年間第23主日(B年)の説教
◆説教の本文
〇 年間の第2朗読は、福音朗読(第一朗読と関連している)とはまったく違う流れで選ばれています。使徒書の主な部分を順に読んでいくのです。
今日から4週間にわたって、第2朗読では、ヤコブ書簡が読まれます。パウロの書簡は全教会に向かって物申す調子ですが、ヤコブ書簡はこれとは違った、ローカルな親しみやすさがあります。具体的な小教区の場での教えという感じがします。
〇「立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたはこちらの席におかけください』と言うなら・・」
ある小教区を訪問したら、かつてのキャンディーズの藤村美樹さん(ミキちゃん)がいました。引退して20年以上経っていたと思います。訪問先のグループのメンバーだったので、3度くらい、同席して顔を合わせる機会がありました。
私は芸能人にはあまり興味はありませんが、何しろ現役時代のキャンディーズは日本人なら誰も知ってるというぐらいの国民的人気グループでした。私でも知っている。引退しても名声はまだまだ残っていました。
私の挙動は目立って不審ではなかったと思いますが、内心はどうも落ち着きませんでした。話していても、「これはキャンディーズのみきちゃんである」という意識が拭えないのです。
私の用事というのは藤村さんとは直接に関係のないものだったのでよかったのですが、彼女が私のところに霊的指導に来ていたらどうなったことだろうかと思いました。彼女の話を深く聴くのは難しかったでしょう。何か気持ちに浮ついたものがあったんですね。
貧しい人、地位のない人を差別しないことよりも、スペックが高い人を逆差別しないことの方が難しいのかもしれないと思いました。
〇 ある心理療法家の話です。中年の女性が相談に来て、何回か面談をしました。目立ったことはなくて、面談を終了したのですが、何年か経って、その女性が訪れてきました。そして、「あの時は、本当に先生に助けられました」と言うのです。心理療法家は特に役に立てたという覚えもないので、「 どこでお役に立てましたか」と尋ねました。すると、彼女はこう言ったのです。
「先生は、私の魂だけを真っ直ぐに見てくださった。」
大事なことなので、もう一度言います。「 先生は、私の魂だけをまっすぐに見てくださった。」
この心理療法家(また河合隼雄)は本当に大した人だと思いました。神父としても、「魂だけを真っ直ぐに見る」は究極の賛辞でしょう。
この話のポイントは、この女性は道を歩けば、誰でも振り返るほどの美人だったということです。私はそれほどの美人に実生活で会ったことはないけれども、もし出くわしたとすれば、話している間、「すごい美人に出会っている」ということを意識から拭うことができなかったでしょう。つい、「お美しいですね」と言ってしまうかも知れません。
その結果、その人の魂だけをまっすぐに見ることはできなかったでしょう。
〇 スペックが突出して高いということは、有名芸能人やスーパー美女には限りません。ビルゲイツのような富豪、アメリカの大統領のような権力者でも同じだと思います。
私たちが、そのようなスペックが非常に高い人のご愛顧を得て、利益を得ようとしてるということではありません。私たちはそれほど実利的ではありません。華やかな外見や地位そのものが私たちを幻惑して、その人の魂を見ることを妨げるのです。
〇 高いスペックを持つ人の視点から考えてみましょう。自分の奥にある魂そのものを見てくれる人がいるということは、彼(女)自身にとって深い解放でしょう。
そういう人は高いスペックを賞賛されることに慣れているから、それをないかのように見られていると不満を感じるかも知れません。しかし、それは一時のことです。その後に来るものは、深い解放感だと思います。
〇 「魂だけを真っ直ぐに見る」眼差しはすぐには得られません。「人を差別してはいけない」という道徳的な意識だけでは得られるものではないのです。長いイエスの修練が必要です。それを困難な義務としてではなく、神の国のチャレンジとして考えましょう。その眼差しを得た人は、正しく聴き、正しく語ることができるでしょう。
そして、そういう小教区は極めて宣教的です。
「すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが取れ、はっきり話すことができるようになった。」(福音朗読)
(了)