重ねが、現実の人の命を守る手段として活かされることにつながると思います。

それも震災伝承の語りの一つではと思いました。

この図上訓練を通じて、これだけたくさんのことを学ぶことが出来たので、これからの自分の立ち振る舞いとして大槌の皆様のために活かしていきたいと思います。

2.避難所からの学び

11月10日(木)@大槌学園

大槌学園の9学年のふるさと科の避難所運営訓練に手伝いで参加しました。

自分は環境班という避難所の衛生面に関わる班を担当しました。

その班の活動が重要になってくるのは、発災直後の避難者の受入時より、後の避難所生活を送っている時のフェーズとなります。

行政の災害対策本部でも同様に各担当分けがされていますが、例えば避難所担当と家屋被害調査担当は業務のピークとなるタイミングが異なります。

そのミスマッチによって一方は猫の手も借りたいほど忙しく、もう一方は手持ち無沙汰ということが起こりがちです。

なので、避難所運営訓練で環境班は最初から掃除をするのではなく、その場で自分にできる仕事を自分で見つけて行動してくださいと伝えました。

災害という非日常の中で避難所という日常を維持するために、組織としての動きが大切か、個人での動きが大切か、大人もうまく出来るわけではない問題を少しでも避難所運営訓練を通して、失敗し、気づき、次に活かせることに繋がったのではないかと思います。

個人的に、避難所では災害で直接奪われずに済んだ命を、間接的にも失われないようにすることが大切だと思っています。

中学生達には、家の代わりのなる避難所で、どれだけ日常生活の何気ない行動が生きる為に大切か(歯磨き、掃除など)を感じてもらえれば何よりです。

そして、大きくなるにつれて普段から自分にできることがこれから増えるごとに、避難所でできることもアップデートしていってもらえたら幸いです。

振り返りの時間で、そこまで伝える時間がなかったのが非常に勿体無いと感じました。

3.普通救命講習

11月17日(木)@おおつち地場産業活性化センター

普通救命講習を受けてきました。

今までも以前の職場で定期的に受講していたのですが、当時とは変わっている部分もあるので、学び直しも兼ねて受講してみました。

そこで個人的に感じたことが2点ありました。

【躊躇せずやる勇気を持つ】
一つ目は、技術も大切だが心が大事だということです。

今まで人が倒れる現場に居合わせたことは数回ありますが、自分が学んだ技術を活かすことはありませんでした。

津波などの災害から逃げる行動と同じく、やらない理由ばかり探してしまい、つい肋骨折っても大丈夫なのか?、あとで痴漢だと訴えられないかなどがよぎってしまいます。

ただ、冷静に考えれば、かなり極限の状態であることに気づけば、やるのは自分しかないと気づき、行動をする覚悟に繋がると思いました。

声をかける勇気、助けを求める勇気、服を破る勇気、胸骨圧迫で肋骨を折る勇気を持って、これからは『躊躇なくやる』ことを目指します。

【最善を尽くすために楽をする】
二つ目は、目標を達成するためにはうまく手抜きすることを肯定したいと思ったことです。(賛否はあるかもしれませんが)

救急車が来るまで10分以上かかる可能性もあるので、それまで胸骨圧迫を続けるためには、程よい力加減で続けることが大切だと感じました。

いくら命がかかっているとしても、胸骨圧迫を全力で続けるのは体力のない自分には自信がありません。

途中でやめないことが一番大事だから、楽な姿勢でなるべく自分の体力を使わずに続けることが自分なりのベストを尽くすことだと思いました。

先日の避難訓練でも、津波の緊急避難場所に向かって全速力で走り続けるのは無理なので、体力を温存して移動しました(外からは北浦がサボっているように見えます(笑))

