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要約。現代性の密輸-密輸者たちがもたらした広域アジアのつながり 1940-1990年代まで

つぶやきで言及していた米国社会科学研究評議会後援のワークショップ、Inter-Asia Academyへの原稿締め切りが1月5日なので、元旦から執筆してました。まだ去年始めたばかりの研究なので、完成度はまだ微妙です。ワークショップでアドバイスを頂くつもり。

今回発表するのはいくつか同時並行でやっている研究のひとつで、先日までミンダナオで行っていた調査の一部です。防疫体制が緩くなったら再度実地調査をやるつもりです。ワークショップ向けのタイトルは「Smuggling Modernity: Smugglers as Agents of Inter-Asian Connectivity in Northern Mindanao, 1940s-90s」にしています。草案はまだ公開には遠いんですが、訳した200単語のアブストラクトくらいは公開してもいいでしょう。日本側の密輸の話とか知っている人、ジェンダー論とか詳しい人がいたらアイディア頂けると助かります。

アブストラクト

本研究では、2世代に渡るビサヤ諸島出身の密輸者たちの人生譚と彼らの経済活動という観点から、フィリピンの北部ミンダナオに位置し、アジア諸地域への広域なネットワークを構築してきたある町の歴史を明らかにする。史料としては、史料館やオンラインアーカイブズなどでの文献調査に加え、密輸者や彼女たちの近隣住民たちへのインタビューや実地調査を用いる。

元密輸者の女性たちは、元々「退屈な田舎の港」だったこの町に、物質的現代性と国際的なつながりをもたらした、いわゆる「文化的英雄」とみなされている。タバコや海外食品、先端電子機器などを扱い、ビサヤ語でパマンカ(=ボートに乗ること)と呼ばれる大規模な共同体ぐるみの密輸ビジネスは、数千年前から存在するアウトリガーボートなどのオーストロネシア人の伝統的な技術を用いていた。しかし、それは同時に米国の巨大企業がもたらした近現代の大規模な貨物船や、それらが作り出した新しい交易ルートに寄生する形で発展した。

20世紀後半において、ビサヤ人の密輸者たちは、国民国家やアジア地域との間で両義的な役割を担った。フィリピンの国家は、キリスト教徒である彼女たちに移住を奨励し、イスラム化したミンダナオを「フィリピン化」することを期待してきたが、結果的に彼女たちは密輸や度重なる移住を通して広域なアジアのつながりを作り出した。密輸者たちは、日常的に法律を無視した国家の敵でもあったが、同時に「自力で出世した女性たち」あるいは縁者たちのパトロンとしてコミュニティーから尊敬されてもいる。

今回の発表では、ファン・リュール、鶴見良行、エリック・タグリアコーゾなどによる先行研究との関係を説明した上で、北部ミンダナオにおける女性の密輸者たちの人生と経済活動、パマンカの実態、ローカルな「密輸」の認識、彼女たちの広域なネットワーク、そしてアジア交易の長期的持続の観点から見たこの密輸ビジネスの継続性と変化などについて、予備的な調査の過程で明らかになったこと考察する。

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