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年間第26主日(B年)の説教【増補版】
◎マルコ9章38~43、45、47~48節
◆説教の本文
〇「もし、片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。」
たいへん荒々しいやり方で(切り捨てる、抉り出す)、罪を犯すことを避けよと言っています。しかも、この喩えがほとんど同じ形で3度(手・足・目)、繰り返されています。罪を避けることにおいて真剣でなければならない、ということだと言われています。
ヘブライ書簡に、「あなた
年間第25主日(B年)の説教
◎マルコ9章30~37節
◆説教の本文
〇 共観福音書 (マタイ・マルコ・ルカ)には、イエスが三度、ご自分の受難と十字架を予告するという記事があります。マルコでは、8:31 (前の主日に朗読)、 9:31 (今日の朗読)、10:33 (主日の朗読には含まれない)です。
三度、同じエピソードを繰り返すというのは御伽話のお約束ですが、三つの福音書が全て、三度繰り返しているのは意味のあることだと思
年間第24主日(B年)の説教
◎マルコ8章27~35節
◆説教の本文
〇「しかも、そのことをはっきりとお話になった。」
イエスは、何をはっきりとお話になったかと言うと、「人の子(イエス)は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され」ることになっているということです。
「はっきりと」は、英訳聖書では plainly あるいは openly となっています。 「あからさまに」と訳しても良いと思い
年間第23主日(B年)の説教
◎ ヤコブ 2章1~5節
◎ マルコ 7章31節~37節
◆説教の本文
〇 年間の第2朗読は、福音朗読(第一朗読と関連している)とはまったく違う流れで選ばれています。使徒書の主な部分を順に読んでいくのです。
今日から4週間にわたって、第2朗読では、ヤコブ書簡が読まれます。パウロの書簡は全教会に向かって物申す調子ですが、ヤコブ書簡はこれとは違った、ローカルな親しみやすさがあります。具体的な小教
年間第22主日(B年)の説教【改訂版】
◎マルコ 7章1~8, 14~15, 21~23節
◆ 説教の本文
〇 福音書の中で、ファリサイ派(と律法学者)を批判してるところを説教するのは難しい。そもそも福音書の中に書かれていることが、歴史上のファリサイ派を公平に描写してるのかということ自体が問題です(全く公平ではないと主張する 有力な聖書学者もいます)。
しかし、公平な描写だとしても、福音書に描かれているファリサイ派の実践は、あまり
年間第21主日(B年)の説教【改訂版】
◎ヨハネ6章60~69節
◆説教の本文
〇 年間第17主日から第21主日まで、ヨハネ福音書6章の朗読が続きました。 ヨハネ6章は内容が豊富で、説教のポイントを絞るのが難しいくらいです。この長い章は、ペトロの信仰告白で締めくくられます。第一朗読のヨシュアの信仰告白は、これに対応しています。
「私たちは誰の所へ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私
年間第20主日(B年)の説教
◎ ヨハネ6章51~58節
◆説教の本文
〇「私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである。」
「私はパンである」というメタファーが、ここで「私の肉」に変わります。
「私はパンである」と言うと、「もぐもぐ、美味しいね、お腹いっぱいになったね」というノンビリした感じがありますが、「私の肉を食べる」と言うと、もっとビビッドでワイルドな感じがします。
イタリアに二年滞在した頃、
年間第19主日(B年)の説教
◎列王記・上、19章4~8節
◎ ヨハネ6章41~51節
◆説教の本文
〇 [典礼暦メモ]
ヨハネ福音書の6章全体を5回の主日に分けて読む、その3回目です。
この章は非常に内容が豊富で、ポイントがたくさんあります。説教のテーマを選ぶのに迷います。
こういう時は、第一朗読(旧約聖書) が参考になります。何度か言ったことですが、年間主日はまず福音朗読が選ばれて、次に福音朗読をある一つの方向から
