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時の風景⑮ ~Sauce(ペルー)より -完結編~
これまでに引き続き、旅の最中に書き留めていたことを。
温度感やその時の香りを残すため、編集はあまりしていません。それでもよければぜひ。
見たり聞いたりしたことに、僕の勝手な推測や解釈をのせていることがあります。内容はあてにしないでね。
7/10~7/23 Sauce
Workawayのボランティア生活。
3記事ではおさまらなかったので無理やり完結編をつくりました。
前編、中編、後編はそれぞれこちらです。
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この時に限らず、1ヵ月で「兄弟か?」と5回以上は聞かれた。
7/20
中編で書いていた、数日前のDiego(ホスト)がいない日の仕事をするべきかどうかの煩悶について。
どういう選択を自分がしていきたいかは場合によるのかもしれないと思った。人それぞれの価値観によってももちろん違うけれど、同じ人でも「責任を果たすべき」とちょっといやいやでもやるときと、「やりたくないからやらない、やりたいときだけやる」でいいときがあるなと。榎本英剛さんが取材されている記事を読んでいてそう思った。
かつ、平野啓一郎さんが書いている「分人」ではなくとも、コテンラジオで話されていた「自分」は関係性から生じるものであるという仏教の捉え方を思い出してなんとなくつなげてみた。西洋的な確固とした「個人」で考えていくと「言うことがコロコロ変わる都合のいい人」みたいになるのかもしれないけど。
きっとそれこそが頭の中にある声で、でもそれは外部からの影響をたぶんに受けて生まれている感じがする。実際の身体はそんなふうにできていないということ。よく、本気で思っているや考えることが、コロッと変わってしまう。変わってしまったらもうそれ以外のことにはエネルギーが湧かない。
ここでまた新しいことを思い出す。働くことの人類学で小川さやかさんが話していたこと。彼女いわく、香港のタンザニア人商人たち、あまり「ある個人の信用」、みたいな考え方をしていないらしい。金があるときはたくさんおごるし優しいけど金がなくなるとちょっと騙してきたりする、そういうもんだよね、と。誰かが何かちょっとずるをしたりしていても、周りは「あいつ信用ならないな」ではなく「あいつきっと今お金ないんだろう」みたいな感じで流しているという話。
いろいろあっておもしろい。
7/21
こないだ、日本に帰ってからどうするかの考え事をしていて、これはこれで結構好きだと書いていたけど、やはりそればかりになるのは違うなと実感している。週末を終えてここ2日間ちゃんと仕事してるとやっぱり違う感覚があった。生きてる感。
何をもって生きてる感と呼んでいるのかはわからないけど。だけど、確実に身体が頭が快活なことがわかる。いるべき場所にいるような。週末の考え事に没頭しているときは、めっちゃ現実みたいな夢を見ているような感じかも。
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このメモに書くことが、おかたいことばかりになっている気がする。りんとといるので、わりとくだらないことはその場で話してしまうからかな。
散歩中のいろいろ、ピザ屋さんで迷った結果「ハワイアン」を頼んだらパイナップルが乗っているやつであちゃーってなったこと、町で小学生〜中学生くらいからりんとがモテまくっているなこと、ボランティア仲間のTadの顔がフランシスコ・ザビエルに似ていること(あまり共感しない)、そのへんにいる鶏を捕まえちゃったこと(放しました)、Diegoはところどころ抜けてる天然っぽくてかわいいこと、時々めっちゃヒップホップ歌うからそれもおもしろいこと、りんとが絶対汚したくないって20分前に言ってたズボンを水上ハンモックでめちゃ汚してたこと。
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昨日の散歩中、一緒に旅している中でなんか改善してほしいこととかやめてほしいことあったりする?とふと聞いてみたら、別にないです、と言ったあと少し考えて、大事なことを教えてくれた。
「手を動かしながら考えてる時にヒントや答えを言わないでほしいです」。
どうやったらうまくいくか、やりやすいかの実験や試行錯誤を邪魔しないでほしいと。本当にそのとおりだよなあと思った。自分で発見するのが楽しいんだから、そのチャンスを奪うなと。こちらは良かれと思ってだったり、早く作業を終わらせないとと思ったりして言ってしまうけど、それをされると楽しいはずの仕事も楽しくなくなっちゃうよなあと。子育て、教育の現場でもこういうことが日常的に起こっていて、それはなんかものすごいもったいないことなんだと思う。長い目で見たら、いろんなパワーや人の可能性を潰していってしまうんじゃないかと。気づいて、我慢するところは我慢するいい練習。
7/23
今日がサウセ最終日。
6:30
今起きたばっかり。起き上がったときに、ああ今日が最後なんだなということが頭によぎる。昨日まではあんまりその実感がなかった。特にそれについて考えてなかった。明後日出るから面倒だけど洗濯しとくかー、とかそういうのだけだった。
で、いま、気づく。この場所を離れることがちょっと怖がっている自分がいる。変化を恐れるって表現がしっくりくる。これまであんまり意識的に感じたことがなかったやつ。
りんとと旅するのもだいぶ慣れてきて、それが終わりに近づいてるのも関係あるのか。
そっちに関しては冷静に考えると大丈夫だと思えるが。
なんだかんだいってこの場所は相当居心地良かったのかもしれない。Diegoに感謝。
16:00
サウセからタラポトへ戻り、リマ行きの飛行機を待つ
りんとのカードがATMから出てこない事件。できることを順番にやっていく。つたないスペイン語で優しそうなお兄ちゃんに代わりに銀行に電話をかけてもらう。土曜日なのでつながらず。どうしてもカードを手元に戻したければ、月曜日まで待たなきゃいけない。飛行機もその先数日の宿泊もキャンセル返金なし。
めちゃ面倒な事態ではあるものの、すごく冷静に対応し、カードは諦めて進むことに。いわゆるトラブルっぽいトラブルはこれが初めてだったような気がする。
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これにてサウセ編閉幕。長かった。2週間、とても健やかに、濃い時間を過ごすことができて本当に幸せでした。
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番外編
ペルーなりボリビアなり、街中を歩いていると、「チーノ!(中国人!)」とよく声(野次?)をかけられる。言ってきた人たちと話す流れになって、日本人だと伝えたときに「おおー」みたいな空気に変わることを何度も体験している。
「チーノ!」という言葉にはちょっとからかっている響きを感じるけれど、もはやそれに反応しているとキリがないので何も気にしていない。
中国がなんとなくバカにされがちだったり、日本が崇拝されがちな理由の仮説をりんとと考えてみた。
・中国製の品質の低さ。対して日本車や家電のクオリティが高い。特に車はすごい影響があるのでは。
・アメリカやヨーロッパから入ってくるwestern centricなものの見方が影響していて、主に政治体制などから中国は「危険」「我々とは違う人たち」という印象になりやすい。映画とかでの描かれ方も。
・単に中国が勢力を増してきたのがここ20-30年のことで、まだ昔の貧しい中国のイメージが強い。
・そもそも僕の中に中国に対するネガティブな印象がある可能性。なぜなら、南米の人々が町中で僕を見て「チーノ!」と言ってくるときの表情や声の調子、周りの人たちの様子から行間を読んで「中国をややバカにしている」と読み取っていることが多いから。僕のフィルターがそもそも色付きだったら全部そう見えるはず。ただ、りんとがデンマーク出会ったフランス人は直接的な言葉で中国をディスっていたらしい。僕の場合も直接的な言葉を聞く場面もあるが、通りすがりに「チーノ」と声をかけてくるたくさんの人たちとじっくり話すわけはもちろんないので、割合として雰囲気から感じ取っていることのほうが断然多い。
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