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菫色の実験室vol.5|合田ノブヨ|ヴァイオレットの森

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 夕刻、空の色が一年を通して菫色を帯びる土地に、私たちの実験室はありました。木々の鬱蒼に囲まれたそこが、いつから存在して、なぜ日夜「菫色」を研究しているのか、所属している研究員たちは何名で、彼女ら/彼らはどこからやってくるのか——いまだわかりません。なぜなら、実験室を訪れる度、そこはいつも無人で、誰にも会ったことがないからです。

 しかしそこにはいつも、研究員たちがいた気配、実験をした痕跡が、花びらに光る夜露のように、散りばめられていました。会ったことのない研究員たちの実験日誌を、蒐集・管理することが私の仕事です。その目的は、私の雇い主から聞くことを禁じられているので、いまだわかりません。ことしもまた、菫色の縁飾りのある白衣を来て、ここへやってきました。

 スミレの紋章が刻まれた古い鍵を鍵穴に差し、菫色の葉ガラスが嵌め込まれた軋む扉を開けると、広めの玄関ホールがあらわれます。するとほどなくして、まるで私の到着を察知したかのように、どこからともなく、青々しいスミレの香りが漂ってくるのです。
 その香りに誘われて、長い廊下を歩いてゆきます。敷かれた菫色の絨毯には、アール・デコ風に図案化されたスミレが配されていて、谷間に咲くスミレの群生の中をゆっくり歩いている気分になります。

 と、青々しいスミレの香りが、ある部屋の前で少し濃くなりました。それが、実験室からの招待状なのです。誰かがこの部屋で、新しい菫色の実験を行った合図——

 さぁ、扉を開けて、最初の実験室に入ってみましょう。



 そこには、部屋の大きさには不釣り合いの、大きな窓がありました。夕刻の菫色が葉ガラスの窓からあふれ、部屋全体を菫色で満たしています。窓はまるで、葉ガラスでぼかされた向こう側の風景を見せたいとばかりに、その大きさに反して簡単に開きました。

 ひんやりと湿った空気が頰を過ぎり、森閑とした緑の匂いと共にスミレの香りがさらに濃く深く、鼻腔の奥まで届くのを感じたかと思うと、部屋の菫色をかき消すかのように、だんだんと白い霧が森奥から立ち込めてきました——

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 小部屋に流れ込んできた霧のせいで窓の外は一瞬で見えなくなり、霧の向こう側で、あたかも森が消失してしまったかのように気配すらも途絶え、くっきりと霧を縁取っている窓枠のみが、この部屋を支えているように見えました。
 部屋の様々がしっとりと湿り気を帯び、机の上に並べられた菫色の実験日誌も、一度乾いたインクの染みが巻き戻ったように潤っています。

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 村の伝承と回想録が綴られた日誌を読み終えました。
 たくさんのスミレ花と悠久の時を旅した感覚に襲われ、青々しい香りがヴェールになって頭を幾重にも包んでいます。
 そうして、最後の頁に貼られていた霧の森に佇む女性の肖像画を見た時、さきほど霧のカーテンを合図に消失したあの森が、この一枚の中に還ってきていることに気づきました。薄紫の刻限に霧がかかり、ヴァイオレットと呼ばれる乙女が佇んでいます。蝶のように舞うスミレ花に護られて、こちらをじっとみつめています。

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 幾星霜、霧の訪問と共にこの一枚へ、森は幾度となく還ってきたのでしょう。薄紫の霧のあわいにゆれる幽玄の記憶のひとつに、私の記憶も重なったようです。

 ——ふと気がつくと、何事もなかったかのように部屋は菫色に戻り、窓はきっちりと閉められていました。

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 霧の出来事の後、靴音を響かせながら実験室をぐるりまわってみると、視線の隅っこに入ってきてはさっと隠れるちいさな存在に気づきました。

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 スミレ花のブーケを手に持った、モールの妖精猫です。
 一匹ずつ姿を表して、少し離れた場所でくつろぎ始めました。どうしても距離は縮めてくれませんでしたが、実験室を後にしようと扉横の鏡にふと目をやると、スミレの花びらが一枚、私のほっぺにのっていました。

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合田ノブヨ  Nobuyo Goda| コラージュ作家 →Twitter
高校在学中、TVドラマの仕事で訪れたロンドンで、ヴィクトリア時代のクロモスに魅了されコラージュを制作。1992年作品を発表。以降ギャラリーや新宿伊勢丹等デパートでの展覧会、本の装画や雑誌、新聞の挿画等の仕事をしている。15年間活動を休止していたが、2017年より再開。画集は3冊出版されている。

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作品名|ヴァイオレットの森
ミクストメディア(色鉛筆・水彩・パステル・和紙)
作品サイズ|27.7cm×18.3cm
額込みサイズ|40.2cm×31cm
2020年(新作)

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 本展《菫色の実験室vol.5〜菫色 × スミレ属》メイン・ヴィジュアルを飾った、合田ノブヨ様のロマンティックなコラージュ作品です。
 薄紫色の霧に中に、蝶のようにスミレ花が舞い、白いドレスを纏った編み毛の乙女が佇む風景は、しっとりとした湿度やひんやりとした空気、しんとした静寂をも伝える幽玄の一作。
 コラージュのモティーフにパステルや水彩、色鉛筆などで手彩し、豊かな表情を綾なす手法は合田さまの真骨頂。まるでスミレ花の花粉のように、繊細な様子で紙の上にあわやかに定着されています。
 ワーズワースが詠んだ、苔むす岩陰のスミレにも通じる文学性の高い作品を、本展DM(下図版)では、菫色の実験室の窓から見える風景として配しました。

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00_通販対象作品

作品名|ケットシー人形(全19種)
モール・紙など
サイズ|全長約11cm
2020年(新作)
*オンラインショップに全種の詳細を掲載しています

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 ひとつひとつ、手染めしたモールで作られた大人気ケットシー人形です。今回はスミレ属の研究にちなみ、スミレのブーケを手に持った特別なケットちゃんが実験室にやってきました。ブーケが立体的に作られているのも見所です。
 全部で19匹、モールのお色目やお顔の表情も多彩ですが、きっと見た瞬間、ピンとくるケットちゃんに出会えることでしょう。

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