Kishiko Maeda
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1ヶ月間でマーベル23作品を履修した感想
2021年の冬休み。ステイホームなお正月。もともとはマンダロリアンを観るためだけに加入したディズニー+でしたが、マンダロリアンの最終回に大層シビれたのと、月額がお手頃、ついでにサインアップやアカウント確認に猛烈に手こずったので簡単に解約するのが惜しいような…という気持ちから契約を継続することに。
そこで折角なら1月から配信開始のドラマ、ワンダヴィジョン(マーベル・スタジオ初のオリジナルドラマシリ
儚いレースが導く幸福
12月31日、私は決まって赤い下着を身につける。
それは「赤い下着で年を越して、新年を迎えると幸運が訪れる」という、イタリアでの言い伝えを知った時に、そのなんともキュートでポジティブな発想にキュンとしてしまったから。
そもそも新年だとか、言い伝えだとか。
そういうのを抜きにしても、下着は愛らしく、美しく、時には不思議なまでに私たちを魅了するし、くたびれた下着がチェストの中に入りっぱなしになってい
ひとりひとりを尊重する買い物
このところ女性のための製品に関する表現がSNSで物議を醸すことが少なくない。そのたび私はどうにも切ない気持ちになる。
それは決して「一人の女性として」と言う訳では無くて、どちらかと言えば「一人の人間として」という方が適切な気がする。
SNSにおいて、誰かが「これはおかしい!」と言い、多くの人がそれに賛同するものは大抵「ボールを投げた先の相手の気持ち」を尊重していない、投げっぱなしのもののように映
見た目による「あきらめ」の終わり
私は、背が低い。健康診断で身長を測ると153cm〜155cmの間をうろうろして「はい、155.5cmですね」と言われた日には「本当ですか?」と聞き返し、何だかちょっと得したような気持ちになる。
人から見ると2cmの違いなんてまったくと言って良いほど気にならないだろうし、それに一喜一憂する自分自身のことも大袈裟だと苦笑してしまう。
それでも(優しい友人や家族がわざわざしゃがんで撮ってくれることもあ
限界すれすれの感度と美味なる肌
首筋から肩にかけて唇を這わせながら彼は呟いた。
「この匂い、おいしい」
ヒトは頭の中を空っぽにして、感じるがままに言葉を交わしているような時ほど、ハッとする表現が生まれるのかもしれない。
実際、私は酸欠気味になっていたにも関わらず、私の匂いを味覚に結びつけるその感性に対して少なからず嫉妬した。ーだけれど、同時に少し嬉しくもなった。だって、その香りはいつも着けている〈私らしい定番の香り〉とは遠いと
あやまらないであまやかして
大切な人に謝らせてしまうと、どうしてこんなにも気が滅入るのか。
ある昼下がり、楽しみにしていた約束が反故になってしまい、画面に映し出される「ごめん」という文字を眺めながら不思議に思っていた。
同様に、少しも気持ちのこもっていない「気にしないで、楽しんで」の返信もまた相手の気持ちを滅入らせてしまっている気がして、それがまた憂鬱でもある。
長い間、謝られないよりは謝ってもらえる方が良いと思って
スパ ラクーアの回数券
暇さえあればスパ ラクーアに赴くようになって、気づけば結構経った。私がサウナに目覚めたのも、長時間温泉に浸かっていられるようになったのもスパ ラクーアがきっかけで、ありがたいことに今では光栄な事にスパ ラクーアアンバサダーとして活動までさせて頂いている。
スパ ラクーアのことを好きになったのは自然な流れではあったけれど、「連絡が取れない時は大抵ラクーアにいる」と言われるほど、足繁く通うようになっ
ビジネスクラスで見る夢
初めてビジネスクラスに乗ったのは、いつのことだっただろう。いくらでも伸ばせる手足と、ごろんと横になれる自由は、飛行機という閉ざされた空間の中ではとんでもなく尊いことに感じられたし、座席に置いてあるポーチには歯ブラシや歯磨き粉、アイマスクに耳栓…と、痒いところに手が届くアイテムたちに心ときめいた。
その気持ちは今だに健在だし、ビジネスクラスに乗るというだけで旅をするのがぐっと愉しくなる。
そして
ヨーロッパの最終地点
謎の多い国だとは思っていた。空気が綺麗そうだとか、治安が良さそうだとか、自分の中に存在するイメージはどれもこれもポジティブなものながらどこまでも抽象的だし、日々私の頭の中を占拠しているスイス製の時計に関してもその土地においてはどのような立ち位置なのか今ひとつ分からない。
年に一度の大イベントであるバーゼルワールドには一度は行ってみたいと思っているし、そうでなくてもジュネーヴを訪れて、時計メゾンの
なりたい自分に近付く術、遠退く罠
自分が見られたい姿を装うことが必ずしも正解ではないと知ったのは、つい最近のこと。
これまでの私は、透明感が欲しければ紫色のコントロールカラーを駆使し、イノセントに見せたいと思えば白い襟付きのワンピースを纏う、「いわゆるガーリー」に傾倒しては、その枠の中にきちんと収まるように生きていた。それが私にとって最善なのだと信じて疑わずに、気持ちよく過ごしていた。
だけれど、歳を経れば経るほど、どうも「ガーリ
思い上がりは視線に出る
歳を経れば経るほど実感するのは、自分が思っている以上に自分の良くない部分、とりわけ傲慢な考えは他人に伝わっているということ。
人よりも自分が偉いと思っていたり、見下すような感情ほど、相手に感度良く届く。それは、特に付き合いのない、街中で単に数秒すれ違っただけの相手でさえも。
たとえば軽くぶつかった時、すかさず自分の荷物や服にだけ視線がいって、相手のスマートフォンが落ちたことになんてお構い無しだっ
「愛してる」みたいな、気が利かない言葉を
自分の誕生日にはあまり思い入れはないし、お祝いをして貰うと逆に恐縮してしまうような性格なのだけれど、やはり大切な人におめでとうと言ってもらえたり、自分が歳を重ねることや、今ここに存在していることを肯定してもらえるのは嬉しい。そう改めて考えたのは、昨夜素敵な女友達が「遅くなったけれど」とお誕生日をお祝いしてくれたから(そしてそれはたとえ364日遅れたとしても嬉しいものは嬉しい)。
そういえばいつか
テレパシーの種明かし
ある夜、初対面だったりそうじゃなかったりする男女何人かで食事をする機会があった。
そういう時に話題に上るのは、大抵「好みのタイプはどんな人だ」とかいう当たり障りなく盛り上がれるもので、その日のその時間も例外ではなかったし、これまた例外なく答えようが答えなかろうが関係なく自分の番が廻ってきた。
「テレパシーが使える人が良いな。喋らなくても会話が出来る人。ついでに会話の間や言葉選びの感覚が会う