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限界すれすれの感度と美味なる肌

首筋から肩にかけて唇を這わせながら彼は呟いた。
「この匂い、おいしい」

ヒトは頭の中を空っぽにして、感じるがままに言葉を交わしているような時ほど、ハッとする表現が生まれるのかもしれない。
実際、私は酸欠気味になっていたにも関わらず、私の匂いを味覚に結びつけるその感性に対して少なからず嫉妬した。ーだけれど、同時に少し嬉しくもなった。だって、その香りはいつも着けている〈私らしい定番の香り〉とは遠いところにあるものだったから。

振り返ること数時間前、シャワーを浴びた私は、これから着けるハンロの下着やマックスマーラのサテンスカートと共に、一本の香水に手を伸ばしていた。ディプティックのフルール ドゥ ポー
フランス語ではひりつくほどに敏感、というような意味だけれど、直訳した時の〈肌の花〉という言葉は、肌が熱を帯びた時に躰のところどころが小さな牡丹のごとく赤く染まるあの現象を連想させる。私は昔からあれを「からだに花が咲いているみたいだわ」と思っていたから。

フルール ドゥ ポーのムスクとアイリス。一見「間違いのない」コンビネーションでありながらも、決して易しくなく一筋縄ではいかないと感じさせられるのは、動物的な能動の気配と清潔で上等なコットンやシーツを連想させるパウダリックの均衡のせいかもしれない。
妙に新鮮で、どうしようもなく心惹かれるバランスに、私は纏うたび、すっかり翻弄されてしまう。そのどうしようもなく「すれすれの」香りに。

逆に言えば、私は私の味を知る親密な間柄の人と会う時にしか、これを着けたくなくなるような気もしている。
それゆえにこの香りを「おいしい」と表現されて、私は嬉しく思うと同時に妙に悔しくもあったのだ。

ねぇほら、そんなに私の事を知り尽くさないで、と。

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