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【133】マインドフルネス実践 ー 慈悲の瞑想①
いつもご訪問頂き誠にありがとうございます。
本日も以下マインドフルネスのワークブックにて学習していきます。
本日は、「慈悲の瞑想」についてです。
非常に興味深い内容でしたので、2回に分けてしっかりと取り扱っていきます。
慈悲の瞑想とは何か
これから学習する慈悲の瞑想は、恐れを感じ、圧倒されている心に対して万能薬のような働きをするでしょう。
以下のような効能があります。
■ ストレス、不安、苦痛、病気への対処に役立ちます。
■ 慈悲の心を持って生活をすることで、深い愛情と思いやりを実感できるようになります。
■ 慈悲の心が、自己中心的な考え方、貪欲さ、怒り、嫉妬、憎しみから私たちを開放します。
■ 心の中に大きなスペースと自由を作り出します。
慈悲の瞑想は愛、思いやり、共感に対して心を開く素晴らしい練習です。
その手順は以下のとおりです。
① 姿勢を正した状態になります。
※ 姿勢が整っていれば横になっていても座っていてもどちらでも大丈夫です。
② この練習が慈愛に満ちたものであることに意識を向けます。
③ 心が落ち着いてきたら自然に呼吸し、意識を呼吸に向けます。
④ 意識を心臓の方に向け、心拍に集中しながら自分自身や全ての生物に対する深い思いやりを感じます。
⑤ これまでの人生を思いやりや寛大さ、愛情を持って振り返ります。
その慈愛を自分の心臓から肌、内臓、骨、細胞に至るまで、自分という存在に向けていきます。
自分に対して厳しくしてしまったこと、批判的になったことが多かったかもしれません。
他人には嫌われたくないと絶対に口にしないような残酷な言葉を自分には向けてきたことでしょう。
自分よりも他人を優先してきたかもしれません。
そのような自分を愛することは難しいかもしれません。
しかし、そんな不完全で完全な存在である自分自身を、深い優しさと思いやりを持って受け止めます。
慈愛とは差別や偏見なしにすべての存在を照らす、無限の利他愛です。
⑥ 以下の言葉を自分に向けます
私が安全でいられますように
私が健康でいられますように
私の心と身体が安らかでありますように
私が平安でありますように
多くの人が持つ正体不明の疫病
多くの人々が、ストレスや、不安、苦痛や病気を抱えて生活しています。その原因のほとんどが正体不明の疫病にかかっているからだと言います。
それは何か。
「自分に対して厳しすぎる」
ということです。
友人、知人に対して、まして嫌いな人にすら親切にしたり、優しくしてしまう。
にもかかわらず、自分には容赦なく罵声を浴びせかけ、頑張ったことも褒めてあげられない。
人の前では自分を平気で蔑み、哀れんだりして見せる。
「私ってば、こんなにダメで惨めで不幸なんですよ。笑ってやって下さい」
こんな言葉をかけて誰が喜ぶのでしょう。そして最も傷つくのは、何より自分自身の心です。
失敗してしまい、自信が持てなくて落ち込んでいる自分に対して、意地が悪く、狭量で、恐ろしいほどに批判的なもう一人の自分が厳しい審判を下してくる。
客観的に見られれば、「そこまですることはないじゃないか!酷い」と思うことでしょう。
多くの人が「自分自身への思いやりの欠如」という疫病にかかっています。
慈悲の瞑想は、このような「人間の性」とも言うべき苦しみに対して有効であり、心に癒しをもたらし、自己受容や慈愛の道を開いてくれます。
自分自身への最大の贈り物
自分自身への贈り物の中で、最もすばらしいものは何か。
それは
自分との和解
です。
過去の自分に対して思いやりを持ち、自分自身が今の自分の良き理解者となることです。
慈悲の瞑想を続けることで、自分自身への思いやりや愛を深めることができ、ひいては周りの人や見知らぬ他の人まで広げることができるようになるでしょう。
さて、ここまで読んで頂いた方の中には、既にこの疫病から抜け出しているかもしれません。
しかし、まだ疫病に悩んでいるのであれば、以下の言葉を是非自分にかけてみて下さい。
何度か投げかけてみると心に温かさを感じます。
自分の過去を受け止めても良いのかもしれない。
心を開いて、もっと自分に優しく思いやりを持っても良いのかもしれない。
うまくいった時も、失敗してしまった時も全ての経験が、自分の人生の一部であり、自分を今この瞬間に導いてきてくれたのだ。
かつての私であれば、「こんなきれい事でお腹が膨れるか」とスルーしていたかもしれません。
しかし、こうしたきれい事すら始めなかったからこそ、今の状況に至っているのだと思うのです。
「心がこもっていないのにそんなこと言えない」「気持ちが入らない」「そんな気にならない」「くだらない」「何の役に立つんだ」など理由はいくらでも浮かびます。
「慈愛」という一見すると壮大なテーマを前に、そんなことを一瞬でも思ってしまうわけですが、そんな気持ちは一旦置いておいて、とにかく「言ってみる」「やってみる」。そこからでしょう。
きれい事、大いに結構!
気持ちは後からで良いではないか。
そんなことを思わせてくれる本項目は、私にとっては印象深いものとなりました。
明日も深掘りしていきます。
ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。
いつもご訪問頂き、またスキやフォロー頂けることに感謝致します。
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向日葵畑の向こう側
「創作大賞2023」ファンタジー小説部門応募作品です。全編約50000字程度の短編小説となっております。
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