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評価コンプレックス

こんにちは。ありんこです。

これまでは表に出しにくい我が家の異常性について書き綴っていましたが、今回はちょっと趣旨を変えてみようと思います。

美意識と自己評価の話です。

マスク荒れ、毛穴たるみ、シミとシワにエトセトラ

家庭環境が荒れに荒れて、汚部屋で生活しても何も気にならず、病気で叫ぶ人が家にいて安眠もままならず、本当にストレスがマッハだった私。

仕事を辞める前後が最も酷くて、楽しいはずの有給も、股のところに膿が溜まる出来物ができて歩くだけで痛い。まさに踏んだり蹴ったりだった。
流石にこの出来物は、やばいからと役所で相談したら電話確認で保険証発行してくれた。ありがてえけど、本当に死ぬかと思った。

冷静に考えたらストレス過多すぎて、免疫力ガタ落ちしてたんだと思う。仕事を辞めることで心を守ろうとした私は、その安心感でニキビや件の出来物が一気に出てきていた。

まあそんな私がパァーっと部屋も心も掃除して、病んだ生活から復活を遂げた年始のこと。まじまじと鏡を見て気が付いた。

私、なんか肌が弛んでないか!?
毛穴もこんなに大きかったっけ!?
化粧ノリもこんなに悪かったっけ!?

それには飛び上がるぐらい驚いた。
マスクで乾燥肌がとても進行していて、砂漠どころの騒ぎじゃ無くなっている事に気がついた。
これが今の私なのか・・・。

自慢じゃないが、これまでダイエットをしようと思ったことなんてなかったし、これまでファストフードもチョコも食べ物だって制限したことはない。なんなら日焼け止めも面倒くさがってきた。スキンケアもクレンジングも、なんとなくな感じ。
今思えば間違っているどころじゃないけど、若いからこそできていた所業である。

そらぁ、毛穴も汚れるし、乾燥もする。そもそも免疫が転落したんだからマスク荒れもするはずである。
病み期には気にならなかった些細な、でも大きな変化が気になるようになった。

今では美容系YouTuberさんを参考に、風呂からスキンケアまで1時間以上かけてメンテナンス。もちろん顔の筋トレも忘れずに。

少しでも早めに気づけたことは良い事なんだけど、加齢が出てきた自分の顔面にちょっと食傷気味である。

美意識の変化

これは忘れもしない胸糞悪い笑い話だけど。
若い頃の私は、すっぴんだと地味で隠キャのオタクだったが、メイク武装時は派手なギャルっぽいお姉さんを装っていた。その時の話だ。

ある日、原宿でお茶していた。すでに喫煙者だった私は、まだカフェでの喫煙も問題無かったので、いつもの銘柄を出して灰皿をもらった。
一緒にいたのはネット絡みで仲良くなった年下の女の子たち。マナーとして喫煙の許可を取った時も快く許可してくれたけど、非喫煙者なのであまり匂いが付くのも悪いなぁと、気持ち程度椅子をテーブルから離し、明後日の方向に煙を吐き出していた。

店内の雑音が少し強くなったときだ。男性グループの声が聞こえてきた。彼らの声はよく通ったので、うるさいなぁと思いながらまた火をつけた。

年下の友人たちと趣味の話で楽しく過ごしていると、声の通るあの知らん奴の話し声が聞こえてくる。

「あれは、自分が別格だってわかってるんだろ」

この時のあれ、は私だ。なんでそう判断したのかもう覚えてないけれど、私を指していたと思う。
その会話には一緒にいた子の嘲笑も含まれていて、心底腹立たしかったのをはっきりと覚えている。

冷静になると私の配慮はそう捉えられていたのか、と思った。それはもう悔しかったし、一緒にいた彼女たちが、知らない奴に卑下されていることにも苛立つ。
でも一方で、私がいなければ彼女たちはあんな奴らの会話のネタにされなかったのでは?とも思ってしまった。

メイクで整えている作り物ではあるが、洋服も派手なのが好きなので、必然的に目立つタイプではあった。それは仕方がない。
恋人も顔で判断してこなかったし、友人が美容に興味があろうがなかろうが、どうでもよかった。

