絶対明度_後_

絶対明度(後)

いつも気にして欲しいのに、気付かれたくはないとか。
ずっと話してたいのに、言葉は見つからないとか。
目が合えば嬉しいのに、すぐに逸らしたりとか。
素直になれなくて苦しいのに、全然平気なフリしたりとか。


「寝すぎ」
「ウルセー……ひっさびさの朝練で眠いんだよ」
「普段、やってないもんねぇ、早瀬は」
「………」

机に上半身だけ寝そべっている俺の目の前で、河原はにっこりと笑った。
やっぱ、コイツと腐れ縁にでもなったら、どうすりゃイイんだ? あり得ねぇよ。
そんなどーでもいいコトを考えている間に、昼休み終了五分前のチャイムが鳴る。焦って廊下をバタバタと走る足音が増えた。何だかんだ言って、真面目なヤツが多い進学校だ。流石に遅刻しそうになりゃ、俺だって走る。
『よっこらしょー』と、お世辞にも高校生とは思えない掛け声を発して、突如河原が席を立った。ひらひら、と手を振られる。

「次、現代文、当たるから見直し」
「あ、そ」

ひらひら、と手を振り返せば、雑談と喧騒の中にぽっかりと空いた時間を持て余す。眠るにはもう短すぎるし、勉強する気は当然起きない。そうなれば、思い浮かぶことは一つきり。
……考えること、ソレだけか? 自分。いい加減、嫌にもなってくる。
気を紛らわすために背伸びした。肺の空気も入れ替える。ポキポキ、とちょいヤバそうな音。同時、ガラガラというボロい音とともに、クラスメイトが廊下から雪崩れ込んできた。普段からの騒がしさに拍車がかかって見えて……何が、あった?

「台風のせいで、午後から大掃除だってよー。もう授業、無っし!」
「うっそ、マジかよ!」

……マジ?
いつの間にか隣に戻っていた水川に視線を飛ばすと、『ラッキーだね』と口パクが帰ってきた。どうやら、本当のことらしい。
異様な解放感に浸る教室の雰囲気に水を差すかのように、担任が入ってくる。
教卓に立ってクラス名簿をトントン、と叩く。それでもみんなが静まらなければ、『おーい、静かにー』と通らない声をかける。ほら。

「おーい、静かにー」
「せんせ、もう授業、無いんすよね?」
「何だ、残念そうだな。うちのクラスだけ補習でもしてやろうか」
「っや、遠慮しときます」
「そうか。……では、今から臨時の大掃除だ。普段の割り当て場所をしっかり掃除しろよ、ドロドロになってたりするからな。それから、グラウンドを使用する運動部の部員は外整備に回れ、とのことだ。ホームルームは、また大掃除後に行う。では各自、解散」

――悪ぃけどせんせー、俺、サボリ決定。


屋上へと繋がる冷たいドアはいつもひっそりと閉まっていて、周りには埃と錆の匂いのする空気が薄暗く漂っている。
でも、その扉が開かなかったことは一度だって無い。好奇心からドアノブに手をかけ、開くと初めて気付いたときの驚きは今も覚えている。ぱっくりと大きな口が空に向けて開かれる様は、いつも自分が居る学校とは違いどこか奇妙で、一目で気に入った。
理由? そんなモン、探したって見つかるもんか。
アイツを好きな理由だって、必死こいて探してっけど、全然見つかんねぇ。

俺は教室での考え事を、空の下まで持って来ちまったのか。気付き、苦笑を噛み潰した。
湿気の抜けた秋風が吹き付ける。前髪が散って、目に入った。痛ぇ。
遠く真っ青な頭上を仰ぎ見れば、自分の中身――意識のような、魂のような、そんなヤツだ――がどんどん喉や眼の奥から迫り出してくるような気がして、何だか急に怖くなった。
伝えたいことは沢山あるのに、そのうちの砂粒程も俺は口に出せないでいる。
悔しいを通り越して、呆れるぐらいの臆病さだ。遅刻も宿題忘れも赤点も廊下に立たされるのも、確かに恥ずいけど、どうってコトねぇ。
家に帰って飯が無くても、いきなりケータイがぶっ壊れても、今、屋上から落っこちそうになったって……それは幾ら何でも嫌だな。とにかく、あんまヤバイとは思わねぇのに。


