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婦人的生活手引

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乙女視点の生活読本
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絶対美人感

いつ見てもお洒落な人というのがいる。 たとえば、トップスの丈から色味から、シャツの重ね方。さらには重ねたシャツをのぞかせるバランス。ボトムスだって完璧。パンツの太さに裾から覗くくるぶし、靴の艶感、そして鞄に至るまで。少しの隙もなく、それでいて見ているこちらが恥ずかしくなってしまうような、力んだムードも皆無。毎日こんなにお洒落でいられたら、どんなに心地よいだろう?と惚れ惚れせずにはいられない。 「どうしてそんなにお洒落なんですか?」 実は彼にこの質問をするのは、この時に限っ

なりたい自分に近付く術、遠退く罠

自分が見られたい姿を装うことが必ずしも正解ではないと知ったのは、つい最近のこと。 これまでの私は、透明感が欲しければ紫色のコントロールカラーを駆使し、イノセントに見せたいと思えば白い襟付きのワンピースを纏う、「いわゆるガーリー」に傾倒しては、その枠の中にきちんと収まるように生きていた。それが私にとって最善なのだと信じて疑わずに、気持ちよく過ごしていた。 だけれど、歳を経れば経るほど、どうも「ガーリー」がほんの少しズレて「メルヘン」に仕上がってしまう気がする。そんな違和感を感じ

美醜の分かれ道

美しい顔とはどういうものだろうか。左右対称の顔?欠点の無い顔? 私の考えを言わせてもらうとすると、美しさは決して造形だけの話ではないと思っている。 まるで光が差し込むような、迷いのない輝き。 見ているこちらが気持ちよくなる聡明さや清潔感。 もちろん表層的な美貌も大切かもしれない。だけれど、人の姿形を目にした時に「美しいな」と感激をするのはそれに限った話ではないだろう。 よく、「性格は顔に出る」と言うけれど、ある時私が知らない人から悪口を言われていると知ってめそめそ

指先の魔法は肌の快楽

「私は長い間、スキンケアの勘違いをしていたのかもしれない」 はたとそう閃いたのは、ドゥ・ラ・メールのメイクアップアーティストにスキンケアのデモンストレーションをして頂いた動画を見返していた時のことだった。彼女の指先はまるで音楽でも奏でるかのように、私の顔の上を滑っていた。 そういえば、人生で一番気持ち良いかもしれないと感激したパーク ハイアット東京でのエステティックトリートメントの施術でもハープを奏でるような手つきのマッサージが特徴だと仰っていたし、現にマッサージ後の肌はぴ

自分の肌を嫌いにならないために

鏡を見て、げんなりなんてしたくない。自分の顔貌に恍惚とするとまではいかないまでも、出来ることなら「私だってそんなに悪くない」と思いたい。 そのためにも欲しいのは、疲れやストレスの気配を微塵も感じない、きめの整った、張りと透明感のある肌。 そうは言っても私の肌にはそばかすが沢山ある。寝不足だと即座にクマやくすみが出現するし、そもそもの顔色も良い方ではない。 そんな風に取り立てて恵まれている訳ではない肌質だとしても、それなりの努力と工夫次第で、肌はある程度応えてくれる。勿論そ

なりたいのは、何もしていない人

「どうしたらそんな風になれるの?」 その道のプロフェッショナルに秘訣を聞きたくなる時がある。 しかしながら、少し困ったような表情や涼しげな微笑みと共に返ってくるのは、特に何もしていないという言葉ばかり。 本当に、何もしていないなんてことが有り得るのだろうか。完璧な仕事ぶりのあの人も、見惚れるほど美しい彼女も、誰もが認めずにはいられないセンスを持っている彼も。 だけど、どうやら彼らの言葉は、嘘偽りのない真実なのだ。あくまでも彼らにとっては。 仕事に対して一つも隙を作らず

透明感の秘密

透明感。それは私が昔からお金で買えるものなら買いたいと思っているものの一つ。お金で買えるなら、と言うのは、どうもこればかりは努力でどうにか出来る訳では無さそうだからというのが正直なところだ。 「透明感がある」と評される女優さんたちの芸能界に於ける立ち位置の盤石さが示すように、透明感という三文字が持つ力の絶大さたるや凄い。その言葉を聞くだけで同性は「かなわないもの」、異性は「尊い存在」と認識するように思える。どうやら透明感って物凄く圧倒的なのだ。 そもそも透明感って何なのだ

