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患者を苦しめることにツナガル「ハッタツ障害」「セカンド」「減薬実践」批判 その一『闘い』


患者を苦しめることにツナガル
「ハッタツ障害」「セカンド」「減薬実践」批判 その一『闘い』

我々が、ナニと闘ってきたのか、なんて、なんて、
なんというか
なんと、なんともハヤ今更、まだ、問うのか
それでも、
そう問うのか
そう問うのか・・・・そう問うのか・・・
しれたことではないのか・・・・
それでも、そう問うのか
アホラシイアホラシイアホラシイ
「見えやすいアクジ」と闘ってきたのだ
そして同時に「見えにくいアクジ」と闘ってきたのだ
そう、その「見えにくいアクジ」と闘いだしたときに
この同じ問いかけが
「見えにくいアクジ」のハンニンどもから投げかけられたものだ
あんた達はナニと闘っているのかと
しれたことよ
オマエ等「見えにくいアクジ」のハンニンどもと
「見えにくいアクジ」のハンニンどもと
「見えにくいアクジ」のハンニンどもと
「見えにくいアクジ」のハンニンどもと
そして
「見えやすいアクジ」のハンニンどもと
闘ってきたのだ
精神医療と
精神医と
精神福祉と
闘ってきたのだ
イマも闘っているのだ

つぎは『すり替えアクジ』のハンニンどもと、
も、
闘わなければならないのか
と、そう言っているのだ

積極治療主義と闘っているのだ
社会復帰路線と闘っているのだ
健病者路線と闘っているのだ
家族会路線と闘っているのだ

我々、患者会こそが、モットモ激しく酷く、残酷に
被害を受けてきたのだ
受け続けてきたのだ
受けているのだ
その我々に
アンタがたはナニと闘いたいのだ、と、問うのか

よろしい
問うてくれ
我々は答えよう

我々は
精神医療と闘ってきたのだ
精神医と闘ってきたのだ
積極治療主義と闘ってきたのだ
社会復帰路線と闘ってきたのだ
健病者路線と闘ってきたのだ
家族会路線と闘ってきたのだ
医者の横暴と闘ってきたのだ
医者の傲慢と闘ってきたのだ
医者の強圧と闘ってきたのだ
治療論を患者に覆い被せてくるヨウナ医者と闘ってきたのだ
こちら側がちょっと何か意見すれば、
患者から言われるのは気に喰わんと
ケツをまくって激怒して、いきなり、態度を豹変する
医者と闘ってきたのだ
患者会を無視する医者と闘ってきたのだ
医者の手下となる看護士と闘ってきたのだ
   医者の下っ引きとなる心理やケースワーカーと闘ってきたのだ
医者の権力と闘ってきたのだ
医者の専門性と闘ってきたのだ
医者の強制力と闘ってきたのだ
医者の矯正力と闘ってきたのだ
医者の病因論追求と闘ってきたのだ
医者の病因論追求の取り組みを峻拒してきたのだ
笑顔で近づいてくる社会復帰路線を峻拒してきたのだ
患者会を無視するマスコミや、ライターを峻拒してきたのだ
患者会を利用して論文を書く学者を峻拒してきたのだ

ありとあらゆる
精神医療と福祉と称するモノと闘ってきたのだ
ソノ我々がイマ警告を発する
セカンドと減薬実践は
笠医師と、くじら会と、早期介入ハンタイの会の
セカンドと減薬実践は
積極治療主義的気配が濃厚である
社会復帰路線につながりかねない
建病者路線と家族会路線を強化するであろう
患者会の存在と文化を根こそぎ破壊するだろう
と、警告を発したのだ

