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北海道 お裾分け山盛り食材うきうき大量消費生活

6月に入ると、大量の野菜をもらうようになる。
リーフレタス、小松菜、春菊、大葉。初夏のうちは葉物野菜が多い。それから種まきから収穫までが早いラディッシュなんかも。

今日もたくさんの野菜をもらってきたので、冷蔵庫におさめるべくキッチンでそれぞれの処理していく。
リーフレタスは綺麗に洗って水気を拭き取りプラスチックの保存容器に。
毎日サラダに使うので、あっという間に消費できる。
抱えるほどの小松菜は短期決戦を諦め長期戦で挑むことに。
洗って拭いてザクザク切ってジッパー付き保存袋に入れて空気を脱いて冷凍保存。きちんと水気を拭き取れば冷凍してもパラパラで、使う分だけ取り出せてとても便利。
大葉はシンプルに醤油漬けにしようかそれとも刻んで大葉味噌にしようか……。と少し悩んでから今回はわさび漬けにする。
保存袋にわさび醤油みりん炒りごま、そしてごま油を少し。空気が入らないように密閉して漬けこめば、鼻に抜けるわさびの辛さと大葉の風味が爽やかな大人向けご飯のお供になる。
春菊は胡麻和えやおひたしもいいけど、今日は食事の副菜用にお揚げと一緒に甘めのお出汁で煮込む。
残りは明日のお昼ご飯にチヂミにして食べよう。
ラディッシュは半分はサラダ用にとっておき、もう半分はアオハタのジャムの空き瓶にお酢水砂糖を沸騰させたアツアツの液と一緒に入れて甘酢漬け。
葉と茎の部分は洗って保存し、お味噌汁に入れてもいいしサラダにしてもいい。

毎回大量のお裾分けをもらい、「いやこれ冷蔵庫に入れるの無理だろ」と思う量の野菜をしっかり処理し終えた時の達成感がたまらない。
しかもこの先その食材たちを食べる楽しみまである。

一年の半分を雪と寒さに閉ざされた北海道。
春になると一気に草木が芽吹き、初夏を迎える頃にはたくさんの食材が実り出す。
農家さんたちが身近に暮らし、広い敷地でものすごい規模の家庭菜園をする人や、自前の船で趣味の釣りに出かけたり、狩猟の免許を持ち鹿を狩る人がいたりする北の大地。
これは北海道の片田舎で暮らす私の、山盛りお裾分け食材大量処理エッセイです。


ほぼもらいものミモザサラダ。ラディッシュのぴりっとした辛さがおいしい。
ゆで卵は健康とダイエットにいいとなかやまきんに君が言っていたので、
毎日朝晩一個ずつゆで卵を食べてます。ぱわー!


片田舎からド田舎へ

北海道の海沿いの片田舎で育った私。数年前、転勤族の夫についてさらに田舎に引っ越した。
周囲を見渡せば、海、山、畑、牧場。
一車線の細い道路沿いにぽつんと立っている古びたバスの停留標識に書かれたバスの時間は三つだけ。朝、昼、夕方。以上。しかも路線なんてなく、町内をぐるりと一周するだけ。
そんなところ。
周囲に知人も親戚もおらずお店も病院も少ないこの土地。多少の不安はあるけれど、車があるしまぁなんとかなるだろう。そう思っていた私は、引っ越し早々洗礼を受ける。
当時三歳の娘とお散歩をして家に帰ると、玄関のドアノブにビニール袋がぶらさがっていた。なんだろうと思い中を覗くと、2匹の金魚が入っていた。
袋の中はそれだけ。手紙もなにも見当たらない。入っている袋から、町内のホームセンターでわざわざ買って来たものだと推測できた。
何故金魚。そして誰が。激しく困惑する私。
もしかして夫が?と思い、仕事中の彼に電話をして事情を話すと「小さな子どもが引っ越してきたから、よろこぶと思って近所の誰かが置いて行ったんじゃない?」と言われた。
いや。意味が分からない。たとえ子供をよろこばせたいという好意だったとしても、相手の都合もおかまいないし生き物を押しつけるっておかしくない?
そう主張する私に夫がひと言。
「いや、田舎だから普通にあるって」
田舎だからという言葉ですべてを片付けられ、私はさらに困惑する。
夫に相談しても贈り主はわからぬまま。
この金魚はどうすればいいんだろう。
自宅の前で娘と悩んでいると、近所に住む小学生が自転車で通りかかった。
よっぽど私が困っているように見えたんだろう。
「どうしたの?」と話しかけられ金魚を見せると「そっかぁ。友達に金魚飼いたそうな子がいるから、持って行ってあげる!」と袋を掴み私の返事も待たず自転車で走り去っていった。
その後ろ姿はとてもたのもしく見えた。
誰がくれたのかわからない謎の金魚は、誰かわからない人の元へもらわれていった。今でも誰かのおうちで元気に飼われていればいいなと思う。

