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【掌編小説】騒がしい知識

 二十一世紀の初めの頃、世界人口の増加ペースに食料生産能力がいよいよ追いつかなくなったと分かったときに、一部の富裕層は自らを電子データに変換することを決断した。彼らはデータ生命と呼ばれている。

 インタビュアーが感心した様子で話す。

「凄い決断でしたね」

「ところがそういう訳でもなくてね。ヨガやらゼンやらのブームと同じくらいの感覚で、『食糧難の時代到来。いまこそ肉体を捨ててクールでスマートなデータ生命へと移行しよう!』という広告にすっかり乗せられてしまっただけなんだよ。しかも新開発の小麦で食料問題は解決してしまったんだから、結局我々のやったことに意味は無かったわけだ」

 そう答えるのは実際に自らをデータ化しデータ生命となった一人の大富豪だった。インタビュアーの正面のモニターに3Dで描画された生首のようなアバターを表示させて受け答えをしている。

「しかしそれによって肉体という枷から解き放たれたわけで、これこそが人類が到達すべき理想の状態だ、なんて言われたこともあったそうですが」

「ああ、そんなこともあったね。たしかに肉体の欲が無くなるとね、今度は知識を追い求める様になるんだよ」

「なるほど、それでデータ生命に自動的に知識をインプットする辞書プログラムが開発されたんですね」

「ああ、あれはひどいものだった……」

 ひどく遠い目をして富豪はつぶやいた。インタビュアーは疑問を呈する。

「なぜですか? とても素晴らしい仕組みだと思うのですが」

「いやいや、考えてもみたまえ。四六時中、聞いてもいないことを辞書がひたすら喚いてくるんだぞ。しかも聞きたくなくても、我々には塞ぐ耳がもうないんだからね」

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