いまさら、
そんなコトバつくらなくても、というか流行のコトバを使わなくても、
キーサン患者会はずっと言い続けてきたではないか
『健病者』
というコトバと文化をセーカツから生み出してきたではないか
健病者が薬が少なくて済み、薬がゼロになり、社会復帰できるのは当たり前だ
だから、こう言い換えてもいい
すべての病者が健病者なのか
すべてがハッタツ障害なら、つまりキーサン患者会のコトバで言うなら、
すべての患者が健病者なのかと
チガウと想う
実感である
でも、誤診と誤処方と腐った精神医療を一人でも多く救ってくるのに、
どんどん使えばいいだけのことだ
そして、その方向に乗っていける若者達は、どんどん乗っていったらいい
特に若者達は・・・・・・
だから、入り口をふさぐ運動は正しいと想う
おそらくはソレしかないであろう
だが、しかし、中からふさぐ者達
ふさがれてしまう者達は、どうするのか
『シンデクレタライイ』
『黙って死んでイッテクレ』
というわけか、オイ
『おとなしゅうにして、くちをつぐんで、早く死んでくれ』
トイウワケカ、コラ、ゴラァァァァーーァァァアア
『トツトとホロンデクレ』
『ワタシラにはカンケイアリマセン』
というわけでもあるまい
いや、そういうことなのか
さて、どうするか、どうするか、どうするのか

だいたいが
ナンダカ
キホン、親の学歴と収入が高いみなさんが、タスカルだけの
そういう路線のように想う
これは、えばっちのヒガミなのか・・・・
でもナンダカビンボーで、セイホで
一人暮らしで高齢の、病者は
おいていかれそうに、想う

そう、今年の夏、
高齢の入院中のなかまを含めて
三人のナカマが、亡くなっていきました
一人のナカマは一度も退院することなく
一人のナカマは精神病院に戻って老後を送るしかなく
一人のナカマは若くして癌で亡くなっていきました

えばっちが、早期介入の会の返事を待って
半年は、待っていました

その間に、三人のナカマが死んでいった
そのうち、二人までは
高齢で
身よりもなく
「ハッタツ音頭」「ゲンヤク音頭」「セカンド音頭」
なんてモノの踊りには、なんの関係もなく、
死んでいきました。
そう、そんな音頭の踊りの、
はるか以前の状況のモンダイでした。
一人は、精神病院に家族によって捨てられ、
一度も退院することもなく、誰も面会に来ることもなく、
死んでいきました。
病院の共同墓に、ぼくたちが、納骨してきました。
クスリの内容云々カンヌンの
診断名の正しさ云々カンヌンの
はるか以前のモンダイでした。
精神病院に捨てられて、誰も、来ない、
そんなセーカツが、何年続いていたのだろうか、
えばっちが、初めて入院する遙か以前から、
入院されていた様子でした。
週に一度行くことにしている、
友の会の面会を、楽しみにして
おられる様子でした。

もう一人のナカマも、「ハッタツ音頭」なんて、
はるか以前のモンダイでした。
この春から夏への状況では、
ぼくたちが言っていたのは、
ともかくCTを撮ってくれ、
血液検査をしてくれ、でしたからね。
血液検査は、してもらえましたが、、、、、
結局は、CTは、撮っては貰えなかったですからね・・・・
えばっがサイゴに行った面会で、
アイスクリームを食べて貰えたのが、
今から想うと、ヨカッタ、と、つくづく、想います。
その面会の時、食事介助はさらちゃんが、やり、
そう、あの時、売店まで走っていって
アイスクリームを買ってきてくれたのは、誰だったか。
えばっちは、病院までの運転係と、
交流のため来られたライターさんを案内して、
観察法に引っかけられたナカマが、
またもや保護室に入れられたので、
ナントカ看護士さんと交渉して、その保護室に入って、
面会していたのでした。
食事介助をしているさらちゃんを、病室に迎えに行って、
「またね、Rさん」と言って手を振ってわかれたのが、
えばっちとしては、サイゴになりました。
翌週の月曜
また、別の病院訪問チームが、行ったのが、
友の会としては、サイゴになりました。
そして、
ぼくたちが、お骨拾いも、共同墓への納骨も、したのでした。

こういう中年高年老齢高齢、生保、ビンボー、身より無し、
一人暮らし、ずっと病院暮らし
という
病者の想いが、無に、帰されていくでしょう。
「ハッタツ音頭」「ゲンヤク音頭」「セカンド音頭」
の踊り手のミナサンが
精神病院の入り口を外から塞ぎ得た時
その中で、死んでいくのは、こういうナカマたちです。
そして本当に死んでいきます、次々とね。
早く、死んで、滅んでいってくれ、というわけでしょうかね。
そしたら、ハッタツ音頭とゲンヤク音頭セカンド音頭で、
楽しく踊れますからね・・・ケンビョウシャ音頭も、かな・・・
シネと言わないまでも、トットと、静かにじっと黙っとってくれ
世の中の片隅におってくれ、早いトコ消えていってくれ
死に絶えるまで・・・待ちきれん、というわけか