気持ちなんて、理屈じゃ表し切れない。
でもそれを言える程、俺は強くなんかなくて。
漣のように、無意識にでも、表現出来ればイイのにと何度も思った。そのたび、頭を滅茶苦茶に振って自分の思考を誤魔化す。だって、そんなワケにはいかねぇ。
今の関係を、壊したくない。
今のまま、隣の席で、幼なじみで、馬鹿だって出来て、一緒に話せて、笑い合える関係でいたい。
伝えたいのに伝えたくなくて、言ってしまいたいのに言えないなんて、どうしてこんな感情を、よりにもよって、アイツに対して。
自覚は自分が望まなくても、向こうから勝手にやってきた。多分、漣にもその内にくる。ずっと気付かないなんてあり得ねぇし、何より態度は雄弁に語る。不自然な顔をしなかったか、変な答えを返さなかったか、妙な仕草を見られなかったか、呆れるようなことをやらなかったか。
そんなコトに怯える自分なんか想像もしてなくて、だからこそ今、人生最大級のシリアスさ加減で困っている。
そうだ、悩んでんじゃねぇ、俺は困ってんだ。どうしたらこの状態を抜けられるか。
たった一つしか――たまにもっとあるけどよ――解の無い、もっと言えば、必ず解を持つ数学だって満足に答えられねぇのに。選択肢も分岐も無限に有る方程式を俺が今、解けるワケねぇし。
それなら、俺が出来ることは一つきり。――『何も、言わない』コト、だけだ。
全部俺の胸の内だけに仕舞い込んで、誰にも見えないように。
この屋上のドアが開くことを、誰も知ることのないように。
いつか、ソレをぶちまけるとき、腹を括って笑えるように。
澄み切った青空に、もう一度だけ目を遣る。眩む瞳孔を下方の土に還すと、グラウンドを整備する河原の姿が目に入った。そう、河原にさえも、打ち明けられない。信用出来ねぇんじゃなく、俺が臆病なだけ。
光と雨に晒され、錆に侵された手すりをぐっと掴んだ。剥がれかけた塗装が手の平に刺さって、ちくちくする。そのままズルズルとへたり込んだ。向こう側から見たら悪いコトしてとっ捕まって、檻にでもぶち込まれた囚人のような状況に違いねぇ。
――ある意味、俺は囚人だ。
自分の気持ちを自分の言葉で縛り付けて、自分で捕らわれている滑稽な囚人。
アホさ加減は堂々巡り。多分いつまでも、続く……堪え切れなく、なるまで。
牢獄から出してくれと叫ぶみたいにして、がしゃがしゃと手すりを揺すってみた。こんくらいで壊れちまうなら、最初から無ぇと分かってはいる。ぼろぼろと錆が落ちて制服にばらけた。はたく。取れない。……バカか、俺は。


「好きなんだけど」

こんなところで、誰もいないところで、呟くしか出来ない、言えるワケねぇ。

「好きなんだけど」

こんなところで、誰もいないところで、呟くしか出来ない、言えるワケねぇのに。

「好きなんだけど!」
「誰が?」
「水川ユキ!」
「……は?」
「水川ユキだ、って……」

……へ?

唐突に後ろから響いてきたそれは、聞き覚えのありすぎる、声だった。
ちょっと待てよソレはねぇだろコレは夢だ何かの間違いだそうだ間違いだよな空耳だって、俺。
頭の奥がキリキリと冷え、錆び付いた手はそのままに、恐る恐る振り返った。
そこには未だかつて見たことのない程、驚きに両眼を見開いて立ち尽くす一人の女子が居て、ソイツはあろうことか一番今の台詞を聞いてはいけなかったヤツで、あぁコイツこんな顔も出来たんだなとかどうでもいいコトを考えながら、俺は自分の中身を空に吸い上げられる感触を覚えていた。

――澄んだ青空に、心の中身を、ぜーんぶ、持ってかれちまった。


酷すぎる爽快感に、眩暈さえ感じる。
ぽっかりと突き抜けた、遠い遠い青。
明るくて、眩しくて、誰も何も縛れない、真っ青な、穴。
これは台風の目。
これは俺の心。
暫くしたらきっと、酷い吹き返しがくる。

腹の底から込み上げる笑いに、どうしようもない状況。
その只中に、俺は居る。


絶対明度(後) 終
再掲元:個人サイト(閉鎖済)2003/05/20

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