じゃあ相手にとってはどうだろう。こんな風にどうでも良いやつの会話のネタになったり、笑われたりする。なんて嫌な時間なんだろう。

知らない、合コン待ちのくだらない胸糞男どもの言葉を受け流す技量がその時にはまだなかった。
疑問が拭えないまま、その子達とは大人数で集まるとき以外会うことをやめた。

87点と言い放った知らない学生

忘れもしない笑い話は他にもある。

ある時、友人と遊んで解散したあと帰るために電車に乗った。人混みでも角に座れてラッキーなんて思いつつ、うとうと一眠り。ふっと起きると、私の目的地は先ながら車内の人々は少なかった。
反対側の席で反対側の角に座っている多分大学生グループ。ちょっとうるさいけど、もう少しで降りるからと目を瞑っていた。

その時、1人の男の子がこんなことを言い始めた。

「なあ、あの人何点?」
「あ〜87点」
「じゃあ〇〇ちゃんは?」
「90点代に決まってるじゃん」

お察しの通り、この時のあの人と言うのは、私のことである。実際にはもう少し特定するような言葉もあったはずだが、思い出せないので割愛。

それにしても、鼻高々になりにくく、おいおい低いなと突っ込みにくい微妙な数字。代表で出てきた女の子はお前の好きな子なんだろう。
これはもうネタとしてもやりづらい。

いっそのこと、10点とか40点とかにしてくれよ!

眠気は吹っ飛んでいた。
それでも目を瞑り続けたのは、受け流すスキルが上達した証拠だと思う。

まあ、ネタとして何回も擦ってますけどね!

他人の評価を気にしない、なんてできるのか?

これを書くきっかけになったのは、顔の歪みが気になって入れたアプリ。自撮りした顔に線を置いて左右の対称さなどを見ていき、最後にそれらを評価AとかBとか細かく診断してくれるものだ。

結果のスクショを取って、あれ?と思った。
たしかに、出目金な目はちょっと離れ気味だし、顔は面長だし陣中だって広い。お世辞にもすっぴんが良いとは言えない。
でも私が気になっていたのは歪みの有無と解決法であって、こう言うランク付けされた結果ではなかった。

なんだかんだ言ってはいるが、このアプリが悪いとか批判がしたいわけでは無い。でもこうやって評価するものが周りに多いのもまた事実で、それに引っ張られてるような気がしてならない。

まあ気づいだからといって、そういうものに流されないようにと思っても、完全に切り離すなんてことはできるはずもなく。知らない男の話のネタになったことだって、経験してしまったことは切り離せずに私の中の価値として根付いてしまっている。お前ブスだなと言われて、私ってブスなのか、と疑問のタネができるのと同じだ。
真逆の君は美人だね、と言われて私は美人なんだ!と思えるまでには時間がかかるのに、ブスだなは一瞬というのも不思議な話だが。

男からも女からも、知らんどうでも良い人から評価されて、ムカつくことも悲しいことも沢山あったけど、切り離せないなら仕方ない。

話のネタにして、擦って擦ってこねくり回して、笑いになるならまあいいかと思うようになった。ネタにして、笑って、それでも気になるなら解決方を探っていくしかない。

評価コンプレックス

なんだかんだと書いてみたけど、誰かに評価に左右されるのは、見た目の話だけではない。
男も女もないように、常に誰かに評価させる世の中でみんな生きている。それを外に出すべきか出さざるべきかは、度外視してもだ。

例えば仕事だってそう。
誰かを評価したり、誰かに評価されることで、自分の価値を作っていく。社長だって平社員だって一緒の話で、作ったものを数字化したり業績として残したりするのは、良くも悪くも評価されることを前提としている。
どうこう言ったところで、逃げられるものでもないからだ。

そう思うと、なんだか胃がキリキリしてくる気がする。
どう思われているのか気になるのはもう性分なのかもしれない。もうこれはある種のコンプレックスだと思う。

そんな私も知らず知らず、誰かを評価しているだろう。それで誰かを傷つけているかもしれないと思っていなければ。

兎にも角にも、自分も人も正しく評価できる人間にならねばなあと、パックをしながら今日も背筋を正している。

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