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カフェオレと塩浦くん #6

 ごくりと呑んだその一口は、とても芳醇なホップの香りと独特な苦みが口の中で混じり合い、スッと体の中へと馴染んでいく。

「突然呼び出してごめんね」
朋美はグラスをテーブルの上に置いた。

「どうしたの?そんな神妙な顔して」
 私は頭を傾げた。

「空季(たかき)には先に伝えなきゃなって思っててさ」
 そして、数秒の沈黙が続いた。

「私、結婚することになったの」
「……え?」

 私はあまりにも驚きすぎたのか、一瞬頭が真っ白になった。

「突然でごめんね。ちょっと両親のことも絡んでてさ」
「そんな突然決まったことなの?」

「うん。2週間前のことだったかな。両親のつてでお見合いしたの」
「お見合い?」

「うん。古めかしいでしょ?でもマッチングアプリとかよりも信頼できるし、それに両親がせっかく持ってきてくれた縁談だったから無下にできなくてね」

「どうだったの?」

「それがね、意外にも良かったの。最初、相手の写真見たときにずいぶんと堅苦しそうな人だなって思ったんだけど、実際話してみるとすごく面白い人でね。歳は私よりも5歳上なんだけど、上場企業に勤めてて、趣味が料理っていうからさ、とても興味出てきちゃって」

 そういうと、朋美はそのお見合い相手の作った料理の写真を見せてくれた。
 黒い皿に乗ったカルボナーラが、とても美しく映っている。
 その腕前はもはや趣味の領域を逸脱した、プロ顔負けの実力にまで至っているのだという。

「その人でいいの?」
「うん。私もそろそろ30になるから結婚どうしようかなって思ってた頃だし。私って別にこれといって美人でもないし、何か取り柄があるわけでもないじゃん?もう彼氏なんて出来ないのかなって思ってたぐらいだっから、多分これが最後のチャンスなんだって思ってね。決めちゃった」

へへへとにやけながら朋美がビールに口をつけた。

「そっか、おめでとう。今度きちんとお祝いしなきゃね。お祝いの品、考えておくよ」
「あ、それならさ!何か、絵描いて欲しいな。空季前から上手かったじゃん」

「あぁ……うん、いいよ。どんなのがいい?」
「そうだなぁ。結婚式あげるときに入り口に小さく飾る似顔絵みたいのがあると嬉しいな」

「考えておくよ。あとで写真ちょうだい?」
「おっけー」

 朋美の先ほどまでの神妙な顔つきが優しい笑顔へと戻った。
 高校時代からの友人がついに結婚するという事実に、未だ実感が湧かない。
 ずっと一緒のペースで人生を歩むと思っていたのだから、ふいに歩いている道にぼっかりと真っ黒な穴が現れたような感覚に陥り、虚無感が私を覆った。

 そんなお互いの温度を巻き込むように、テーブルの上には出来立ての料理がたちまちに並ぶ。
 海老の入ったシーザーサラダに、ソーセージの盛り合わせ、いい小麦の香りが立つピザが、私の食欲をくすぐった。

「食べよっか」
「うん」

 私と朋美は、お酒を片手に食事を楽しんだ。
 友人がこんなにも幸せな顔をしているのを初めて見た。
 それは喜ばしいことだし、盛大に祝福をしてあげたいとさえ本気で思っている。

 だが、この底知れない虚無感は一体どこからきているのだろうか。

 2年前に結婚を約束していた彼氏には振られ、あの時から私は恋を捨てた。
 人というものに対して大した期待など寄せず、冷たくあしらっていた気になっていた。

 でも、彼女の幸福そうな顔を見ると、私はそんなことをしていて彼女のような幸せを手に入れることが出来るのだろうかと悔しさが込み上げてきては、私の喉元を締めていく。

「そういえば空季は彼氏作らないの?」
「あ、あぁ……うーん。今はいいかな」
「ふーん。そっか」

 意外にも朋美はあっけらかんとした回答を返した。
 あれだけ男のくだらなさで盛り上がっていた私と朋美はもはや別世界に生きる人間となっていた。

 私はソーセージを一本、一口サイズをナイフで刻み、フォークで刺す。
それを口に頬張ると、肉汁とハーブの香りが一気に口内で広がり、すぐに私の体はビールを求めた。

「飲みすぎ注意ね」
「わかってるよ。もう私もいい大人だよ」

 私はそういうと、煩雑とした思考を洗い流すかのように、もう一杯ビールを注文した。

 (つづく)

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