詩を創る「わたし」とは。
・詩を書こう
6年ほど前から、私は「詩」を書き始めていました。
今思えば恥ずかしいことですが、「実験的詩作」と名付けて、
意味のわからないものを書き連ねていました。
その時のコンセプトは「抽象画のような詩を書きたい」といった、
初心者の域を出ないものでした。
それでも詩の先生に拾われて、
少しずつ「詩」という表現の仕方を覚えていきました。
noteに上げているオススメの詩人たち、の方々は
私の心の師をこえて支えにもなっています。
小説と詩の違いは沢山ありますが。
単純に私は小説が「楽しむもの」だとしたら、
詩は「血肉」といっていいものなのです。
いきなり落差がひどくグロテスクな表現で申し訳ありません。
でも、詩に魅せられ、お金にならなくても
「詩」で表現したいと願ってしまった者としては
「詩」は「生きていること」に他ならないのです。
私の普段の詩作活動はオフラインですので、
残念ながらnoteでの詩の発表は今のところ考えていません。
しかし、私の文章活動の根幹は「詩」です。
この文章の通底に流れているのも、
これから書いていきたい小説の芯にも「詩」が「在る」といいな、
という信念があります。
誰かに「そんなの全然、感じられないよ」と思われても自分で表現していきたいところです。
言葉は自由です。
自由をどう捉えるか、どこまで危険なく扱えるかなどは個々人の判断です。
どこまでも自由なのが言葉なのでしょう。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
kirinboshiはココナラにて言葉のお仕事(ネーミング)も
請け負っております。よろしくお願いいたします。
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