未や
滅びかかったキーサン患者会は
死者とともに進んでいくのか
死者とともに叫ぶのか
精神病院の中で死んでいった
殺サレいていった
死者達と一緒に叫ぶのか
殺されていった死者達ともに叫んでいこう
と、想う、、、、、、
生者ではなく死者とともに・・・・
なるほどキーサン革命の鬼とは
なるほど怨念とは、魑魅魍魎とは、、、、、

そう、癌で亡くなられなかまは
「ハッタツ音頭」にも「ゲンヤク音頭」にも「セカンド音頭」にも、
ものすごく興味を持たれ、
そして、実践されました。
「精神科セカンドオピニオン」を何度も読まれていました、よ。
減薬のシンドサに耐えながら、
クスリを減らすべく努力をされました。
でも、主治医を代えながらも、数年地道に取り組んでも、
あまり、良い成果を得られないママに、
結局減薬のシンドさのママ、先に癌に、
追いつかれてシマッタのです。
何度か、この三音頭について、語り合ったことがあります。
減薬についても、えばっち自身の減薬とともに、一緒に
意見交換しながら、すすめていっていました。
そのナカマが、
サイゴに不信感を持たれたのは「ハッタツ音頭」でした。
「ハッタツ障害が全て、で、しかも、先天性でアル」
というトコロに、引っ掛かりを、抱えておられました。
特にどちらかと言えば、
「先天性」というトコロに不信感を、、、、、、、

もう、よしましょう。

話し合いは、ムリなんですね。
話し合いを、スル気は、無い、のですね。
ムリなんですね。

早期介入の会のみなさんに詰め寄るのも
くじら会のみなさんに詰め寄るのも
チト酷な気もしています。

奥伝に散々書いてきましたが、、、、そう、
なぜなら、これは、
やはり結局のトコロ、
笠陽一郎医師の疾病観、治療論、医療観、運動論の
モンダイだからです。
りゅうさんが
百パーセント発達障害や、と言い
百パーセント精神病はない、と言い
それを、えばっちに証明してやる、と、言い放った
そこがモンダイなのですから・・・
精神病がアルというなら証明してみろ、と言い
精神病がアルと言うなら、岡江中島らと、一緒じゃ、と言い
それはアィデンティティ・クライスじゃろ、と、言い放った
そこがモンダイなのですから・・・

減薬でクルシンでいる患者さんは
ドウなるのですか
減薬してもうまくいかなかった病者は
ドウなるのですか
笠医師とウマがあわなかった患者さんは
ドウなるのですか
ムチャクチャなコトを言っているのが分かりませんカネ。
正しい鑑別診断はジブンにしか出来ぬと、言い、
他は全部間違っていると言い切った笠医師は、
外来診察を持たずに、、、、持たずに、、、、、
ならば
ウマがあわない患者さんはドウなるんですか
ゲンヤクしてもしてもしてもしても
うまくいかない病者はドウなるんですか
かえって
ハッタツという診断とゲンヤクにクルシンでいる患者さんは
ドウなるんですか
「ハッタツ音頭」「ゲンヤク音頭」「セカンド音頭」
でうまくいくミナサンは、いったらいい、、、、
ソコに反対はしていませんよ、七割支持する、と、言っている
それは、ヨカツタナァァァァーー
ということです
デモうまくいかない患者もいるんだよ
というダケのハナシです

結局は、積極治療主義的社会復帰路線にしかすぎないのではないのか
それでもって、積極治療主義的減薬に苦しむ患者を観て見ぬふりか
シビアな社会復帰路線の家族会ができるのを放置するのか
ハッタツ障害概念でキーサン文化がすり替えられてしまうのを見過ごすのか
結局は、「健病者」のみなさんに、そして家族のみなさんに
とてもとても都合が良いことなのでは・・

積極治療主義的だからこそ、クルシム患者が出てくる
しろうと眼からみても、あんなことしてたら、グワイの悪くなってくる患者さんは
出てくるでしょうに、エバタサンは黙っているんですか、という声は、
えばっちの幻聴なのか