私はあなたに魅力的だと思われたい

初対面の人に言われた中で最も印象的だったひと言。もう十年以上も前のことになるのに鮮明に覚えている。 「君は引っかかりの無い、つまらない顔をしているね」 以来私はふとした瞬間、鏡越しに映る自分の顔に「つまらない顔」というラベルを貼ってしまうようになった。 決して自分の顔が嫌いな訳ではない。ただ取り立てて特徴的なパーツがあるわけで無ければ欠点も無い、つまらないと言われてしまえばそれまでの容貌であることは事実だと思う。 それでも私はずっしりと伸し掛かり続けていたその言葉を肩

アイシャドウのお作法

化粧品は女にとって高価な栄養ドリンクのようなところがある。新しいものを一つ買うだけで、薄暗く沈んでいる気持ちもたちまち和らぐような不思議さ。 その中でも圧倒的に華があるスターアイテムはアイシャドウではないだろうか。もちろん肌の底力を上げてくれるスキンケアアイテムや顔の雰囲気を一新してくれるチーク、艶やかな魅力の象徴とも言えるルージュ。どれもこれもが素晴らしいけれど、メイクボックスの主役とも言えるアイテムを問われれば私はやっぱりアイシャドウだと答えてしまう気がする。 シャネ

34は大人の悦び

夏が終わったことを皮膚で感じると私はそそくさと秋の支度に取り掛かる。 茹る暑さの中ウールやファーを触るのは少しも心地良くなんて無くて、とてもじゃないけれど早め早めに手をつけることなんて出来ない。こればかりは季節が移ってくれる以外に手立てはないのだ。 そんな中、近年私に秋の訪れを教えてくれると共に季節のスイッチを美しく切り替えてくれるのがディプティックのコレクション34というシリーズ。これはいつも夏の終わりに発売されるのだけれどミモザや遅咲きのジャスミンといったメロウなモチ

紳士淑女のためのギフト

端麗な香り。私がジョー マローン ロンドンと聞いて思い浮かべるのは、そんなイメージ。 折り目正しく麗しいながらも決してつまらなかったり、ありきたりな訳では無い。きっと人間でいうならとびきりの美人だから「美女は三日で飽きる」なんて言葉が出鱈目なんだと思い知らされる。そうかと思えば、フレグランス コンバイニングなんていうとっておきの遊戯だってスマートに愉しませるコケティッシュさも余裕綽々で併せ持っている。それがジョー マーロン ロンドン。 私がジョー マローン ロンドンのアイ

女がヘアサロンに行く理由

朝、目が覚めて歯を磨く時、メイクをする時、トイレで手を洗う時。その都度鏡越しに目に入る自分の姿を見て思うこと。 それは「顔色は悪くない?やつれていない?今日のメイクでおかしいところは無い?」というシビアな確認。そして「今現在の髪型は自分にとってちゃんとベストなのかしら?」という問答。 私には永らく髪を委ねている人がいる。Violetという美容室の前原穂高くん。彼とは私がJJでライターをしていた頃からの付き合いで、その間月に一度は髪を切って貰い続けている訳だから、私の髪のア

息をするように贈りものを

贈り物をするという習慣が私の生活の一部になったのはいつからだろう。 別に高価なプレゼントに贈るというわけではない。それどころか、頻繁に贈り物をするようになってからというもの、プレゼントだからと言って何万円もするようなものを買うことは殆ど無くなった。その分増えたのは日常のほんの些細な、何でもない日の何でも無いもの。例えばアールヌーボーのパッケージに菫の絵が描かれたイタリアの昔ながらのラムネだとか、町のはずれにひっそり佇む喫茶店の洒落たマッチ箱、ミニチュアサイズの香水、それから

美への最短距離

シセイドウという言葉を聞くと、無条件に美しい女性を思い浮かべてしまう。手入れの行き届いた、それでいて少しも過剰では無く、生まれた時から今に至るまでずっと麗しかったのだろうなと思わずにいられないような美女を。 時代や流行に流されず、それでいて今っぽくて、クラシックとモダンを両立しているような洗練された美人。 面白いなと思うのは、私が観察して来たかぎり、どうやら「資生堂」や「花椿」という言葉からとびきりの美女を連想するのは、老若男女を問わず多くの人に当てはまると言えそうだとい