年間第18主日(B年)の説教
◎ ヨハネ6章24~35節
◆説教の本文
〇 [典礼暦年メモ] ー 今日はB年の年間第18主日ですが、第17主日から第21主日まで、ヨハネ福音書6章の全部が読まれます(16~21節は除外)。
ヨハネ6章は「地上のパン」「天からのパン」を巡る話です。
福音書のある一章を五回の主日に渡って読むことは、典礼暦年でこれ以外に例がありません。ヨハネの6章が、いかに教会で重視されてきたかが分かります。
年間第17主日(B年)の説教
◎ヨハネ6章1~15節
◆説教の本文
〇 今日の福音朗読は、いわゆる「パンの奇跡」です。B年は、マルコ福音書の大事な箇所を順に読んでいくことになっています。その順番で行くなら、今日はマルコ福音書の「パンの奇跡」の記事であるはずです(6.34~44) 。しかし、今日の福音朗読では、それに代えて、ヨハネ福音書から同じエピソードが読まれます。 (ここだけではなく、B 年にはヨハネ福音書が読まれる年間
年間第16主日(B年)の説教【改訂版】
◎マルコ6章30~34節
◆説教の本文
〇 今日の福音朗読は短いものですが、ポイントがたくさん含まれています。「弟子たちの宣教活動の報告」、「弟子たちの休息」、「打ちひしがれた人々」、そして、「イエス様はまず言葉で教えられたこと」。
今日の説教では第一のポイント、弟子たちの報告だけを取り上げます。
〇 「使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや 教えたことを残らず報告し
年間第15主日(B年)の説教
◎マルコ6章7~13節
◆説教の本文
〇 今日の福音朗読では、十二使徒の派遣が語られます。ここまでは、弟子たちは必ずイエス様と行動を共にしてきましたが、はじめて、イエス様と離れて行動したのです。
故郷で受け入れられなかったという記事(6.1~6)に続いているのは、たまたまではないと思われます。血縁や地縁をたどって宣教できないかという気持ちはイエス様にもあったかもしれないけれども、故郷での冷た
年間第14主日(B年)の説教
◎マルコ6章1~6節
◆説教の本文
「この人は大工ではないか。マリアの息子、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。」
〇 イエスは、ご自分の仲間のところに来られ、宣教されようとしたのに、人々はそれを拒絶した。ご自分の仲間とは、まず人類全体を言います。
「言(ことば))は自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(ヨハネ1.11))とある通りです。
次に、イエスは、同じ宗教的
年間第12主日(B年)の説教
◎マルコ4章35~41節
◆説教の本文
◇「 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に『黙れ、静まれ』と言われた。 すると、風はやみ、すっかり凪になった。」
〇 イエスがおられる限り、大丈夫だ。私たちの乗っている舟は決して沈むことはない。このエピソードはそう告げているようです。
しかし、現実の生活では、舟が沈んでしまうことは珍しくないのです。
実際、その2年後に、エルサレムで舟は沈み、イエスは
年間第11主日(B年)の説教
◎マルコ4章26~34節
◆説教の本文
〇 「土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」
この箇所について、今まではだいたいこういう説教をしていました 。
「植物を育てる自然の力に信頼せよ」。「太陽の光、土壌の持つ力、水の力に信頼せよ」。つまり、「歴史を進行させる神の力に信頼せよ」。これが喩え話のメッセージである。・・・単純にそう考えていた時が、
年間第10主日(B年)の説教
◎ マルコ3章20~35節
◆説教の本文
〇 長い四旬節と復活節が終わって、典礼暦の主日は「年間」 (ordinary time)に復帰します。今日は年間第10主日です。
実は、「聖霊降臨の祝日」の後で復活節は終わって、年間に入っているのですが、主日については、「三位一体の祭日」、「キリストの聖体の祭日」が続くので、主日が年間に戻るのは今日からです。
今日は年間第10主日ですが、四旬節の直