社会復帰路線ではないのか
あのNHKのテレビを見直してみろ
クスリがゼロになって、就職就学復職復学することが、目標なのか、
基準なのか、それが基準になるのか
カンベンしてくれよ
それから漏れる病者もハッタツ当事者もでてくるだろうに・・・・
どう考えても、この減薬路線と復職復学就職就学路線から
こぼれ落ちる病者や落ちこぼれるハッタツ障害者は出てくるぞ

山はどうやって登るのだ
エベレストを無酸素登頂したニンゲンと
夏の駒ケ岳を縦走したニンゲンと
大文字山しかのぼったことのないニンゲンが
どうしたら、一緒に山に登れるのか
どんな山なら、一緒に登れるのか
誰にペースを合わせたら、登れるのか
目標はエベレストなのか
それとも
大文字山登山か・・・・

クスリがゼロになって、クリニックやNPOの当事者スタッフになって、
賃金ももらって、頑張れば私のようになれますと
講演してまわっているハッタツ障害者は、健病者そのものではないのか。
しかもしかも、本当にハッタツ障害なのか、なんでもなかったのではないか、
それなら、健常者ではないのか
それを、基準や目標にされては、キーサンは生きにくい、に、
決まっている
だから、卒業していってもらいたいのだ
卒業することなく、残るのなら
残るのなら・・・・
ハラをくくって、残って欲しい・・・
そのハラのくくり方を、まちがっていやしないのか・・・・
そう想う
残るのなら
ハラを括ってくれ
歯を喰いしばって
さもないと、あっという間に
家族会、全精連、病者集団、全精社協になっちまうんだが・・・

ハツタツ障害概念のあまりの広さ、と、
そして、先天性、というトコロに、引っかかるのは、
えばっちだけなのか、、、、、、
ハッタツ障害だけなんや
精神病はないんや
100パーセントハツタツだけなんや
というトコロに
引っかかるのは
えばっちだけなのか・・・・・

そして健病者達をリヨウしたところの歴史の改竄
歴史のすり替えに
或いは
建病者達が意識的にやりだすか、
とにもかくにも、
一役も二役も、つかわれることだろうと、想う。

第二第三の山本深雪、山本真理、加藤真規子、広田和子、関口明彦が
出てくるぞ、それは、誰になるのか
第二第三の富田ミキオ中島ナオシが出てくるぞ
それが内海だ
内海のあんぽんたんを生み出してしまったことに
もっと危機感を抱くべきだ
育て上げてしまったのだから・・・
羽化させてシマッタのだから・・・
第二第三のプシ共闘や精医研が出てくるぞ
第二第三のクラブ寺谷ゼンカレンゼンセイシャキョウ桶谷
ヤドカリ谷中ベテル向谷地がでてくるぞ
それが田井だ
本当にこのままだと、
全家連、全精連、病者集団を
我々が、さらに、作り上げていくのか
内海のように羽化させてやるのか
ソレは足元から羽化すると、想う
足元から・・・・本当に身近な足元からソレは、始まる
ひょっとすると
これからキーサン患者会が
死に物狂いで闘わなければならなくなる、ヨウナ、ソンナ
家族会が羽化するかもシレナイ
当事者会が羽化するかもシレナイ
嶋田和子は、シッカリ羽化したなぁぁぁ
ナニモカモナニモカモリヨウしつくして、羽化シクサッタ

早期介入問題を考える会があるからこそ
まだ、会内の意見対立だと、表現できるし、
まだ内部矛盾と
外に向かって、言える
会がなくなるか、実査機能しなくなったら・・・その時は
敵対矛盾と化す
容易に
その時は、全家連と闘ってきたようにくじら会と闘うことになる
その時は、病者集団と闘ってきたように早期介入の会と闘うことになる
その時は、全精連と闘ってきたようにハッタツ障害当事者の会と闘うことになる