救命講習を通じて、命を守る技術以外にも、心の持ち様にも気付く良い機会になりました。

しばらくコロナ禍で救命講習が開かれていなかったのですが、これからも多くの人が学べる機会が有ればいいと思いました。

4.避難訓練の有効活用

①大槌編

11月5日(土)@津波緊急避難場所

11月5日は世界津波の日ということで大槌町の避難訓練に参加してきました。

ただ形通りに、いつもの避難場所に行くのはもったいないと思いました。

そこで、訓練の放送の前にシャワーを浴びてみました。

そんな状況で地震が起こったら、少なくとも服を着る時間はかかりますし、丁寧に頭を拭いてから逃げる可能性もあります。

そうなると時間に余裕がなく、最低限の持ち物しか持って逃げられないと感じました。

多分実際には地震発生から何分経過と意識しないまま時間だけが経っている可能性がありますし。

最初の避難場所で訓練は解散となったのですが、運動がてら避難階段を登り、林道や登山道を通り城山まで歩いてみました。

ちょうどいい感じに紅葉して、車で通った時は見れなかった景色が見れて少しラッキーでした。

下りもせっかくなので車道ではない道を歩いたのですが、若干迷ってしまい、行きたかった大念寺裏山の避難場所の方に行けませんでした。

多分途中で別の道を行ったら、繋がっていたのだと思います。

軽い運動にもなり、少しお得な気持ちになった避難訓練でした。

②吉里吉里編

11月12日(土)@吉里吉里小学校

先日、大槌学園の避難所運営訓練の手伝いに行ったので、吉里吉里学園の避難所運営訓練にも見学に行きました。

吉里吉里学園は大槌学園とは人数も地域性も異なるため、避難所運営の形も当然異なっており、個人的には、避難所運営のマニュアルより、そこに来た人に対して自分がどう出来るか、より身近な人が多い分より添えていると感じました。

避難所運営を通じて、避難所運営のノウハウを学ぶというより、その地域での自分の立ち位置を知り、地域を知るという意味では、ふるさと科そのものだと感じました。

そして、炊き出しでは、震災発災当時に避難者に配られたというピンポン玉サイズのおにぎりも配られ、当時の状況を少しでもイメージすることが出来ました。

また、ラッキーなことに、訓練の後に吉里吉里学園の児童生徒達による吉里吉里鹿子踊を観ることができました。

吉里吉里学園では、子ども達は卒業までに鹿子踊、虎舞、大神楽を一年置きに2回ずつ体験できるとのことでした。

自分達の地域や人のとのつながりを、難しい座学ではなく日ごろの付き合いから学べる仕組みがあり、そこから自分達の誇りを持てることをとても羨ましく感じました。

その後、帰ろうと思っていたら、急遽声をかけて頂き、吉里吉里公民館のイルミネーションの設置を手伝いことになりました。

青色のイルミネーションを設置しましたが、なんとか上手くできたのではと思います。

せっかくなので、暗くなってから観に来ると、きれいなイルミネーションを独り占めすることができました。

独り占めと聞くと、とてもありがたい気がしますが、冷静に考えると年の暮れも近いというのに独りぼっちでイルミネーションという言葉の破壊力と切なさは察していただけると思います(笑)

友達がいなくて、基本引きこもっていると言われている私ですが、大槌、吉里吉里の町では外に出かけると良いこともあるものだと思いました。

5.伝承関係者から見つける新たな教訓

11月24日(木)@おしゃっち周辺

岩手県の防災を学習する場づくりプロジェクトの現地視察会が大槌町で行われました。

釜石や陸前高田などで震災伝承に関わる方が集まり、一般社団法人おらが大槌夢広場の語り部ガイドと、決断のワークショップを体験したうえで、意見交換などを行いました。

この場を見ていて、個人的に感じたことがあります。

普段このプログラムは、修学旅行や企業研修などで来た人に実施されていることが多いです。

こういった人たちは、震災に普段から触れる機会は少なくその人達から見れば非日常の話であり、そこから出てくる意見や考えは多様ではあれど、今までに聞いたことがあるものや、現実離れしたものもあると感じていました。

数時間説明した程度で、そこまで理解を深めることは難しいのでそれは当然だと思っています。

しかし、震災からの経験に深くかかわっている人たちは、そう簡単ではない葛藤や、思った通りに行かない現状などを知っているため、それを踏まえた意見がたくさん出てくると感じました。

そういった意味では、こういった震災での経験をもとに作られたワークショップなどの学びの場は、参加者にとっての学びの場であるだけではなく、新たな価値観や方向性を創造する場にもなりうると感じました。

冷静に考えてみれば、震災を経験した人がかつて新たな未来を拓く決断をした場を再現しているので、かつての問題を今やればどういった策が新たに出てくるかを探すためにも、さらにアップデートした震災伝承になると感じました。