ちなみにその後も謎の贈り物は続き
綺麗に咲いたマリーゴールドの株や丁寧に編まれたシロツメクサの花冠。大量の四つ葉のクローバー。コーヒーの空き瓶に入ったオタマジャクシなど、定期的に自宅の玄関前にいろんなものが置かれた。
正直うれしくないけれど、粗雑に扱うにはちょっと心が痛むようなものばかり。
どんな人がどんな意図でおいて行ったのかわからないまま、いつの間にか贈り物は届かなくなっていた。
一体何だったんだろうと思うけど、まぁ田舎だからなと納得できるようになった私は、成長したのかもしれない。


玄関前に置かれていたマリーゴールドの写真。
あの贈り物たちは誰がくれたのか今でも謎。


2キロ超の肉塊

ある日夫かなにか大きなものを持って帰って来た。
「もらった」と言われ見てみれば、赤々とした肉の塊。
「なにこれ」
慄く私に夫は明るく笑う。
「猟師をしてる人に冗談で鹿肉ちょうだいって言ったらくれた」
なんとそれはエゾシカの肉だった。
好奇心旺盛で人懐っこい夫は、こうやっていろんな人からいろんな物をもらってくるのだ。
冗談で言った割には、肉の量が多すぎる。なんだこの量は。肉屋の仕入かな?
そう思いながらいったいどくらいあるんだろうと好奇心に駆られ体重計に肉の塊を乗せた私は絶句する。
いやこれ2キロ以上ある。
調理に手がかかるエゾシカの肉を塊でもらってどうしろというんだ。
前に一度鹿肉をもらったことがあるけれど、そのときは牛乳に漬けこんでもオイル漬けにしても独特の臭みが気になった。それ以来ジビエには苦手意識を持っていた。
その鹿肉が今度はこんなに大量に。どう考えても食べきれない。食べきれなかったら捨てるしかない。
でも食べ物を粗末にするのは心が痛むし、燃えるゴミの日に大きな肉の塊を捨てるなんてものすごくあやしくない? 
捨てるところを誰かに見られ事件性があるんじゃないかと疑われたらどうしよう……。
『あなたは今朝、得体の知れない肉の塊を捨てましたね?』と警察が訪ねて来るところまで想像して青ざめる私をよそに、夫は楽しそうに鹿肉の白い筋と綺麗な肉の部分を包丁で切り分る。
「獲れたてで新鮮で、すごくいい部位らしいよ。好きな人はユッケで食べちゃうくらい」
「ユッケで!?」
野生のエゾシカをユッケでって。たしかにジビエをユッケで食べるのは知っていたけど、生の肉の塊を目の当たりにすると野性味が溢れすぎてて驚くどころかちょっと引く。
「でもさすがに家でユッケにするのはこわいから、ちゃんと火を通そうか」
夫はそう言い、切り分けた肉をオリーブオイルをひいたフライパンで焼いた。
味つけは粗挽きの黒コショウと岩塩のみ。
「はい、あーん」と肉を差し出されしぶしぶ口を開いた私は驚いた。それまで抱いていた鹿肉のイメージとまったく違ったから。
鹿肉は濃い味付けでしっかり煮込んでもどこか臭みが残る玄人好みのお肉だと思っていたのに、猟師さんからもらった新鮮な鹿肉は牛の赤身のようにクセがなく柔らかい。しかも脂身が少ないのでものすごくさっぱりしていた。
「おいしい!」
目を輝かせる私に夫は得意げに笑い冷蔵庫から2本の缶ビールを出してきた。もちろん1本は私の分。プルタブを上げ軽く缶をぶつけて乾杯してから夫婦ふたりで鹿肉をおつまみに晩酌をする。
なんて贅沢で幸せな時間なんだろう。大量の鹿肉は厄介な物でしかなかったはずなのに、そのおいしさを知った私はすっかり上機嫌になっていた。
ちなみに上質の鹿肉をお店で買うと、とんでもない値段がする。2キロの塊なんて、それこそ目が飛び出るほどの金額になるだろう。
それが無料でもらえたなんて。これを幸運と言わずしてなんと言おう。
そう思うと私の料理心に一気に火が付いた。
「残りの肉はシチューにしようかな」
「にんにくとオイルで漬けてもおいしいらしいよ」
「ジンギスカン風に味付けして焼肉にするのもいいね」
ほどよく酔いながらそんな話をしていると、さっきまで怒っていた自分がバカみたいに思えてきた。
目の前で鹿肉を焼いてくれる楽天家の夫を見て気づく。やる前から料理をする面倒さを想像して不機嫌になるよりも、なにごとも面白がって調理しておいしく食べたほうがずっと楽しいんだと。
そして、たぶんそれは食べ物だけじゃなく、日々の生活のすべてに通じる。
この一件で私はレベルアップできたような気がした。


