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バケツの水と水面の映し返し

バケツの水が溢れる。
だがその直前までは、どれほどの量の水が溜まっているかわからない。容量を超えて外へ溢れ出した時に、初めてその量を知る。
バケツの中身は水だけとは限らない。底には石や砂、そのほかにもさまざまなものが堆積している可能性だってある。

人も同じだ。表面に現れている言動だけを見ても、内面に蓄積された過去を理解することは難しい。
少しでも知りたいと思うならば、その人の体験に寄り添い、心に向き合う努力が必要になる。

◇◆

チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ。韓国のジェンダー問題に焦点を当てた小説だ。

主人公は33歳主婦のジヨン。ソウルのはずれで、夫と1歳になる娘と共に暮らしている。彼女はある日を境に、別人格が憑依したように自分の母親や友人とそっくりな態度を取り始める。

彼女の言動に周囲はうろたえる。しかしほどなくして、その原因が突然生じたものではないことが判明する。原因はすでに彼女が幼少期の頃から生じていた。それは男性優位の社会で、彼女が自分の人格を押さえ込んできたことと地続きだったのだ。

弟が最優先され姉と自分はいつも我慢を強いられる家庭環境、常に男子生徒が優遇される学校生活、職場での様々な抑圧や侮辱。女性だからという理由で、明に暗に差別される。精神科医の診療を端緒に、そんなジヨンの幼少期からの半生が明かされる。
違和感は飲み込み、不公平感には目をつぶってきたこと。そうするうちに、自分を無視することに慣れ、心身に染みついていったこと。母親や友人といった身近な女性たちがそうするように、自分の本来の欲求や目標はいつも二の次にしてきたこと。

実録を書き起こすように、彼女の体験が次々に明らかになる。
彼女の言動は、絶え間ない自己犠牲と孤独な闘いに屈してしまった結果なのだ。決して、彼女自身が豹変したわけではない。

◇◆

本書で驚いたのは、女性を理由に不当な扱いを受けたことはないと思っていた自分さえ、痛切に共感を覚え、また程度や形こそ違え思い当たる体験をいくつかあげることができた点だ。

「よくあること」「仕方ないこと」として適応してきたこと。違和感を覚えてもそのままにしてきたこと。
自分の一部はジヨンかもしれないし、下の世代にジヨンをうみだす一端を担ってしまっているかもしれない。我慢やその場しのぎが、長い目で見ると次の世代の女性たちに重圧を残す一因になってしまっているかもしれない。
あるいは文脈や比較対象が違えば、自分は優遇されていて、それに無自覚になっている可能性さえある。

見て見ぬふりをしてきた、さらには慣れきって疑問すら抱かなくなってきたことを、本書はクエスチョンマーク付きで私たちの目の前に差し出す。

あふれ出した水に当惑し、初めてバケツを覗き込む。
往々にして、あふれた部分に対処しようとする。だが、それだけでは不十分だ。
大事なのはバケツの中に溜まったものに目を向けること。
そして、水面に映った自分の姿を見つめ直すことなのだ。

mie


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