震災からの教訓ということで、当時の教訓を伝えることが多いですが、当時から今の状況を踏まえた教訓を伝えられるようになっていけるといいと感じました。

6.人の口から人の心に伝える

11月27日(日)@仙台市役所

先日、仙台市役所で開催された「あれから12年スペシャルPart1~人の口から人の心に伝える~」に参加してきました。

プログラムでは、主に「ナッジ講座~防災に行動経済学を~」「朗読で伝える~仙台市職員のあの日、あの時~」「災害に向き合い、人間に寄り添う~100年後に伝えるワークショップ~」の3つでした。

以下に、大まかな内容と、個人的な感想を載せます。

①生きるために必要な手段の一つ「ナッジ」

ナッジ(行動経済学)とは、ちょっと環境を変えて、人々が望ましい行動がとれるようにするなど、少し背中を押すことで自然と行動を促すアプローチのことを言います。

行政の意志決定などでもありがちですが、災害時の避難の判断などは、人が合理的に行動する前提で作られていることが多いです。

しかし、現実の人間は、面倒は先延ばし、直感で判断、周囲の上場に大きく影響を受けるなど合理的に行動しているとは限らないのが現状です。

自分自身もかなり面倒くさがりの中、震災伝承・防災減災に関わっているのが現状です。

そして、人にはいわゆるバイアスと呼ばれる意思決定の際のクセが存在します。

例えば、利⽤可能性ヒューリスティクス(思い浮かびやすい、⼊⼿しやすい情報に頼って判断する傾向)、確証バイアス(⼈は無意識のうちに、⾃分に都合の良い情報ばかりを集めたがり、それに反する情報を軽視する傾向)、同調バイアス(⼈は他⼈と同じ⾔動をとる傾向がある)などです。

中でも同調バイアスは災害時の避難行動の話の中で出てくることがあります。

このようにナッジとは、必ずしも合理的でない⼈の意思決定のクセを踏まえた上で環境を整え、本⼈や社会にとって、望ましい⾏動ができるようそっと後押しする⼿法ということでした。

例えば、男子トイレで、しぶきが飛び散らないように、ちゃんと狙いを定める的が便器の中に記してあったり、はがきやチラシなどの案内も見てもらいやすくするためのレイアウトになっていたり、人が防災活動に参加しやすくなるようにインセンティブがついていたりするなどです。

このように、従来の防災で考えられてきた合理的行動(ジャッジ)前提では出来ない行動を補うために本能的・反射的なナッジが活用できるのではないかということでした。

そこで、防災イベントに人を多くの人に参加してもらうためにナッジを活用するワークショップがありました。

個人的には、そもそも防災イベントに参加すれば、災害を乗り越えられるかどうかはさておき、一般的には大切だけど興味を持たれづらい領域なので、今タイムリーな話題やイベントの中に防災に関する要素を忍ばせるなど、「防災は大事だ」と声を上げなくても、自然と命を守る行動に繋がる経験をしてもらうことが実現できれば良いと考えました。

あと、思ったことがあります。

また、ナッジ(行動経済学)は、「本⼈や社会にとって、望ましい⾏動ができるようそっと後押しする⼿法」ではありますが、実は本人にとって望ましいと他人が勝手に想像した行動を後押しする危険性もあると個人的に感じました。

災害から命を守る行動を促すことについては異論の余地はないですが、イベントに参加させたり、お金を支払わさせたい、本人が当初望んでいない方向に誘導ができる可能性を考えると、使い方次第では、正直悪用される内容だとも感じました。

以前、どこかでナッジに関する話を聞いた時に講師から参加者に向けた言葉の中に胡散臭いサプリメントの宣伝と同じ言葉が入っていたこともあったのでそう感じました。

ただ、それも自分が胡散臭く感じただけで、人によっては分かりやすい表現なのかもしれません(それが逆に危険なのかもしれませんが)。

ナッジについては、人の心理や行動に関する部分なので、使い方次第では良い面や悪い面もあるのは、仕方ないと思います。

簡単にまとめると、人は合理的に判断する時と直感的に判断する時があるので、その両方に対応できるように、ジャッジ的な要素とナッジ的な要素を活用すれば、相手に行動を促すことが目的である、防災減災・震災伝承の分野ではうまく活用していきたい内容だと感じました。

