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のらねこ旅日記≪みちのく予約なしの旅≫

  これも若気の至りのお話です。
  当時、なぜか東北がマイブームだった私は、友人Aを岩手旅行に誘いました。
中尊寺
厳美溪
宮沢賢治祭
三陸鉄道
と、目的とざっとしたルートだけ決めて、なぜか今回は宿を予約しないで行ってみよう!と、いうことになりました。(今では恐くてそんなことできません)
  さて、旅行初日は中尊寺、厳美溪と観光して、私たちは花巻駅前の観光案内所で宿を探しました。
メジャーな花巻温泉は全て満室で、そこより先にある台温泉の宿を紹介されました。
  路線バスで30分、途中に花巻温泉郷の立派なホテルが見えました。
  そして到着した台温泉は、いい意味で古い温泉旅館でした。
  私たちは、早々に夕飯を済ますと、宮沢賢治祭りに出かけようとしました。
すると、旅館の従業員さんが、終バスの時間を教えてくれました。
  花巻駅までバスで出て、道がよくわからなかったので、祭りの会場にはタクシーで向かいました。
  祭りといっても、派手な感じではなく、夜の野外で郷土芸能の演舞などが行われていました。
  そして気がつくと終バスの時間が過ぎていました。
  とりあえず、駅前まで歩いてタクシーで帰ろうと、お祭りに来ていたお子さん連れの女の人に、駅までの道を訪ねました。
  すると、その人は車で来ているので、
駅まで送ってあげると、言ってくれました。
  お言葉に甘えて車に乗せてもらった私たちが、台温泉に泊まっていることを話すと
「駅前のタクシー少ないから、宿まで送ってあげますよ」と言って片道15分以上かけて、台温泉まで行ってくれました。
  後でなにかお礼をしたかったので、住所を教えてもらい、お礼を言ってその人と別れました。
  そして宿に戻ると
「あぁ、よかった!帰ってきた!」と従業員さんたちが私たちの顔を見て、ほっとした表情を浮かべました。
私たちが終バスで帰って来なかったので、大変心配していたそうで
「ご心配かけました」と謝りながら『今日はいろんな人に迷惑かけちゃった』と2人で反省しました。
  翌日、宮沢賢治記念館などを観光した後、釜石に移動し、三陸鉄道に乗りましたが、すでに暗くなりかけていたので、外の景色はほとんど見ることはできませんでした。
  おまけに終点の盛駅前は何にもなく、駅前に1台だけ停まっていたタクシーで大船渡へ向かいました。
ついでに運転手さんに
「どこか泊まれる宿はありますか?」と尋ねると
「ホテルと旅館のどっちがいい?」と聞かれました。
  ホテルの方が高いイメージだったので、旅館と答えると、全く観光色のない駅前旅館に連れていかれました。
  そして運転手さんが宿に話しをつけてくれて、そこへ泊まることになりました。
  食堂で出された夕飯は、サンマと冷奴でお風呂はバス○リンでしたが、若い女性客ということで、一番奥の離れの部屋を用意してくれました。
  夜だったので気がつきませんでしたが、近くに漁港があるようで、夜明け前、ポンポンポンと漁船のエンジン音がたくさん聞こえました。
  朝、旅館を出る時に、宿のご主人が辺りを案内してくれました。
  年配のご主人は、昔小学校の校長先生だったそうで、私たちをある場所に連れて行きました。
  そこには1960年に起きたチリ地震の津波の高さが示された場所でした。
(電柱だったか、壁だったかは憶えていません)
「この場所であの高さまで津波が来たんだよ」とご主人は教えてくれました。
  港よりだいぶ内陸に入った場所でしたが、その津波の記しは、私の身長よりずっと高かったことを憶えています。

  2012年に宮城県の松島を訪れた時、
観光案内所の壁に、東日本大震災の津波の跡を見ました。
  松島は島が幾つもあったおかげで、津波の被害が少なかったと、聞いていましたが、それでも津波の跡は案内所の入り口の高さと同じぐらいでした。
  その時、私は大船渡で見たチリ地震の津波の跡を思い出しました。
  東日本大震災では大船渡も津波の被害が甚大でした。
  昔泊まったあの旅館が、震災当時まだあったかは、わかりませんが、
通りすがり程度でも、見知った場所が津波にのまれてしまったと思うと、
今でも胸がざわつきます。

  今日、盛岡に行ってきて、あらためて思い出したので書いてみました。

  


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