一晩寝かせたエゾシカ肉のシチュー温玉のせ。
今は引っ越したので鹿肉をもらう機会が減ってしまいました。あの赤身肉が恋しい。


ご家庭感満載ミートソース

ある日自宅の前で娘と遊んでいると、お隣さんに声をかけられた。
「娘ちゃん、ピーマン好き?」と聞かれきょとんとしながらうなずく。
「よかった。じゃあちょっともらってくれない?」
お隣さんは一旦自宅に入って行くと、ビニール袋を持って戻って来た。大きなレジ袋いっぱいにつやつやした緑のピーマンが入っていた。
それは、私が想像する『ちょっと』とは一線を画す量だった。
「え。こんなにもらっていいんですか?」
困惑する私に「いいのいいの」と言いながら去っていくお隣さん。
この町ではこんな感じで、やたらに物をもらうことが多い。いろんな物をとにかく大量に。
大抵くれる相手もその量を持て余し困っている場合が多いので、遠慮しようとすると逃げるように去っていく。
引っ越してきたばかりの頃はお裾分けの量の多さに毎回慄いていた私だけど、鹿肉の一件を経てちょっと意識が変わった。
どうせお裾分けしてもらえるならよろこんで受け取って、楽しく美味しく調理しよう。そう思えるようになったのだ。
幸いピーマンは家族みんな好きだ。肉詰めにしたり野菜炒めにしたり醤油で炒めてかつお節といりごまで和えたり……。調理法はいくらでもある。
しかしその夜、夫がまた大量のお裾分けを持って帰って来た。
今度は袋いっぱいのつやつやで真っ赤なミニトマト。
ちなみに私以外の家族はトマトが嫌い。みんな基本トマトを食べない。
おい夫。なぜ自分が嫌いな食材をもらって来るのだ。しかもこんな大量に。ちょっと無責任すぎないか。
そう文句を言いたくなったけれど、私自身はトマトが大好きなのですぐにまぁいいかと思い直しずっしりと重いミニトマト入りの袋を受け取る。
これだけのミニトマト、私ひとりで生で食べ続けたところで消費しきれるわけがない。
じゃあどうしようと頭をひねり、ソースにしようと決めた。
シンプルなトマトソースではトマト嫌いの家族が食べてくれないので、今回作るのは家庭的なミートソース。
使うのは味の素の『ルーミック』という粉末状のミートソースの素。
炒めたひき肉とたまねぎに加えるだけで、子どもが大好きなあまじょっぱいミートソースができる魔法の粉だ。
小さな頃、母はミートソーススパゲティを作るときいつもこれを使っていた。我が家の思い出の味である。
ちなみに私はこれに、大量の野菜を入れるのが好きだ。
さっそくミニトマトを湯向きしトマト嫌いな奴らに文句を言われぬよう刻み、ひき肉玉ねぎナスきのこなんかも入れる。ついでにもらったピーマンも。
ミートソースにピーマンを入れるとほんのり苦みが広がって美味しさが倍増するのはなんでなんだろう。
ミートソースといいつつ肉よりも野菜の割合が圧勝しているフライパンに、ルーミックの粉末ソースを入れ、ついでにみりんとウスターソースでさらに家庭感満載の味に調える。
もはや『ミートソース』と言うよりも、『刻んだ野菜をトマト風味であまじょっぱく煮詰めたもの』というほうがしっくりくる、野菜たっぷりのソースが大きなフライパンいっぱいに出来上がる。
これを一食分ずつジッパー付きの保存袋に入れて冷凍すれば、いつでも美味しいミートソースが食べられる。
ちなみにこの野菜たっぷりのソース、いろんなアレンジができる。
パスタにかけるのはもちろん、オムレツに入れてもおいしいし、食パンにのせチーズと一緒にトーストしてもいい。
ご飯に混ぜればチキンは使ってないけどチキンライス風の味付けになって、簡単にオムライスが作れる。
ダイエット中なら水切りした豆腐で豆腐のミートソースグラタンにしてもいいし、オートミールならドリア風にもなる。
たくさんの野菜を刻むのはちょっと面倒だけど、その後どうやって食べようかなと想像するだけでわくわくできる、大好きなレシピです。