余談ですが、この場でも用いられた「ワークショップ」も合理的な行動と、直感的な行動の交わる場だと思いました。

グループ内で必ずしも進行通りに話が進むとは限らないので、そこにもうまく話し合いができるようにナッジを活用できる余地があると感じました。

②伝える姿勢と受ける姿勢

東日本大震災を経験した人や、そこで災害対応に当たった行政職員の体験を朗読にしたものを聞きました。

震災の話と言うと、発災当初や避難生活の話が多い印象を受けますが、なかなか実態が外部に伝わっていない「仮設住宅」の話だったので、「震災」という出来事を、長い時間軸で捉えることに繋がると感じました。

神戸の人と防災未来センターでは、元公務員が公務に従事した話をする語り部が多いのですが、東日本大震災の被災地ではまだ、公務などの災害対応業務に従事した目線からの語り部は少ないので、未だ多様な目線で伝えられていないことはたくさんあると感じました。

また、朗読で、言葉の強弱がはっきりしていたので、臨場感や感情面で「人の口から人の心に伝わる」のを感じました。

その一方で、具体的な事実はあまり記憶に残らないと個人的には感じました。

自分自身は防災・減災・震災伝承を仕事にしているので、学びの場という意味では、演技のように口頭だけだけというものだと、理解しれないと感じています。

講義を聞くようなスタンスで聞くと、当然全体像や相手の伝えたいことはぼんやりとわかるのですが、細かい所を気にしてしまい、細かいことを考えてしまい、そこの情報がうまく聴き取れなかったりすると伝わらなかったと感じてしまうのではと思いました。

ここで、朗読の内容について書くことが少ないのも、関係しているのかもしれません。

自分は、仕事スタンスで話を聞くときには結構メモを取るので、詳細情報も同時に集めることが多いのですが、そのスタイルで朗読などを聞くと、相手の伝えたいことと、自分が知りたいことがかみ合わないのではないかと感じました。

例えば、「すずめの戸締り」の映画を見た時、仕事柄、震災に関する様々な情報が気になり、本編のストーリーへの没入感が薄れてしまったと感じました。

エンターテイメント的なものに合理的なものを求める自分の姿勢が間違っていると思いました。

だからこそ、伝える内容ややり方によっても、事前の聞き手の姿勢が伝わり方に影響を与えるのではないかと思いました。

自分が、映画や語りなど感情的に訴えるような内容には影響を過剰に受ける方なので、一人で映画を見る時以外は、仕事的なスタンスで臨んでいるからかもしれません。

それと同様に語り部が伝えたいことは、起こった事実なのか、それを体験して感じた心なのか?聞き手は何を求めているのか?によっても伝わり方が異なるのではないかと考えました。

語り部の話を一生懸命にメモする姿勢も大切とは思いますが、話し手が、細かい出来事よりも、自分の感情や思いを相手に伝えたいと思っているのならば、ペンを止めて、相手の表情や身振り手振り、言葉と言葉の間に神経を注いだ方が、話し手の伝えたいことが分かるのではないでしょうか?

心のメモに書いておけと言われるような内容は、心のメモに書き留めておくようにしたいと思いました。

なので、たまにYouTubeの動画などでもある、「こんな感じで伝えるので、こんな感じで聞いてください」といった前振りって、非常に大切な気がしました。

③災害は「人間」から

大学院でお世話になった室崎先生の講演とワークショップでした。

まずは、被災地だからできることとして、同じような苦しみを味わう人がない社会を創るあるということで3つの「つ」が大切ということでした。

 ・「つなぐこと」が何より大切 つなぐためには(コミュニケーション)
 ・「つたえること」がもとめられ、伝えるためには
 ・「つちかう」ことが求められる

そのために率先者として背中で伝える姿を見せる必要があるとのことでした。

そして「伝えるということ」について、深掘りがなされました。

「事実を伝える」ということは大切ですが、見えない事実を見えるようにすることで災害の全体像が明らかになるということでした。

例えば阪神淡路大震災では、あまり知られていない震災障碍者や仮設住宅での話についてです。

そして、①何のために②誰に③何を④どのように伝えるかということについて、志は高く、敷居は低くということでした。

自分自身も、経験した人自身のためにも、それ以外の人のためにもより多くの人が誰でも「伝える」ことに関われることが大切だと感じました。

次に「何を伝えるのか?」ということですが、今までも過去の災害から伝わってきたことと、伝わってこなかったことがあるということです。

災害を通して「自然の大きさと厳しさ」や「人間のたくましさと素晴らしさ」は良く伝わっているが、被災者は思い出したくない「災害の残酷さや悲しさ」や「人間の間違いや愚かさ」は伝わっていないということでした。