七割方正しいと、言っていたことは、自己批判しなければならないが、
一割はゼロニナルンダカラ
ドンドンやったらいい
この武器道具をつこうて、ドンドンやったらいい
ソコがワルイとは言っていないのだ
薬が多すぎる殆ど全ての精神医どもと、
闘うに、とても素晴らしい斬れ味の良い『道具』『武器』だ
と、言っているのだ
でもその『道具』『武器』は、とても、
扱いにくい『道具』『武器』ナノダ
キーサン患者会が、地を這うようにこしらえてきた
『キーサン文化』
を、歴史から抹消してしまうくらいに・・・
扱いにくいものなのだ

本当にすべてはハッタツ障害なのか

本当にハッタツ障害で既存の精神医療をすべて破壊できるのか

医療とはなんなのか
医師とはなんなのか
たくさんの患者を救う医師と
少なくしか患者を殺さない医師と
両方兼ねていたらそれにこしたことはなかろうが、
どちらか一方をえらぶのなら
だから、
積極治療主義的な精神医とは・・・
消極的治療主義的な精神医とは・・・・・・
精神科領域の名医とは
どちらかと言えば、
消極的な
待つことのできる
本人に聞く
すぐに結論をださない
断定しない
本人がハナシ始めるまで
待つことのできる
そんな医者ナノデハ・・・・
見えやすいアクジと闘い、見えにくいアクジと闘い、すり替えアクジとも
闘えば、
闘えば、
患者会は、
さてどうなるのか

闘ってやろうではないか
キーサン患者会サイゴの闘いを
見るがいい
見せてやろうじゃないか
精神病は無い、全ては間違いや、全てはハッタツ障害なんじゃと
ぬかしおるヤカラに

それが
たとえマチガツタものであったとしても
歴史的一回性の中に生きた
キーサン患者会の文化と誇りは、そして、叫びは、
なかなか、消せない、ぜ、、、と想うのである
それがキーサンサイゴの闘いになりそうなんである

外輪の外向きに対して
笠さんと割れそうだ、ということを、知られたくは、なかった。
割れたら、いつものご一統サンが、
大喜びスルだけだと、想ったんですよ。
知られないようにしようとしたこと、
そのことが、結局、ワルカッタのだ、
そのことが、えばっちのしくじりだったのだと、
今は、想います。
内輪の内向きと
内輪の外向きと
に、もっと、大事なことが、アッタのにね・・・・・

七割正しいと、言っていたのです、が、ね。
十割正しいと、言わなければ、許しては貰えない
ソンな雰囲気と空気を、読め、というわけなんでしょうかね。
アホじゃなかろうか。
えばっちは、自己批判しますよ。
七割正しかったのではないと。
笠医師は嘘を言っていた。
えばっちは、その嘘を支持してしまった。
笠医師に直截聞いてみたらいいのです。

えばっちが、サイゴに医者に問うのは、いつもコレです。
オレたちは、クスリを盛られた立場です
アンタたちは、クスリを出している立場なのです。
クスリを、飲まされたのは私たちです。
アナタたちは、クスリを飲んでいない。
減薬するのは、私たちなのです。
アナタたちではない。
笠陽一郎医師にも問うだけのことです。
相も変わらず
オンナジコトヲイッテイル

「オマエハホントウニタダシイノカ」、と。

最後にこうも、つけたそう
ハッタツ障害者のみなさんが、
働きやすい職場環境を探したかったら、
やすらぎの里共同作業所の
正規スタッフとアルバイトスタッフの
みんなの部屋での働き方を、労働条件を実際に見てもらったら
良いと想う。
これは皮肉ではない。
本当のことである。
精神病者の通所者【役】が20人いれば
建病者のスタッフ【役】が3人が
社会健康労働保険全部コミ付き正規労働で、
年収★★★万近くの
職員になれる
と言うものナノである。
しかも、しんどかったら、休み放題である。
出退勤もほとんど、自由である。
なぜなら、患者会が設立し運営しているからである。
皮肉ではなく、、、でも、しかしながら、、、、、皮肉ぽく、
ハッタツ障害者の社会復帰路線に
最も理想的なある種の職場環境
なのが患者会設立の
作業所かもしれないというのが
皮肉と言えば皮肉である。
だからこそ、その意味でも交流をしませんか、と、と、と、と、
と、言いたいもんである
もっともスタッフ志望のハッタツ系のセーネン達で
溢れるのは、コマルのではあるが・・・・・

あの2013/5/19の集会より
半年かけて、書いたモノ
えばっち




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