味の素のミートソースの素。
冷蔵庫にある野菜を手当たり次第入れて作るのが好き。

抱えきれないほどのふき

道路を挟んだおうちのおばあちゃんが、なにかを抱え我が家にやってきた。
玄関に出ると、おばあちゃんは新聞紙に包まれた大きなものを差し出す。
「いっぱい取って来たんだけど食べない?」
なんとそれは大量のふきだった。
ちなみに北海道で一般的に食べられているふきは大きい。人の背丈を超えるほど高く伸びる。もしお暇なら「ラワンぶき」で検索してみてほしい。引くほどでかいから。トトロが傘代わりに使うあれ。
おばあちゃんが持ってきたのはラワンぶきほどではないものの、それでも十分大きく太いふき。
私はその量と太さに慄きつつ、断るのは申し訳ないと思い「頑張って料理してみます」と受け取った。
ちなみに我が家はふきが大好きで、おでんを作るときは毎回ふきを入れる。
ふきを入れるとお出汁にほろ苦い風味と深みが加わって、おでんがものすごく美味しくなる。
ミートソースにピーマンを入れるのも大好きなので、もしかしたら私はほのかに苦みがあるものが好きなのかもしれない。
まぁそんな話は置いておいて。
ふきは大好きだけど、お店で売っている水煮しか使ったことがない私は、うまれて初めて生のふきと格闘することになった。
さっそくふきの料理の仕方を検索する。あくが強いふきをおいしく食べるためには下処理が重要らしい。
まず長いふきを一生懸命洗いお鍋に入るサイズに切って、たっぷり塩を振って板ずりをする。
北海道のふきは一本一本が太いうえに大量にあるのでこの作業だけでものすごい時間がかかる。延々とまな板の上でふきをずりずりずりずりこすり続ける。
あまりに果てしなくて途中で自分はなにやってるんだろうと不思議に思えてくる。これはなにかの修行かな。
それでも途中でやめるわけにはいかないと無心で手を動かし続け、悟りを開きそうになった頃ようやく板ずり終了。
今度はお鍋にたっぷりのお湯を沸かしてふきをゆで、ゆであがったらすぐに冷水にとり冷やす。
家で一番大きなお鍋を使っても入りきらなくて、この作業を3回繰り返した。
ふきが冷えたら今度は皮と筋を取る作業。
しっかり板ずりしたおかげでするする筋が取れて楽しい。と思ったのは最初の1、2本ですぐに飽きてまた悟りを開きつつ手を動かす。
その作業が終わってようやく下処理完了。
ふきを食べるためにこんなに手間がかかるなんて知らなかった。ふきの水煮を作っている工場でも同じ作業をしているんだろうか。それとも板ずりから筋取りまですべて機械で自動化されてたり?
好奇心がくすぐられるけれど、とりあえず料理に突入。
一部は厚揚げと煮て優しいお味の煮物に。一部は甘辛く炒めてしっかりした味付けのきんぴらに。
そして食べきれない分は冷凍保存に。
すべてのふきを処理し終わり、達成感に酔いしれる。
ちなみにそれだけ苦労して料理したふき。採れたてだから特別美味しいというわけもなく、ふきはふきだった。
いや、もちろん十分美味しいんだけどね。労力と報酬が釣り合ってないと思うのは、私の料理の腕のせいなのか。
そして後日。冷凍保存しておいたふきを料理しようと取り出すと、水分が全てぬけ繊維質だけのすっかすかの状態になっていた。
冷凍保存できると書いてあったのになぜ…!あんなに下処理に苦労したのに…!
と思わず膝をついて嘆く。
そんなわけで私の結論。
「ふきは買った方がいい」
知らなかったことを学び、経験値をつみ、またひとつレベルアップしました。
でももしまたおばあちゃんがふきを抱えてやってきたら、断るのが苦手な私は受け取っちゃうんだろうなと思う。

そんな私のお裾分け山盛り食材大量消費生活は試行錯誤を繰り返しつつ今日も続いていくのです。


#創作大賞2024
#エッセイ部門

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