神戸の震災の経験も、復興がうまくいったという部分が強く伝わり、そこまでの様々な言いにくい課程や、地域の特色に沿ったやり方が伝わっていない部分もあるということでした。

そこで自分は、今大槌にいる以上うまくいったとだけ外部に伝えるのではなく、うまくいかなかったこともこれから大槌でうまくいくように努力し、そこを踏まえてが他の地域に伝えることが大切だと感じました。

そうでないと、せっかく受け取ったバトンも都合に良い所だけ次につないだ結果、同じような過ちを繰り返してしまう可能性があると思ったからです。

また「どのように伝えるのか?」という話では、「知識よりも見識として、情報よりも文化として、形式よりも心情として」「伝える素材」「伝える人材」「伝える形式」「伝える仕組み」の重要性と、100年後を見据えて伝えるということでした。

そこで振り返ると100年が経とうとしている関東大震災のことは今に伝えられているのか?ということでした。

そして、100年後となってはいるが、STEP BY STEPで徐々に積み上げていく踊り場が必要ということでした。

その間の世代交代の中で、過去の教訓とそれの活かし方が今の時代に合っているかチェックをし、その検証結果を新しい教訓として次に生かしていくということでした。

技術の変化による課題解決はこれからも進んでいくので、新しい教訓をそこに活かせる社会づくりが大切とのことでした。

そして社会的伝承は様々な人の共同作業ということでした。

・風の人(よそで起きた教訓の種を運ぶ人)

・水の人(個々人の経験のを相対化、客観視することで、土の人のすぐそばで水をやり続ける人)

・土の人(一番大切な地元にいる人)

・太陽の人(上から日差しを当てる人(行政))

これらの人の共同作業でそこに臨機応変に地域の違いに合わせることが大切ということでした。

自分は、この中では、風というより、水の人として、土の上で撒かれた種が育つ支援をするのが役割だと感じました。

また、東北大学の佐藤翔輔先生からのコメントでは、阪神淡路大震災では建物被害による圧死が一番多く、一番の学びだと考えているが、人と防止亜未来センターにはそういった本質的な展示が無いということでした。

災害対応や、避難生活、仮設住宅や復興の過程など震災に関する学びは多岐にわたる一方で、負の展示にはなるが本質を表した学びを伝えることも東日本大震災の被災地にも必要だということでした。

確かに、人と防災未来センターで一番話す内容がコンパクトにまとまっていた語り部の方の話が、自分が経験した建物に生き埋めになった時の話でした。

自分でもその話を聞いた時に、他の教訓より真っ先にその話が印象に残り、一番大切なことだと思ったので、津波被災地では津波避難を優先するがゆえに家屋倒壊による生き埋めに関してあまり重要視されていないように感じるのが少し気になっています。

これらの話を聞いて、災害に備えるだけにとどまらず良く生きるためには、「人」が一番大切だと感じました。

安易に若輩者が「人」という言葉を使うと浅い感じがするのですが、災害の被害を軽くするのも、重くするのも「人」だと思ったからです。

人を育てるといった大きなことは自分には出来ないですが、「人との対話」から伝えるということをよりうまくできるようにこれからも切磋琢磨していきたいと思いました。

7.映画から震災を知る(※映画のネタバレあり)

先日、新海誠監督の新作、『すずめの戸締まり』を観に行って来ました。

【あらすじ】
九州に住む主人公のすずめが、日本各地の災いを呼び込む扉を閉めて回る話で、そこにはすずめの過去の話が関係していました。

大槌や山田の景色も出てきますが、山田の織笠駅や、気仙沼の道の駅大谷海岸はともかく、他の景色はもう見られないものや、仮にその場所が特定出来たとしても今はまだ、物見遊山で訪れる場所ではないと感じました。

★★★★★以下ネタバレ注意★★★★★













ストーリーの根幹である戸締まりについてはファンタジー要素のため触れていません。

レビューなどで東日本大震災を描いていると言われますが、メインではなく、主人公の過去の記憶として描かれます。(人によっては充分震災がメインと感じるかも知れません)

ストーリーが進むにつれ分かるようになりますが、主人公の岩戸すずめは震災孤児であり、津波の後に九州で叔母と2人暮らしをしていました。

発災12年後の震災孤児をテーマに描いた作品で、ファンタジー要素の強いフィクションでありながら、主人公の心理描写は、こういう人もいただろうというノンフィクションに近いものだと感じました。

