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誰かのために生きること。人はそれで強くなる。

ピピピピピ
平日だけ鳴るように設定しているアラームが、枕元に置いた携帯から鳴る。
休み明けは気が張っているのか、いつもアラームより先に起きてしまう。
眠たいはずなのに、まだかまだかと携帯の画面を見て時間を確認していると、憂鬱な気分がふつふつと湧いてくるようだ。
画面に表示された「おはようございます」の文字を見て、「おはよう」と嫌な気分を打ち消すように、たった一人の部屋で明るく元気に挨拶をした。

リビングに下りると換気扇の音が耳に入ってくる。
微かにじりじりと目玉焼きが焼ける音も聞こえてくる。
我が家の朝食メニューは白ご飯と目玉焼き、お味噌汁の三品と決まっていて、母は家族が起きてくる前にその準備をはじめている。
新聞を読んでいる父の前には、食べ終わったお皿がテーブルの上に置きっぱなしだった。
「おはよう」
習慣になっている挨拶を、誰にともなく言う。
母はフライパンから目を離さず、父も新聞から目を離さずに「おはよう」と言う。
これもいつも通りの風景だ。
「ジョンに朝ごはんあげてね」
母がしっかりと黄身まで焼けた目玉焼きをお皿に盛りながら言った。
「ちゃんと分量は守ってあげてね」
「はいはい。わかってるってば」
返事をしながら廊下に続く扉を開き、私はジョンがいる部屋へと進んでいった。

玄関に一番近い部屋にジョンはいる。
ジョンはたるんだ頬の肉が特徴的な、ペキニーズという犬種の犬だ。
部屋の窓の下に設置されたゲージの中で、ウルウルとした目でこちらを見ているジョンに、獣医師から言われた通りの量のご飯を皿に入れた。
ベージュの毛に覆われた身体は毛量のせいだけじゃなく、身体を包む脂肪でさらに存在感を出している。
バクバクと食べるその姿は、いつ見ても私の心を癒してくれた。
ジョンは近所の公園で迷子になっていた。
母が動物嫌いなので連れて帰っては駄目だと思っていたが、雨宿りをするわけでもなく、ただ雨に打たれている姿を見てしまうと放っておけなくなったのだ。
「なんで連れて帰ってきたの」
玄関でポタポタと滴る水を落としている私と、私の腕の中で小さく震えている犬を見て母が言った。
「だって、こんな雨の中放っておけないじゃない」
母は何か言おうと口を開いたが、途中で口を閉じて何も言わなくなってしまった。
どんなに動物嫌いでも、雨の中で震えてる子犬を見捨てることはできなかったんだろう。
そこからジョンは私たちの家族になった。
母は何年たってもジョンに触れなかったけど、身体の心配をするぐらいには家族として認めてくれているようだった。
ジョンは今日も朝食を食べ終えて、私の顔を見ると一声「ワン」と鳴くと尻尾を振って、おかわり!と言っているように見えた。

ジョンを飼うことになって、我が家には新しいルールが作られた。
それは、放し飼いにしないこと。
ジョンには一つの部屋が与えられて、基本的にそこで生活している。
たまにリビングに来ることもあるけれど、母がいない少しの間だけだ。
散歩は朝と晩の二回で、私と父で分担している。
今日の朝の散歩は私の担当なので、ジョンの首輪にリードを付けて家を出た。
外は快晴。
青い空から光が降り注いで、自然と足が軽くなる。
ジョンも同じみたいで、どんどん先に進んでいく。
テンションが上がっているのか、リードがピンと張って私が引っ張られると立ち止まって、私の顔を見る。
押さえられない楽しさを出しながら、私を気遣うように見えるしぐさは、私の心を洗ってくれる。
こんな小さな身体で、頭で、私のことを心配してくれている。
そう思うと、朝起きた時に感じた憂鬱さがパッと晴れていく。
自分だけのために生きていくことは楽だけど、しんどい。
誰かのために生きていくことはしんどいけど、自分でも気づかない強さをくれる。
ジョンは私にたくさんのことを教えてくれた。
それは、「誰かのために生きること」。
それが人間が強くなれる一番の近道で、強くなれる一番の理由なんだって。
私の目を見て大丈夫だと思ったのか、ジョンはまた短い足を忙しなく動かして前に進んでいく。




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