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アラタス講義録(3):研究の重要性の基準、自律的社会科学、ごますり性の社会学

第一回(https://note.com/kishotsuchiya/n/ne52daa22dc9e)

第二回(https://note.com/kishotsuchiya/n/n883eab4dbf7f)

に続く最終回です。以下が講義録です。

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研究の「重要性」について


虚無主義的な潮流の影響力は過小評価するべきではない。社会科学において、それはさまざまな形をとってきたが、その一つは「重要性(significance)」の無視である。論題が重要性に関する考慮を抜きにして選ばれているこれが院生たちの論題選びにおいて最も顕著である。「重要性」の概念は、研究の範囲と混同されるべきではない。問いが重要な問題に関わっているのならば、範囲の限定は重要性を高める場合がある。しかし、私たちは、重要性のかけらもない限定された論題の出版物の洪水に見舞われているのである。私を心配させることはこれらの出版物が「科学的」だと見なされていることである。

誰かが足の爪の物理と化学を研究しようとしていると仮定しよう。この研究は科学的かもしれないが、複雑な人間身体を理解する上でいかほどに重要であろうか。私たちが頭の毛を数える機械を発明しようとしていると仮定しよう。この発明がどの程度重要であろうか。科学から重要性を導き出すことができないのは明らかである。重要性は科学の領域外にある我々の方向性から導き出されなければならないのである。


アジアにおける自律的社会科学伝統は、地域に特有の「重要性」の基準によらなければならない。ここでオルテガ・イ・ガセットが論じていた「下層土、土壌、そして敵対者から成る思想家のアイディア」が思い出される。以下がオルテガ自身の解説である。

「下層土(subsoil)とは、古代の集団的思考-一般的にそこから思想家自身が生まれてくるところのもの-に根付いた深い層である。土壌(soil)とは、思想家によって受け入れられた最近の、基礎的だが新しいものである。土壌は、彼がその上に立っているものであり、そこから彼のユニークな思考やアイディアが生まれてくるところのものである。そのため、人が自分自身が常に踏みつけている土について語ったりしないように、思想家はそれ(土壌)に関しては言及したりしない。最後に全ての思考は、それが言葉で表明されるかどうかに関係なく、「~に対する思考」を表象するものである。我々の創造的な思考は、常に他の思考 - 我々が誤っている、虚偽である、訂正が必要だと考えるようなもの - に対抗するものとして形成される。私はこれを敵対者 ‐ あるときに我々の土壌の上に現れ、ゆえに同じ土壌から生まれてくるものであり、そして我々のドクトリンを形作る外形と対照を成す危険な絶壁 - と呼ぶ。敵対者は無意味な過去であったことがない。それは常に同時性のものであり、うわべ上は退化を表すものなのである。(オルテガ・イ・ガセット、1967:73――74)」

科学には闘争的な要素がある。この闘争的な要素が、アジアの社会科学においては十分に発達していない。私は、闘争が全然必要でないような社会科学研究の面についての闘争を語っているのではない。しかし、その他の部分では、闘争的な要素が必要とされるような活動もあるのである。トインビーがかつて言ったように世界が西洋化されようとしているのならば、学知の自律性は必要なことだ。アジアの国々にとっては、西洋からの知的自律性が、不可欠なのだ。

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アジア研究、特に東南アジア研究の前線の話がかじれます。 それから、大手の出版局・大学出版局から本を出すことを目標にしてる人たちには参考になる内容があると思います。良い研究を良い本にするためのアドバイス、出版社との交渉、企画書の話など。

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