現にすずめは日記の3.11のページを黒塗りにし、記憶に蓋をして生きてきたように見えました。

また、出てくる地名や景色も実際の場所だったり、大槌に来てよく人から聞いた景色だったりしました。

序盤は震災孤児であることを感じさせないような振る舞いをしていたすずめでしたが、夢の中や直接経験していない人とのギャップで、自分の経験を強く自覚する様になっていきました。

特に2つ印象に残った言葉があります。

帰還困難区域の周辺の福島県双葉郡だと思われる原発の見える高台で、登場人物の1人が「ここってこんなに綺麗なところだったんだ」というようなセリフを言うのですが、そこですずめが「綺麗?これが?」というセリフを言いました。

これ以上深掘りもされない何気ないやりとりの中でしたが、映像美生み出す新海誠の作品だからこそ、距離と経験と時間が生み出したギャップを伝えるシーンだと思いました。

もう一つは、クライマックスシーンですずめが言った「大事なものは、もう全部、ずっと前にもらってたんだ」というようなセリフです。

理由はわからないですが、すごく心に残りました。

また、映画を通じて自然災害の怖さより、無くすことの怖さと知らずに受け取っていたものの尊さを再認識することはできました。

ちなみに僕はほとんどの映画でボロ泣きするので『泣けた!』という感想はなんの意味も持たないので感想は控えておきます。

ただ、人によって賛否はあれど話題になる映画監督が話題になる作品で、今までとは違う東日本大震災の扱い方をしたことは、ある意味震災を未来に伝えるひとつのやり方だと思いました。

僕の頭の中の太平洋戦争のイメージが火垂るの墓であるのと同じように、これから震災を知らない世代に津波の様子を相手に伝える際には、あの映画のあのシーンと言ったように言える時が来るかも知れないので、そういう意味ではこれからも多くの人が目にする機会があってほしい映画です。

また、聖地としてモデルとなった場所が三陸にもあります。

分かった場所は気仙沼市の道の駅大谷海岸、山田町の織笠駅です。

あと、今はもう現物は残ってないですが、大槌の民宿あかぶの上に乗り上げた観光船はまゆりは、津波と火災の被災の様子の回想シーンで使われていたので、PRなど他のことには使いづらいと感じました。

他にも乗り上げた船や火災の様子などの描写もあったので、全てを現実の位置関係に即しているとは限らないと思います。

あとは主人公の家も山田の織笠駅の近くの可能性はありますが、映画では基礎だけの廃墟となっていました。

そういう場所に物見遊山で人が訪れるにはまだ早い気がするので、すずめの実家跡地のモデルとなったリアルな場所は存在しないのかも知れません。

8.鹿子を追いかけて

臼澤鹿子踊に参加させていただくことになったのですが、最初は鹿子踊について、右も左も分からない状態でした。

そこで、図書館で大槌の郷土芸能の本を読んで調べたり、他の地域の鹿子踊を観に行ったりして、手探りながら、その歴史を紐解いていきました。

また、実際に大槌の吉里吉里鹿子踊や、遠野の板澤ししおどりを観に行ったりして、イメージを膨らませて、少しずつ鹿子踊の自分の視界を広げていきました。

これらの鹿子踊は、幕踊り系と呼ばれ、ルーツも同じとは言われているのですが、遠野と大槌では結構異なっていたり、また大槌町内でも違いがあるなど時代を経て独自の踊りに変化したことを感じることが出来ました。

実際に練習に参加しても、まだよくわからないことがたくさんありますが、今自分だけでできることは、踊りを覚えることなので、普段から車での移動中では鹿子踊の動画を流して音を聞いたり、ひとりでステップの練習をしています。

いつかは踊り手として参加できるように頑張ります。

ダダニコダダニコダダニコダンダン

9.今月の大槌

今月の写真はほとんど他の内容のところで掲載しているのでそれ以外の写真はあまりありません。

皆既月食
ちおこのジビエチーム報告会

10.おわりに

11月は伝承の文脈にある東日本大震災をどうやって実際の防災に行かせるのかを考え、悩んだ1ヶ月でした。

そのせいか、報告書の文字数も2万文字を超えてしまいました。

まだ、日々勉強させていただいている段階ではありますが、必ず大槌の皆様のより良い生き方に向けて役立てて行きますので、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。


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